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婚約破棄された実務令嬢は、監査院で王国を再設計する  作者: ヲワ・おわり


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断罪式と欠番台帳

 卒業式の講堂に、拍手はなかった。あったのは、ざわめきと、期待に似た熱だけだった。


「侯爵令嬢セリナ・アルフェン。君との婚約は、ここで破棄する」


 壇上で王太子レオンが言い切る。彼の隣には、最近やけに王宮会計局へ出入りしていた補佐官イネス。悲しげな顔を作るのが上手い女だ。


「理由は明白だ。王宮予算の不正流用。主犯は君である」


 息を呑む音。遠巻きのささやき。誰かの安堵、誰かの好奇。講堂は裁判所ではなく劇場だった。


 私は反論資料を持っていない。つい一刻前まで確認していたのは祝賀挨拶文で、断罪状ではない。準備させないのは、手続きで勝てない側がよく使う手だ。


「異議はありますか?」


 レオンは儀礼だけ尋ねる。質問ではなく、進行確認。


 言いたいことは山ほどある。けれどこの場で言葉を重ねても、聞く側の耳はもう閉じている。なら、私は別のものを見る。


 彼の手元の婚約破棄通知。


 王家式の赤い封蝋、紙質、行間。見慣れた様式。だが違和感が二つあった。


 第一に、理由条項が空白。王家と貴族家の婚約解消は契約扱いで、理由文言が必須。情緒ではなく文書で処理する――五年間、私が守ってきた最低限の秩序だ。


 第二に、公印の外周。正規印は細い二重線。紙に乗っているのは単線。


 偽造と断定はできない。だが、雑だ。急いで作った文書ほど、末端が荒れる。


「異議は?」


 二度目の催促。


「……ありません」


 私は頭を下げた。


 どよめきが広がる。従順だと受け取った顔。勝ったと思った顔。どちらでもいい。ここで勝てない勝負をしても、次の一手が死ぬ。


 署名を求められる。羽ペン先が震えた。怒りか、屈辱か、寝不足か。判別は後でいい。


 セリナ・アルフェン。


 名前を書いたあと、右上の管理番号を見た。


 K-442。


 表面上は正しい。だが王宮書記局の運用では四半期コードが必要だ。これでは照合検索に引っかからない。後日、記録を追いにくくするための欠落。


 視線を上げると、レオンは満足げに頷いた。


「本日付で王宮業務から解任、王都外への退去を命ずる。以上だ」


 速すぎる。通常、実務担当者の解任は引き継ぎ審査だけで三日かかる。今日は三時間で終わらせるつもりらしい。


 証拠を残したくないのだ。



 夕刻、私は王都南門を出る荷車の後部に座っていた。同行衛兵は二名。丁重な言葉遣いの監視付き追放。


 石畳が土道に変わるころ、馬車列の一台が停まった。封印箱が積まれている。王宮文書庫発、焼却処分便。


「何を焼くのですか」


 私が聞くと、若い衛兵が鼻で笑った。


「年度末の不要文書だ。お前には関係ない」


 関係ない文書なんて、たいてい嘘だ。


 箱の蓋が揺れ、束ねられた紙端が覗く。見慣れた灰青の表紙。監査台帳。その端に番号が見えた。


 A-771。


 息が止まる。A帯七百番台は中央会計の中核記録。保管期限十年。焼却に回るはずがない。


「その箱、確認させてください」


「命令にない」


 私は首飾りの裏から薄い銅板を取り出した。王宮実務責任者の補助証。解任後は無効だが、照合には時間がかかる。


「照合してください。責任は私が負います。三十秒だけでいい」


 年長の衛兵が眉をしかめる。


「今のお前に責任を負う立場はない」


「なら、あなたの立場で拒否してください。中央会計A帯台帳を、規定外で焼却したと記録に残るだけです」


 沈黙。若い衛兵が年長者に小声で言う。


「……面倒になります」


 年長者は舌打ちし、箱を半分だけ開いた。


「三十秒。触るだけだ」


 私は頷き、台帳束をめくる。A-769、A-770、次がA-772。


 A-771がない。


 欠番。


 ただの抜けではない。綴じ紐の切断痕が新しい。紙繊維が白く、まだ毛羽立っている。最近抜かれた痕跡だ。


 さらにA-772最終ページ。検収欄の押印が、昼に見た婚約破棄通知と同じ単線。


 私は袖口に隠した極薄の転写紙を滑らせ、押印部だけ写し取る。正式な複写ではない。だが、痕跡は残る。


「時間だ」


 腕を掴まれ、私は台帳を戻した。封印箱の蓋が閉じる音が、やけに大きく響く。


 荷車が再び走り出す。


 私は膝上で転写紙を開き、薄暗い中で目を凝らした。


 印の外周は単線。

 検収者欄には署名――『R. Voss』。


 王宮中央会計で、婚約文書の体裁に口を出せる立場。数は多くない。



 夜。中継宿の狭い部屋。窓は小さく、風は冷たい。


 粗い机に紙を並べ、私は順番に書き出した。


 一、婚約破棄通知の理由条項欠落。

 二、通知の公印外周が単線。

 三、台帳A-771の欠番。

 四、A-772の押印一致。

 五、署名R. Voss。


 点は五つ。線はまだない。


 それでも、断罪劇が偶然でないことは確信できる。


 この国の監査は、感情を採点しない。

 誰が、いつ、どの手続きで、何を承認したか。

 証跡が繋がれば、地位も血筋も言い訳にはならない。


 私は自分の名誉のためだけに動くつもりはなかった。私の名義で提出され、私の名義で運用された業務がある。あの書類に関わった下級書記や倉庫係まで「不正側」として処分されるのは、違う。


 守るべきものは、私一人の評判じゃない。


 私は帳場から借りた便箋に、短く書く。


『辺境監査院 宛

 緊急執行手続きに関する照会を希望。

 証拠ID仮登録: A-771

 添付: 押印転写(非公式)』


 迷った末、さらに一行を足した。


『追記: 断罪文書の起案者が実務側に存在する可能性あり。

 文言様式は会計局起案文に近似』


 蝋を落とし、封を閉じる。熱が冷えて、赤が固まる。


 明日になれば、私はただの追放令嬢だ。

 王都では「罪を認めて消えた女」として語られるだろう。


 それでもいい。


 番号は嘘をつかない。

 手続きは裏切らない。


 終わりではない。

 ここが、始まりだ。

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