代筆室の筆跡
聴取室の椅子は硬く、バルドの口はもっと硬かった。
「知らん。命令どおりに動かしただけだ」
三回目の同じ返答。ユリウスが机を指で二度叩く。
「命令者は」
「記憶にない」
嘘だと断じるのは簡単だ。だが監査で必要なのは断定ではない。再現できる根拠だ。
私は深く息を吸い、質問の向きを変えた。
「命令者の名前は忘れて構いません。文書は覚えていますか」
バルドの眉が初めて動く。
「……文書?」
「再配置命令書と、北倉搬送指示書。どちらが先に届きました?」
「再配置が先だ」
私はユリウスを見る。彼は微かに頷き、記録官ミラが時刻を控えた。
直後、私は保全箱から二通を取り出し、机に並べる。
DOC-M04-1、北倉搬送指示書。
DOC-M04-2、再配置命令書。
順番は逆だった。
先に搬送指示、後で再配置命令。バルドの証言と噛み合わない。
「見間違いだ」
吐き捨てる声。
私は反論せず、二通の末尾署名を指した。
「同じ手です」
Rの右脚の跳ね。Vの谷を深く掘る癖。字間の取り方。別人が偶然一致するには、揃いすぎている。
「真似しただけだ」
「なら、欄外メモまで同じ癖になる理由は?」
DOC-M04-2裏面余白。薄い走り書き。
『地下C-2代筆室へ回付』
部屋の空気が一瞬止まった。
バルドの喉が鳴る。視線は私たちではなく、聴取室の外壁を通る銅の通信管へ走った。一本だけ、微かに振動している。誰かが、外で待っている。
ユリウスが紙を取り、ミラへ渡す。
「原本撮影。筆跡比較票を作成。照合対象はR.V.関連文書すべて」
「はい」
ミラは短く返事し、封印袋を二重に閉じた。
私は続ける。
「あなたが恐れているのは、私たちじゃない。命令元です。だから名前を言えない」
バルドは目を逸らした。
「……言ったら終わる」
小さな声だった。
ユリウスが平坦に告げる。
「言わなくても終わる。監査妨害でな」
聴取室の温度がもう一段下がる。
私は追撃を止めた。今ほしいのは自白ではない。次の手続きを開く鍵だ。
「監査官。代筆室メモを案件注記に入れましょう。証言が揺れても文書線で進められます」
ユリウスは即答した。
「採用。EM-72-19接続に“代筆室仮説”を追加」
命令書に赤線が引かれ、確認印欄が私へ向けられる。
私は印章を押した。
その瞬間、バルドが椅子から立ち上がりかける。
「待て! それを書くな。C-2は――」
言い切る前に、ユリウスが目だけで制した。
「続けろ」
バルドは唇を噛み、座り直した。言葉の代わりに、右手の親指で左手首を何度も擦る。王宮倉庫の現場監督が、誰かの癖を真似るように震える。
ユリウスが低く問う。
「C-2は何だ」
「……倉庫側の管轄じゃない」
「だから誰の管轄だ」
沈黙。
私は机上の時刻表をめくり、別紙を滑らせた。昨夜の搬送便一覧だ。
「北倉便は本来、三番街東門経由です。でもWH-03欠損分の三十六箱だけ、地下搬送路コードが付いている。理由は?」
バルドが息を呑む。
当たりだ。
「……知らん」
「知らない人間が、地下コード付き伝票を受領できると思いますか?」
私の声は冷たくなっていた。
怒っているからではない。怒りを使う段階ではないからだ。
「監査官、提案です。バルドの証言からは命令者名が取れません。代わりに、地下搬送路使用記録の照会を即日で。通信管ログと突合すれば、命令元の所属までは絞れます」
ユリウスは即座に頷く。
「承認。照会先は北倉管理局、王宮運用課、通信管理室。期限、日没まで」
ミラが書記していた羽ペンを止める。
「監査官、通信管理室は通常二日待ちです」
「監査妨害疑義で優先枠を切る。私の名で出せ」
「了解」
手続きの道が開く音がした。
聴取室を出ると、廊下の窓から北倉方面の煙が見えた。焼却煙か暖房煙かは分からない。
分からないものを、分かる形にする。それが監査だ。
ミラが封印袋を抱え直し、私に小声で言う。
「さっきの地下コード、私も見たことがあります。冬の災害復旧費案件で一度だけ」
「番号は覚えてる?」
「下二桁だけ……たしか13」
R-13。
偶然と呼ぶには重なりすぎる。
ユリウスが足を止め、振り返った。
「今夜、予備審査に上げる。却下される前提で組むぞ」
「通します」
「通せ。君の仮採用は、次の審査で切られるかもしれない」
「だから、今日中に切れない線を増やします」
彼は短く笑った――ように見えた。
「その返答は嫌いじゃない」
私は階段の踊り場でメモ帳を開く。
DOC-M04-1。
DOC-M04-2。
筆跡一致二件。
地下C-2代筆室。
地下搬送路コード。
通信管振動ログ。
証言は折れる。
文書は隠される。
でも手続きは、正しく積めば逃げにくい。
次は予備審査。
却下される前提で、通す。
階段を下りる途中、ミラが封印袋を抱えたまま私に追いついた。
「さっきのバルド、最後に左手首を擦ってました」
「見てたの?」
「はい。書記は人の癖を覚えるのも仕事なので」
私は少しだけ笑った。こういう細い観察が、あとで太い証拠になる。
「同じ癖の人、他にも見たことある?」
ミラはすぐには答えず、記憶を探る顔をした。
「王宮便の受領簿です。一度だけ、同じ仕草をした監督補佐がいました。名前は出てきません。でも、怖がり方が似てます」
怖がり方。
それは身分よりも正確に、人の立場を表すことがある。
ユリウスが前を歩きながら言った。
「覚えているなら後で書き出せ。曖昧でもいい。曖昧さの範囲が分かれば、照合に使える」
「はい」
私は踊り場の窓からもう一度北倉方面の煙を見た。もしあれが本当に焼却なら、今この瞬間にも何枚もの紙が灰になっている。
それでも、全部は消えない。
人の癖、紙の順番、時刻の逆転、言い淀み。
燃やしきれないものはいくらでもある。
私は手帳を閉じた。
予備審査で問われるのは、証拠の量じゃない。
これらが偶然ではないと、どれだけ静かに示せるかだ。




