故郷を離れた家族
「――なぜ、先祖代々暮らしてきたグウィネス公爵領を離れたかって? そうだなぁ、少し長い話になっちまうんだが……」
男は遠い目をして、手元の酒杯を揺らした。
「私ら夫婦は、どちらもグウィネス公爵領の同じ田舎町の生まれでね。私は酒屋の息子、女房は郊外の葡萄農家の娘だった。まあ、何もない小さな町さ。それでも女房は世界一素敵な女性で……おっと、惚気話になっちまって申し訳ない。とにかく、私らは結婚して二男二女に恵まれた。子供たちはすくすくと育ち、貧しいながらも幸せに過ごしていたんだ」
男は一度言葉を切り、懐かしむように目を細める。
「そもそも、あの領地を出ていくなんて考えたこともなかった。グウィネス公爵領は、庶民の子供でも教会で読み書きや計算を学ぶ機会があるし、何より土地税が他領の半分ほどと格安だったからね。……どうしてそんなに安いのかって? さあ……なんでも先代が王家との間に特別な取引をしたとかいう噂だったが、それにしたって、こっそり税を水増しするような悪徳貴族も多いだろう? 公爵様は、本当に情け深いお方だったのさ」
だが、男の表情にふと暗い影が差す。
「おかしなことが始まったのは、一番下の子が三歳の頃……そうそう、当時の公爵家のお嬢様、アナスタシア様がお生まれになった年だ。その頃から、うちの自慢だった葡萄が、どういうわけか上手く育たなくなった。
土が悪いのか、水が悪いのか、それとも天候のせいか……理由は分からんが、実る果実が妙に苦くなってね。舌に残るような、得体の知れない嫌な苦みだ。
商売は大打撃さ。結局、高級酒に使うはずの葡萄は、安酒の原料として二束三文で卸すしかなくなった。まあ、それでも日々はなんとかなるもんさ。酒場の方は繁盛していたしね」
男の指が、机の傷をなぞる。
「それまでは、子供たちもおやつ代わりに葡萄をよくつまんでいたんだが、一番下以外の子らは『変な味がする』と言って食べるのをやめてしまった。だが、まだ三歳だった末っ子は舌が肥えてなかったんだろう。嫌がりもせず、籠の中の苦い葡萄を毎日食べていた。
……異変が起きたのは、それからさ。
あの子は夜中に突然起き出しては、農場の隅っこで、狂ったように土を掘り返すようになったんだ」
「夢遊病の類かと思ったよ。医者に診せ、占い師の婆さんに祈祷も頼んだが、何一つ効果はない。しまいには寝ている間に外へ出ないよう、あの子を紐でベッドに繋ぎ止めるしかなかった。……そうすると、あの子は獣のような声で叫ぶんだ。真っ暗な部屋で、のたうち回る我が子を見るのは、本当にたまらんもんだったよ」
男の声が、微かに震える。
「そのうち近所では、うちが子供を虐待しているなんて噂が立ち始めた。葡萄は売れ残る一方だし、酒場からは客の足が遠のく。……最後は逃げるように、泣く泣く土地を離れたってわけさ」
「……あの子のその後かい? ああ、不思議なことに、領地を出て別の土地へ引っ越した途端、憑き物が落ちたみたいにコロッと治ったよ。今じゃ元気に酒場で働いてるよ。一体なんだったのかねぇ、あれは……。まるで、あの土地の土の下に、何かが埋まっていたんじゃないかって……今でも時々、背中が寒くなることがあるんだ」




