表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された実務令嬢は、監査院で王国を再設計する  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/45

幽霊施設へ流れた補助金

 王都中央病院の監査室は、薬品臭と紙の埃が混じっていた。


 窓は閉め切られ、棚には古い請求票が束ねられ、室内の空気だけが妙に重い。病院という場所は本来、人を生かすために回るはずなのに、帳簿の前に立つと命より先に数字の都合が見えてしまう。そのことが、少しだけ嫌だった。


 私はMED-22を机に広げる。


 医療予算不整合票。つまり、予算執行額と実際の納入量が噛み合っていない箇所を一覧化した票だ。


 金額だけ見れば大きい。

 だが本当に怖いのは、その大きさより“ずれ方”だった。同じ月、同じ業者、同じ補助金区分で、現場在庫だけが減っている。


 さらにVND-22。優先業者偏在表。補助金の流れは病院へ向かわず、同じ番号の施設へ吸い込まれていた。


「この施設、実体がありますか?」


 担当書記は目を逸らす。


 王都の役所で目を逸らす人間は、たいてい二種類だ。何も知らない者と、知っていて言えない者。今回は後者に見えた。


「登録上は、あります」


 登録上。


 その一言で十分だった。王都では“登録上”という言葉が便利に使われる。存在することになっていれば、しばらくは誰も責任を取らなくていいからだ。


 私は現地確認票を開く。住所は空き地、建物未登記、医療設備搬入なし。


 幽霊施設。


 ユリウスが短く言った。


「監査対象、医療予算ルートに拡張。逃げ道は減ったな」


 私は頷き、次の帳簿へ手を伸ばす。


 数字は、嘘を重ねるほど目立つ。


 だが今回は、それだけでは終わらせない。幽霊施設という言葉は、読者にも審査官にも響く。けれど現場の人間にとって重要なのは比喩ではない。そこへ送られた金で、本来どんなものが買えたかだ。


 私は中央病院の薬品棚在庫一覧を呼び出す。


「この週、抗菌薬の補充が止まってます」


 ミラが数字を追い、すぐに返す。


「小児病棟、三日分不足。救急用の輸液も二日分削れてます」


 私は黙って帳簿を閉じた。


 ここで横流しされていたのは抽象的な予算じゃない。病室の明日の分だ。


「担当書記」


 私は顔を上げる。


「この幽霊施設へ流れた補助金、同日付で中央病院の補充申請が保留になってますね」


 相手は答えない。答えられないのだろう。数字はもう逃げ道を塞いでいる。


 ユリウスが補足する。


「保留理由欄が空白だ。説明なき保留は、説明したくない保留だ」


 監査室に短い沈黙が落ちる。


 私はVND-22の端に注記を書き足した。


『優先業者偏在=金の流れが現場でなく幽霊施設へ集中』


 記号だけでは伝わらない。王都では、分かりやすい言葉ほど後回しにされる。だから自分で書くしかない。


 担当書記がようやく絞り出すように言った。


「現場だって、全部が全部、分かってるわけじゃない」


「分かっています」


 私は即答した。


「だから今、現場を責めているんじゃありません。現場の上で数字を抜いた線を追っています」


 相手の肩が、ほんの少しだけ下がる。


 責められていると思ったのだろう。王都では、監査が始まった瞬間に“誰が悪いか”へ怯える人が多い。けれど今必要なのは、末端の怯えではなく上流の設計だ。


 ミラが棚の奥から補助契約の写しを持ってきた。


「この施設、契約更新が三回とも同じ補佐印です」


 私はその印影を見て、息を整える。印は小さい。でも、小さい印のほうがよく効く。大きな署名がなくても、運用は補佐印だけで回るからだ。


「ここからいけます」


「ええ」


 ユリウスが頷く。


「病院現場、幽霊施設、優先業者、補佐印。四点で入口は十分だ」


 私は机上の不整合票を見つめる。


 王都に戻ってから、ずっと思っていた。

 私が守りたいのは名誉だけではないと。


 今、その気持ちははっきりしている。

 この横流しで削られた輸液や薬品の先にいる人たち。名前も知らない患者や看護師や事務員。そういう人たちの明日が、王都の都合で削られている。


 なら、止める理由としては十分だ。


 私は封筒を閉じ、MED-22とVND-22を重ねる。


 Arc2の主戦場は、もう抽象ではない。

 病院の棚で減った一本の輸液まで下りてきている。


 監査室を出る前、私は薬品棚の前で足を止めた。番号札のついた瓶が並んでいるだけなのに、その欠け方は生々しい。帳簿で見た不足が、ここでは空白の棚として現れている。


 担当薬剤師が小さな声で言った。


「最近、代替薬でしのぐことが増えています」


「現場に通知は?」


「来ません。いつも“次便で補充予定”だけです」


 次便で補充予定。王都の便利な先延ばしだ。紙の上では一日、現場では一晩、その差で困る人間が出る。


 私は棚の欠番をメモしながら、静かに思う。


 こういう空白を見てしまうと、もう“数字の問題”という顔ではいられない。


 横流しされたのは金だ。

 でも失われているのは、痛み止めだったり、抗菌薬だったり、誰かの夜を少しだけ楽にするはずの小さな余裕だ。


 だから止める。

 それだけで十分な理由になる。


 私は不足欄の数字をもう一度見た。


 紙の上では数本の差に見える。

 でも現場では、その数本が夜を越えられるかどうかの差になる。


 王都の帳簿は、そういう現実を平らな数字に潰してしまう。

 だからこちらは、潰された現実をもう一度言葉に戻さなければいけない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ