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婚約破棄された実務令嬢は、監査院で王国を再設計する  作者: ヲワ・おわり


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13/17

欠番の向こう側

 Kiteが示した通路は、王都運用課の地下保守路に繋がっていた。


「ここが旧C-2です」


 代筆室C-2。噂話ではなく、証拠線の上にようやく実体を持ちはじめた場所。


 扉は封印済み。入室権限不足で足止めされる。


 私は共同承認条項を提示し、ユリウスが補足命令を追記した。制度は回り道に見えても、こういう時にいちばん強い。誰かの気分ではなく、手続きで扉を開けられるからだ。


 入室後、室内は空だった。机も端末も搬出済み。壁だけが妙に白い。家具の影になっていたはずの場所まで新しく塗り直されていて、逆に急いで消したと分かる。


「移設されています」


 ミラが床の固定痕を指す。逃げた痕跡は、急いだ痕跡でもある。


 私は屈み込み、床板の間に残った紙片を拾う。薄い罫線、練習用の枠。ここはただ文書を作る部屋じゃない。署名や筆跡を“育てる”場所だったのだ。


 奥の保管箱から、署名訓練票が見つかった。


 SMP-R13。


 RとVの筆跡練習。癖を人工的に揃えるための原紙だった。


 私は静かに息を吐く。


 これで“同じ署名が多すぎる理由”に、説明がつく。


 ミラが紙を光にかざす。


「同じ文字でも、練習段階が違います。こっちは初期、こっちは完成形」


「つまり一人じゃない」


 私が言うと、ユリウスが頷いた。


「量産だ。責任の複製装置として運用されていた可能性が高い」


 責任の複製装置。

 その表現はぞっとするほど正確だった。誰か一人が偽署名をするのではなく、何人もが似た署名を作れるように育てられていれば、責任はぼやける。追跡されても、“似ているだけ”で逃げられる。


 私は室内を見回す。空の机、抜かれた引き出し、磨かれすぎた床。ここではきっと何度も、他人の名前が練習され、他人の責任が書き換えられてきた。


 ユリウスが壁際の棚を叩くと、奥から薄い台帳が一冊落ちた。ROOM-C13。設備管理台帳だ。


「旧C-2設備台帳。搬出先欄がある」


 私は急いで開く。だが肝心の搬出先は墨で潰されていた。


「……徹底してる」


「でも消し方が甘いです」


 ミラが紙を斜めに傾ける。墨の下に、押し痕だけ残っている。


 完全に消すのは難しい。消したい人間ほど、痕跡を強く押しつける。


「後で写しを取ろう」


 私はそう言って台帳を封印袋へ移した。


 ふと、部屋の匂いに気づく。古紙とインクの匂いに混じって、わずかに薬品臭が残っていた。筆跡の修正液か、紙の退色処理か、あるいはもっと別のものか。ここがただの書類部屋ではない証拠が、目に見えないところにも残っている。


「代筆室は、噂じゃない」


 私は半ば自分に言い聞かせるように呟いた。


「制度化された隠蔽装置だった」


 その時、Kiteが扉の外から低く言った。


「俺は入らない。ここで覚えた人間が、何人も消えた」


 私は振り向く。彼は中を見ようともしない。見たくない記憶があるのだろう。


「なら、見なくていい」


 私は答える。


「その代わり、ここが本当にあったって証言だけ残してください」


 Kiteはしばらく黙り、それから短く頷いた。


 私は封印袋を閉じる。


 ここまで来て、ようやく分かった。

 私を断罪したのは誰か一人の悪意じゃない。悪意を回しやすくする仕組みだった。


 なら、壊すべき相手も同じだ。

 個人だけでなく、その仕組みごと。


 部屋を出る前、私はもう一度だけ振り返った。空の机しかないはずなのに、ここには妙な圧が残っている。長い間、他人の名前がここで書き換えられてきた重みだ。


 ミラが小さく呟く。


「私、ちょっとだけ分かります」


「何が?」


「書記って、正しく書くための仕事なのに、ここでは“正しく見えるように書く”訓練をしてたんですね」


 その言葉が胸に沈んだ。


 正しく書く。

 正しく見えるように書く。


 似ているようで、まるで違う。


 私は壁際の塗り直し跡に指を触れた。冷たい。けれど、その下には消しきれなかった傷がある。


「だからこそ、こっちは正しく残すしかない」


 私が言うと、ユリウスが短く応じた。


「残れば、いつか効く」


 その確信に、少しだけ救われる。


 卒業式の日、私には“正しく残す”ための時間がなかった。今は違う。遅くても、回り道でも、紙に残せる。


 私は封印袋の口を強く押さえた。


 この部屋の存在を、今度こそ誰にも“噂だった”と言わせないために。


 Kiteは最後まで部屋の中へ入らなかった。入口の影から一歩も動かず、ただ私たちが持ち出す紙束だけを見ている。


「中を見ないんですね」


 私が聞くと、彼は少しだけ間を置いた。


「見たら、まだそこで働いてる気がする」


 その答えに、私は何も返せなかった。


 制度に踏み潰された人間は、外へ逃げてもなお、その制度の部屋の中で立ち尽くしていることがある。


 だからこそ、ここを“存在した”と記録することに意味がある。今もそこに縛られている記憶まで、外へ出してやれるかもしれないからだ。


 私は封印袋を抱え直した。


 代筆室の実在は、上流の責任を示す証拠であると同時に、ここで使い潰された人たちが確かにいた証拠でもある。


 その両方を、今度は消させない。


 部屋を離れる直前、私は床に残った細い傷をもう一度見た。机を引きずった跡。逃げた人間は、綺麗に消したつもりでも、重さだけは消せない。


 仕組みも同じだ。

 長く使われた隠蔽は、どこかに必ず重みを残す。

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