四十八時間の索引戦
壁の砂時計が、やけに大きく見えた。
残り四十二時間。
予備審査の限定受理は、時間切れで紙切れになる。だから私たちは朝から監査院書庫に籠もっていた。
昨夜まで、私は“追放された側”だった。今日からは違う。失われた帳簿と、消されかけた記録の間を歩き回り、それらを線に戻す側だ。けれど、その仕事は思っていたより地味で、思っていたより息苦しかった。
「R.V.を拾える索引は、運用課と北倉系だけじゃない」
ミラが台帳を開きながら言う。
「冬災害案件にも混ざってます。去年、急に記録が飛んだ週があって」
机には帳簿が山になっていた。私が分類札を置き、ユリウスが照合順を決める。紙の角で指先が切れ、乾いた痛みが残る。
「優先は本人性補強だ」
ユリウスが短く言う。
「略号だけでは弱い。筆跡・時刻・承認経路を重ねる」
「了解」
私は索引台帳の端を追う。
R.V。
R.V。
R.V。
だが四件目で手が止まった。書式が綺麗すぎる。インクの滲み方も違う。見た瞬間に分かる“うまい偽物”だ。
「これ、偽です」
ミラが顔を上げる。
「え?」
「Rの右脚が寝てる。本物は跳ねる。Vの谷も浅い。誰かが“R.V.らしく”作ってる」
ユリウスが紙を受け取り、短く頷く。
「偽ログ混入。記録官、識別票を切れ。LOG-F06」
ミラが羽ペンを走らせる。緊張で手が震えていた。
「すみません、私……見落として」
「謝る時間はない」
私は偽ログを別束に移す。
「むしろ使える。偽造者は本物を見て真似してる。癖が追える」
隠されたなら終わりじゃない。隠し方にも癖が残る。
私は偽ログの余白を指先でなぞる。圧が強すぎる。慣れない人間ほど、正確に見せようとして筆圧を上げる。急いで帳尻を合わせた人間の紙だ。
「この偽造、後追いです」
私が言うと、ユリウスが視線を上げた。
「理由は」
「索引番号の振り方が古い。今の運用課は枝番を先に打ちません。旧式を知ってる人が、最近の様式だけ真似してる」
ミラが小さく息を呑む。
「じゃあ、内部の古参か、古文書を見られる立場……」
「そのどちらかです」
私たちは索引を再走査し、R.V.関連を抽出していく。
五件。
うち二件が、冬災害復旧費案件。
ミラが該当台帳を抱え、息を整えた。
「これ、去年の橋梁仮復旧案件です。承認経路にC-2コードが混ざってる」
私は余白に証拠IDを書き込む。
IDX-RV-06。
単なる略号の列が、ようやく一枚の証拠票に変わる。紙は薄いのに、その重さだけは増えていく。
ユリウスが補完提出の下書きへ線を引く。
「本人性補強の第一束としては十分だ。だが証人が要る」
その言葉に、私はすぐ頷けなかった。
証人はいつだって弱い。紙は燃やせるが複写できる。人は一度折れたら戻らない。
私は窓の外を見た。監査院の裏庭では、洗濯物が乾ききらないまま風に煽られている。こんなふうに揺れるだけで済めばいいのに、と思った。
その時、廊下を駆ける足音。
伝令係が扉を叩いた。
「北倉で証人隔離が始まりました。搬送係二名が“保護名目”で移送されています」
保護名目。便利な言葉だ。
私は立ち上がる。
「監査官、緊急保全命令を」
「出す。君とミラは索引束をまとめろ。私は差止線を引く」
ユリウスは即答し、印章具を掴んだ。迷いがない。だからこそ、こちらも迷えなくなる。
私はミラへ向き直る。
「あなたの抽出がなければ、ここまで来られなかった」
ミラは一瞬きょとんとして、次に強く頷いた。
「……はい。次も拾います」
その声は、昨夜よりずっと芯があった。
私は索引束を紐で括り直す。紙を束ねるだけの作業なのに、不思議と落ち着く。散ったものをまとめる。それが今の私たちの仕事だ。
残り時間は減る。
でも、証拠線は増えた。
私はメモに追記する。
IDX-RV-06――R.V.関連五件を束ねた索引抽出票。
R.V.関連五件。
冬災害接続二件。
偽ログ識別LOG-F06――後追い偽造を切り分けた票。
書庫を出る直前、私は一番上に残った偽ログをもう一度見た。
あまりに雑で、逆に焦りが透けて見える紙だった。
「監査官」
私はユリウスを呼び止める。
「偽造が入ったの、悪いことだけじゃないです」
「理由は」
「向こうが、私たちの整理速度に追いつけていない証拠です。追いついているなら、こんな粗い差し替えはしません」
ユリウスは数歩考えるように黙り、短く答えた。
「なら、この四十二時間は守りではなく前進に使う」
「はい」
ミラが索引束を抱え直す。
「私、冬案件の索引から同じ紙質のものも拾ってみます。R.V.の癖だけじゃなくて、紙の流れも追えるかもしれない」
「それ、いい」
私は頷いた。
記録は字だけじゃない。紙質、綴じ穴、端の傷。人が見落とす場所ほど、長く残る。
外へ出ると、朝の光がようやく石壁を白く染めていた。眠っていない街の色だ。
私はその明るさを見ながら思う。
昨日まで、私は追われる側だった。
でも今は違う。
追われる不安は消えていない。それでも、消される前に拾う方法を知っている。
だから進める。
人一人を守るには遅すぎる時間でも、証拠線を一本増やすにはまだ間に合う。




