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三方よし

作者: 岸 蓮斗

(きし) 蓮斗(れんと)です。宜しくお願いします。

歴史上の人物を基に描いたフィクションです。

 俺の名は日野(ひの)彰人(あきと)


 投資コンサルタントをしている。肩書きこそ立派だが、やっていることは人の欲を利用して金を巻き上げるだけだ。


 相手が夢を見たがっているから、その夢を売ってやる。ファンドだの、株だの、土地だの──形のあるなしなんて関係ない。金さえ転がり込めば、あとはどうなろうと知ったことではない。


 商売ってのは結局、どれだけ儲けるかがすべてだ。


 ──ある日。


 取引帰りに立ち寄った古びた神社。


 賽銭箱の前で手を合わせた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。


「……なんだ?」


 目を開けると、木造の町並み。着物姿の人々が行き交い、髷を結った荷車を引く男、紙風船を追う子供たち。


「……時代劇か?」


 だがカメラも電線もない。足元には「寛永通宝」。背筋に冷たいものが走った。


 スマホを確認すると「圏外」。頬をつねっても痛みは消えず、腹は減り汗は吹き出す。──どうやら現実らしい。


 数日間、町を駆け回ったが、怪訝な顔で追い返されるばかり。井戸水すら得られず、喉はカラカラに。


(……こんなところで餓死するのか……)


 視界が滲み、体は地面に崩れ落ち、意識は闇に沈んだ。



 目を覚ますと、木の天井が見えた。薄暗い部屋。布団の中に寝かされている。


「おお、目を覚ましたか。無理せんほうがええ」


 振り向くと、中年の男が座っていた。端正な顔にきりりと結われた髷。眼差しは穏やかだった。


「……あんたは?」


(もり)五郎(ごろう)兵衛(べえ)。近江から出てきた商人じゃ」


 俺が町で行き倒れているのを見つけ、見捨てられずにここへ連れてきたという。奉公人が湯を差し出すと、五郎兵衛は何のためらいもなく渡してくれた。


「飲め。遠慮はいらん」


 喉を潤すと、生き返るようだった。


「……俺はただの流れ者だ。身元は明かせない」


 未来から来たと言っても信じてもらえそうにないと思い、俺はそう口にした。五郎兵衛は笑った。


「それでよい。うちでは奉公人も旅の者も分け隔てせん。働きたいなら、明日から手を貸してくれ」


「……いいのか?」


「腹を満たせば、人は働ける。働けばまた飯が食える。それが商いというものじゃ」


 胸が熱くなった。この男は理由も過去も問わず、ただ「生かす」ことを選んだのだ。



 翌日から、俺は奉公人たちと肩を並べて働くことになった。


 最初は訝しんでいた彼らも、五郎兵衛が「同じ仲間だ」と言うと、反対する者はいなかった。


 荷運び、帳場の雑務、掃除。慣れない仕事にへとへとになりながらも、誰かと並んで働く感覚は妙に心地よかった。


 ──働き始めて数日。


 帳場に座り数字を眺めながら、奉公人のひとりに帳簿のつけ方を教わっていた。


 そこへ、五郎兵衛が現れた。


「どうだ、商いの流れは少しは見えてきたか」


「ああ……でも、不思議だ。俺が知ってる商売のやり方と違う。もっと利益をかき集められるはずだろ?」


 五郎兵衛は笑みを浮かべ、帳簿を指でなぞった。


「商売とは、ただ金を増やすだけのものではない。近江商人の心に伝わる“三方よし”──売り手よし、買い手よし、世間よし。これを忘れれば、どんな商いも長くは続かぬ」


「……売り手と買い手は分かる。でも“世間よし”って?」


「商いは人と人の間に成り立つもの。町が栄え、人が暮らしやすくなる。そこまで考えてこそ、初めて商いは価値を持つのじゃ」


 その言葉は、まだ俺には腑に落ちなかった。


(世間なんてどうでもいいだろ。大事なのは自分の利益だ……)



 ──ある夜。


 遠くで「火事だあ!」と叫ぶ声が響き、鐘が急を告げる。町人たちが慌ただしく飛び出していく。


 俺も寝床から飛び起き、蔵の外へ出た。空は赤く染まり、火の粉が雪のように舞う。木造の家々は炎に弱く、火はあっという間に広がっていった。


「五郎兵衛様、蔵を守らねば!」


 奉公人たちが叫ぶ。だが五郎兵衛は落ち着いた声で言った。


「物はまた作れる。命は戻らぬ。まずは近所の者を助けよ。米も布も、あるだけ配れ!」


 俺は呆然とその光景を見つめる。奉公人たちは火事の被害者に物資を配り、炊き出しの粥を手渡していた。


(……馬鹿か? この状況でタダで配るなんて。資産を守るのが先だろう)


 だが、涙を流し頭を下げる町人たち──その光景が胸に突き刺さった。自分なら絶対にしないことだ。五郎兵衛は人の命のために、ためらわず財を差し出していた。


「案ずるな! 皆が生きていれば、商いも町も立ち直る。まずは命だ!」


 その声で、思わず拳を握った。


(……俺が知ってる商売と、この人の商売は別物だ……)


 ──翌朝。


 焼け跡に集まった町人たちは次々に頭を下げた。


「五郎兵衛様、昨夜は助かりました!」


「米がなければ飢え死にしていました」


 五郎兵衛は微笑み、淡々と言う。


「商いとは、売り手よし、買い手よし、世間よし。皆が共に生きてこそ町も栄える。困ったときに手を差し伸べるのは当然のことじゃ」


 俺は胸を打たれた。客を食い物にするのが商売だと思っていた俺にとって、「世間よし」の概念は衝撃だった。


 昨夜の行動で人々の信頼は厚くなっていた。大工は「恩を返します」と言い、魚屋も「真っ先に届けます」と誓う。


(……なぜだ。損をしたのに、信用を得ている。金より、確かなものを……)


 俺は五郎兵衛を見つめた。陽の光を浴びるその姿は、俺の知るどんな経営者とも違っていた。


(……こんな商売のやり方が、本当にあるのか……)


 胸の奥に、これまで感じたことのない熱が広がっていった。



 ──火事から数日後。


 焼け出された家々の前で、町人たちは瓦礫を片付け、再建の準備をしていた。俺も五郎兵衛の指示で、運び込まれた米や布、反物を町人に配る手伝いをしている。


 最初は戸惑った。瓦礫の上を歩き、重い米俵を運び、倒れた柱や材木をよける。ここでは自分の体力と判断力だけが頼りだ。


 だが、手渡した品に対して人々が心から感謝するのを目にして、胸の奥が熱くなる。


「日野さん、あなたのおかげで家族みんな無事です!」


「昨日の米のおかげで今日も仕事に行けます」


 かつての俺なら、金を取るか、自分の利益しか考えなかった。だが今、笑顔と頭を下げる姿を前に、自然と手が動き、声が出る。


「気にするな、これでみんなが助かるならそれでいい」


 職人や商人も少しずつ顔を出し、道具や米、布を分けるたびに町全体が明るさを取り戻していく。


 ふと、五郎兵衛の言葉を思い出す。


「売り手よし、買い手よし、世間よし──この三つが揃うから、商いは長く続くのじゃ」


 今、目の前でそれを実感する。物を渡すことで、売り手も、買い手も、町全体も良くなる。金だけでは得られない、確かな価値がここにある。


(……これが、“三方よし”の意味か……)


 子どもたちはまた遊び、職人たちは道具を手に仕事を再開する。町人たちは笑顔を取り戻し、自然と互いに助け合っていた。


 俺は胸の奥に温かさを感じ、微笑む。火事によって変わった町の中で、初めて「人のために働く」充実感を味わっていた。



 ──ある朝。


 目を覚ますと、俺は現代のアパートのベッドにいた。


 あの江戸の町も、五郎兵衛の笑顔も、すべて夢だったのか。長い夢だったのかもしれない。だが、心の奥には、五郎兵衛が教えてくれた「三方よし」の考えが確かに残っている。


それだけは、真実だ。


「……よし。これからは、本物の商いをしてやる。金だけを追わず、皆が幸せになる商いを──」

森五郎兵衛の時代には「三方よし」という言葉はなかったものの、その考え方は近江商人たちによって広まりました。200年以上も前に、現代のCSRやSDGsにも通じる考え方があったこと、同じ日本人として誇りに思います。


日本人には、昔からこうした価値観が根づいていたのですね。


最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
日本人っていいなと心が温かくなりました。 現在の日本ではwin-winと言う考え方が海外からやってきましたが、私は三方よしの方が好きです。 会計とは何を取り引きするものなのか?──信用なんだそうです(…
「三方良し」…私の住む湖県では良く聞いた言葉ですね! 峠が険しければ険しいほど、行商に行く商人の数は少なくなると考え、積極的に活動した八幡商人の物語がなろうで読めるとは夢にも思いませんでした!(*人´…
 「三方よし」。素晴らしい出会いで、主人公は大事なことを心に刻むことが出来ましたね。読んでいて快いお話でした。
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