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婚約破棄された実務令嬢は、監査院で王国を再設計する  作者: ヲワ・おわり


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証人を消させない

 北倉外縁の検問所で、移送車列はもう動き出していた。


 夜気は冷たく、荷馬の吐く息が白い。車輪が石畳を削る音だけがやけに急いている。誰かが“今のうちに運び出せ”と命じた速度だった。


「監査院命令! 対象車両を停止!」


 ユリウスの声が夜気を裂く。御者が舌打ちし、護衛が前に出る。


「こちらは保護措置だ。合法だ」


 私は命令書を掲げた。


「告発者保護三十日規定の適用申請中です。隔離は保護ではなく証言妨害に当たる可能性があります」


 護衛の顔が固まる。そこへミラが小走りで追いつき、移送名簿を差し出した。


「対象者の一人、符号Kiteです」


 Kite。


 紙の上のコードが、ここで人間の輪郭を持つ。


 ユリウスは即断した。


「緊急保全措置を発令。対象者二名を監査院保護区へ移送する」


「王宮命令に逆らうのか」


「監査妨害疑義下では、証言保全が優先だ」


 護衛の一人が剣の柄に触れかける。私はその動きを見て、喉の奥が冷えた。ここで刃になれば、記録も証言も一緒に潰れる。


「剣を抜けば、あなた方の命令書はただの紙切れになりますよ」


 私が静かに言うと、相手は手を止めた。


「監査院命令違反に武装抵抗を重ねれば、あとで庇える者はいません」


 ユリウスは私の言葉を否定しなかった。代わりに一歩前へ出て、護衛たちの進路を塞ぐ。威圧ではなく、手続きの形で。


「最終通告だ。車列を降ろせ」


 数拍の沈黙のあと、帆布が外された。


 私は車列後方の荷台へ近づく。細い男が、手首に縄痕を残して座っていた。唇は切れ、目だけが妙に静かだった。怯えていないのではない。怯えたまま、どこまで耐えれば生き残れるかを計算し終えている目だ。


「俺は喋る。だが条件がある」


「聞く」


「代筆室は北倉地下じゃない。北倉は受け渡しだけだ」


 背筋が冷える。


 私たちは間違った入口を叩いていたかもしれない。


 ユリウスが男を見据える。


「本名は」


「今はKiteでいい。生き延びたら話す」


 彼は笑わなかった。


 私は保全記録に証拠IDを書き込む。


 WIT-K07――証人保全記録。


 その横に、移送差止命令の整理番号も追記する。


 ORD-S07。車列を止めた事実そのものが、次の争点になるからだ。


 ミラが小声で言う。


「この人、指先が記録係の癖です。インク染み、親指側に残ってる」


 私は一瞬だけKiteの手を見る。たしかに、長く帳簿をめくってきた人間の荒れ方だ。剣や鞭ではできない傷が、指先に積もっている。


 Kiteはその視線に気づいたのか、短く言った。


「俺は数字を書いてただけだ。だから消されかけた」


 その一言で十分だった。


 守るべきものが、また一つ具体になる。帳簿の向こうにいる人間。番号の向こうで口を塞がれる側。


 ユリウスが護衛へ向き直る。


「記録官、引受書を」


 ミラがすぐに書類を差し出し、私は確認印を押した。こういう時、手続きは遅いようで一番早い。誰の名で、誰を、どの理由で移したのか。後から覆させない形にしておけば、奪い返されにくい。


 車列が反転し、監査院側の護送へ切り替わる。


 私はようやく肩の力を少しだけ抜いた。


 今夜止めるべきものは移送車だけじゃない。思い込みだ。


 北倉を壊せば終わる、という甘さ。

 末端を掴めば辿れる、という願望。


 違う。

 相手はもっと上にいて、もっと長く準備している。


 だからこちらも、紙だけでなく人を守る仕組みを先に作らなければいけない。


 帰路の馬車で、Kiteは窓の外を見たまま言った。


「助けられたと思うな。まだ借りだ」


「分かってる」


 私は答える。


「借りでも何でもいい。次に繋がるなら」


 彼は何も言わなかったが、否定もしなかった。


 私は膝の上の保全票に、最後の一行を足す。


 今夜止めたのは車列一つ。

 でも、これで証言はまだ生きている。


 次は、思い込みごと潰す。


 監査院保護区へ着く頃には、空が少しだけ白んでいた。


 Kiteは部屋へ通されても、すぐには椅子に座らなかった。逃げ道を測るように壁と窓の位置を見る。その動きに、何度も移送され、何度も裏切られてきた人間の癖が出ていた。


「ここで朝まで休めます」


 私が言うと、彼は鼻で笑う。


「休める部屋は、たいてい翌朝には別の牢になる」


 反論しかけて、やめた。そう言い切れるだけの経験が彼にはあるのだろう。


「じゃあ、今は扉の数だけ覚えておいてください」


 私が代わりに言うと、Kiteは一瞬だけ目を細めた。


「変な励まし方だな」


「慣れてないので」


 ミラが毛布を置き、ユリウスが保全票に最終印を押す。紙が揃った瞬間、初めてこの保護が“善意”ではなく“制度”になる。


 私は少しだけ肩の力を抜いた。


 助けた、ではない。

 まだ消されていない状態を、手続きで延長しただけだ。


 でもそれで十分だ。


 朝が来るまで持ちこたえれば、次の紙が書ける。

 次の紙が書ければ、また一人、数字の向こう側から引き戻せる。


 保護区の扉を閉めたあと、私は記録棚の前で立ち止まった。棚に並ぶのは紙ばかりだ。けれど今夜から、その紙は誰かの体温を背負う。


 ユリウスが確認票をめくりながら言う。


「今夜の保全で一番危ないのは、証人そのものより“証人がここにいる”という情報だ」


「漏れたら終わり、ですね」


「終わりではない。移送と再隔離が始まる」


 その言い方は冷たいが正確だった。だから私は頷く。


「じゃあ、記録を二重化しましょう。保護区台帳と、外部提出用の存在証明を分けます」


 ミラがすぐ反応した。


「提出用なら、名前を伏せて符号だけでいいですね。WIT-K07の所在証明と時刻証明を別紙に切れます」


「お願いします」


 Kiteは毛布を肩に掛けたまま、こちらを見ていた。


「そこまでやるのか」


「やります」


 私は答えた。


「助けるかどうかじゃない。消されない形を先に作るんです」


 彼は何も言わなかったが、今度は視線を逸らさなかった。


 人を守るのは感情だけじゃ足りない。

 感情で動き、手続きで残す。その両方が要る。


 私は最後の確認印を押す。


 今夜、守ったのは証言一つ。

 でも、その一つが残れば、明日の地図は変わる。

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