公開監査への扉
王都運用課の受付は、監査院の命令書を見た途端に笑った。
「ここは管轄外です。お引き取りを」
その笑い方は、こちらがまだ“辺境から来た外様”のままだと思っている人間のものだった。王都では、門前払いもまた制度の一部として洗練されている。丁寧に拒絶し、丁寧に時間を奪い、丁寧に証拠を消す。そういう場所だ。
私はREQ-O11を机に置く。
直監査要求書。つまり、“ここから先はあなたたちの都合で扉を閉められない”と告げるための紙だ。
「予備審査受理票SUB-E08に基づく直監査要求です。管轄外の主張は、受理後には通りません」
受付係は書類を弾いた。
「受理は入口でしかない」
「入口を閉める権限は、あなたにありません」
私が答えると、周囲の書記たちが一瞬だけ手を止めた。王都の役所では、声を荒げるより静かな断言のほうがよく響く。
ユリウスが前へ出る。
「臨時共同監査枠を発令する。ACT-O11」
受付の顔色が変わる。奥の執務卓で、誰かが慌てて端末を閉じた。
中盤で構図が反転する。追い返される側から、入室権を持つ側へ。
だが通れたから勝ち、ではない。王都の役所は、入室の一歩先から本気で証拠を隠し始める。
ミラが耳打ちした。
「夜間端末記録、今まさに封鎖かけてます」
私は拳を握る。
遅れれば消える。だから走る。
廊下を進む間にも、周囲の視線が刺さる。追放された令嬢が戻ってきた――そういう噂がもう回っているのだろう。私は顔を上げたまま歩いた。俯けば、その視線に意味を与えてしまう。
「怖いか」
不意にユリウスが訊いた。
「怖いです」
私は即答する。
「でも、ここで引くほうがもっと怖い」
彼はそれ以上何も言わなかった。ただ歩幅だけが少し合う。あの人なりの気遣いなのだと、最近ようやく分かってきた。
夜間端末室前には、すでに封鎖札が吊られかけていた。私はその紙端を押さえる。
「封鎖理由は?」
端末管理官が答える。
「保守更新です」
「更新申請番号は」
返答が一拍遅れる。その遅れだけで十分だった。
「番号が出ない更新はありません」
ユリウスがACT-O11を管理官の前へ差し出す。
「共同監査対象として、封鎖を一時停止する。異議があるなら書面で出せ」
管理官は歯を食いしばるが、書面は出せない。出せば記録が残るからだ。
私は端末室の扉へ手をかけながら思う。
卒業式の日、私には一枚の書面も味方しなかった。今は違う。まだ弱い。まだ途中だ。それでも、書面をこちらの手で動かせる。
この日の勝敗は“入れたかどうか”ではない。封鎖前に、何を押さえるかだ。
私は最後に振り返り、ミラへ言う。
「入ったら最初に保全ログを取って。説明より先に記録」
「はい」
扉が開く。
王都の中心に近づくほど、空気は薄くなる。
けれどそこで息を止めたら、また同じように誰かが押し潰される。
だから進む。
今回守るのは、私の名誉だけじゃない。
医療費を待つ患者、黙って帳簿を書き換えさせられてきた書記、保護名目で消されかけたKite――数字の向こうにいる人たちだ。
そのためなら、王都の笑い声くらい、いくらでも踏み越えられる。
端末室へ入る前、私は受付卓の脇に積まれた申請箱を見た。表向きは整然としているのに、右端の箱だけが異様に軽い。記録を扱う場所では、軽さもまた異常だ。
「この箱、今日の分ですか」
私が聞くと、受付係は肩を強ばらせた。
「……保留案件だ」
「保留なら保留番号があるはずです」
返答が詰まる。ミラがすかさず箱の背表紙を確認し、小声で告げた。
「枝番が飛んでます。三件分」
私は頷いた。入室を拒むことに失敗したなら、次は箱の中身を減らしている。やり方が露骨になってきたのは、向こうが本当に焦っている証拠だった。
ユリウスが静かに言う。
「端末だけ見ても足りないな。申請箱、保留票、更新札。全部保全する」
「了解」
王都では、証拠は一つの部屋にだけあるわけじゃない。受付、回廊、控室、保留箱。誰かが“ただの事務処理”と思っているところに、一番無防備な痕跡が残る。
私は申請箱の側面を撫でる。新しい擦り傷が一本走っていた。急いで別の箱と入れ替えた痕だ。
「監査官」
「分かっている。ここはもう、入口から改ざんが始まっている」
その言葉を聞いた瞬間、妙に気持ちが落ち着いた。敵がはっきりすると、人は少しだけ前へ進みやすい。
私が王都で怖かったのは、何もかもが整いすぎていて、どこから壊れているのか分からなかったからだ。でも今は違う。箱の軽さ、枝番の飛び、閉じられかけた端末。壊れている場所が、手で触れる範囲まで下りてきている。
それなら、追える。
私は命令書の余白に追記を入れた。
『受付保留案件三件、即時照合対象に追加』
紙は増える。仕事も増える。
それでも、増えた紙のぶんだけ逃げ道は減る。
王都に戻ってきた意味は、たぶんこういう瞬間にある。
同じ場所で、同じように押し返されるためじゃない。
同じ場所の綻びを、今度は自分の手で広げるために戻ってきたのだ。
受付の向こうで、書記の一人が視線を逸らした。知らない顔だったが、その仕草だけは見覚えがある。王宮で、間違いに気づいても黙ることを覚えた人間の目だ。
私はその目を正面から見返さなかった。
今は責めるより先に、残すべきものを増やす時だ。




