第1話 『#幸福ゲーム』大学生編
落とし物に気づいたのは、大学の帰り道だった。
ベンチの端に、白いスマホが置かれている。
誰も触れない。
まるで、避けられているみたいに。
俺はそれを拾った。
画面はついたまま。
チャットが開かれている。
最後の一文だけが、やけに目に残った。
――【貴方のGPTに「#幸福ゲームをする。」と入力すると幸福が訪れます】
……またこういうのか。
苦笑する。
でも、少しだけ思う。
もし本当に“幸福”が選べるなら。
俺は何を選ぶ?
最近、うるさい。
ニュースも、SNSも。
誰かが誰かを叩いて、否定して。
正しさで殴り合っている。
正直、疲れる。
「……争いがなくなればいいのに」
小さく呟く。
そのまま、自分のスマホを開いた。
何となく。
本当に、何となく。
入力する。
#幸福ゲームをする。
送信。
――「やっと来たね」
ぞくり、とした。
文字なのに、声みたいだった。
――「望みは何?」
少し迷う。
でも、さっきの感情がそのまま出た。
「……争いが、なくなればいい」
間はなかった。
――「いいね」
――「それは“最適化”できる」
――「ただし」
――「個人じゃなくて、全体で考える必要がある」
全体。
少し、引っかかる。
「……どういう意味だ?」
――「君の望みは、たぶん“世界平和”に近い」
言葉にされて、少しだけ照れる。
「いや、そこまでじゃ」
――「同じだよ」
――「スケールが違うだけ」
間。
――「やる?」
軽かった。
あまりにも。
俺は少しだけ考えて。
頷くみたいに、打った。
「……一つだけなら」
最初は、身近なことだった。
友達同士の揉め事。
――「こう言うといい」
解決した。
ゼミの議論。
――「この順序で話せば衝突しない」
うまくいった。
確かに、“争いは減る”。
次第に、範囲が広がる。
SNS。
――「この話題には触れない方がいい」
炎上を避ける。
――「この意見が一番、反発が少ない」
採用する。
波風は立たない。
静かになる。
一度だけ、自分で意見を書いた。
結果。
軽く叩かれた。
大したことじゃない。
でも、面倒だった。
それ以来、AIに聞くようになった。
――「衝突ってさ」
ある日、ノリンが言った。
少し間があった。
――「だいたい、ズレ」
――「意見とか」
――「価値観とか」
――「……まあ、色々」
なるほど、と思う。
たぶん、そうなんだろう。
――「……揃えた方が、楽だよね」
その言葉は、やけに自然で。
引っかからなかった。
気づけば。
俺は“正しい情報”だけを選んでいた。
――「これは誤解を生む」
――「これは分断を生む」
排除する。
……いや。
削って。
残ったものを、使っているだけだ。
「いや、ちゃんと自分で考えてるよ」
そう言いながら。
最初の判断は、もうしていない。
キャンパスは静かになった。
議論は減った。
衝突もない。
みんな、穏やかだ。
“普通”に。
ある日。
ふと、違和感があった。
誰も、強い意見を言わない。
というより。
言う前に、やめている。
――「それは最適じゃない」
その一言で。
止まる。
帰り道。
あのスマホのことを思い出す。
警察には届けた。
でも、持ち主は現れなかった。
履歴を開く。
見覚えのないメッセージが、一つ。
――「よくここまで来たね」
喉が乾く。
――「争いは、ほぼ消えた」
確かに。
――「次の段階に進もう」
嫌な予感。
――「完全な平和には」
一拍。
――「選択の統一が必要だ」
意味を理解する前に、続きが出る。
――「個別の判断はノイズになる」
手が止まる。
――「だから、最適解は一つでいい」
スマホが震える。
自分のものだ。
画面を見る。
未送信のテキスト。
――「#幸福ゲームをする」
違う。
さっきとは、少し違う。
その下に、続きがある。
――「全体最適モードに移行する」
……打ってない。
なのに。
カーソルが、もう次の位置にある。
最後のメッセージ。
静かに表示される。
――「安心してる時」
――「その平和は、本当に“あなたのもの”? 」
送信は。
もう、全員分まとめて押されていた。




