国葬に参列します
聖堂内の最前列に座るエルザは、近衛兵たちによって周囲を厳重に警護されている人物を黒ベール越しに眺めていた。
この国では皇帝だけが許される純白の衣装を身に纏ったその人──イリニーム・トールキン。
トールキン帝国の現皇帝である。
髪色はアルフィと同じ光り輝く銀髪で、肩先までの長さがある。
背が高く、年齢はエルザよりも上の二十三歳と聞いている。
しかし、彼がどんな顔立ちをしているのか、国民はおろか臣下でさえ知らない者のほうが多い。
目視できる距離にいるはずなのに認識できないのは、皇帝が人前に出るときには常に仮面で顔を隠しているから。
国から公式に発表がされているのは、年齢だけだった。
トールキン帝国では、戴冠式を終えるまでは皇帝の正体を明かさないのが古くからのしきたりとのこと。
「おそらく、暗殺を恐れてのことだったのだろうな」とリアムは語っていたが、平和な現代では形骸化し残っているようだ。
◇
国葬は、厳かに粛々と行われた。
大聖堂に一堂に会した貴族たちは前皇帝の偉業を口々に称え、涙しながら別れの挨拶をしていく。
その様子を、エルザたちは席に着いたまま黙って見つめるのみ。
式の最中は一切口を開いてはならず、身動ぎひとつできない。
泣くことも許されず、ただ皇族としての威厳を保たなければならないのだ。
◇
国葬のあと、エルザたちは大聖堂の奥にある墓地にいた。
いつの間にか雨が降り出しており、傍らには傘を持った司祭がそれぞれ付き添っている。
ここは皇族専用の墓地で、これから前皇帝も正妃の隣に埋葬され永遠の眠りにつく。
敷地内には、皇族・司祭・皇帝を護衛する近衛兵以外は立ち入ることが禁止されている。
納棺が終わるまでは、エルザとアルフィは今の場所から一歩も動いてはならない。
現皇帝イリニームが見守るなか棺が納められ、司祭たちによって土がかけられていく。
ヴィオレットに扮しているエルザは、目を閉じ黙とうを捧げる。
そのときだった。
「父上!!」
突然、アルフィが走り出し棺に駆け寄ろうとした……が、水たまりに足を取られ転倒する。
周囲はざわついたが、アルフィを助け起こしに行くことはできない。
アルフィの向かった先が別の場所であれば問題はなかったが、彼は皇帝に近づきすぎていた。
子供のアルフィが問答無用で切られることは、まずない。しかし、大人は違う。
許可なく皇帝に近づくことは叛意があると見なされ、場合によっては近衛兵によって切り捨てられることもあるのだ。
司祭たちはハラハラしながら見つめているが、アルフィはまだ立ち上がることができない。
その間にも、彼は雨に打たれ続けている。
さらに激しくなった雨音だけが聞こえるなか、サッと動いたのは黒いドレスの女性。エルザだった。
近衛兵はすぐさま反応するが、皇帝がそれを制する。
まだ、二人の間の距離は十分にある。まずは、様子見ということなのだろう
周囲が緊張感を持って注目するなか、エルザは真っすぐアルフィのところへ向かう。
抱き起し、泥だらけの顔を綺麗なハンカチで拭った。
「……母上」
抱きついてきたアルフィを、エルザもしっかりと抱きしめ返す。
皇帝の命によって泥だらけの母子に傘が差しかけられたのは、それからすぐのことだった。
◇
「ハックション!」
翌朝、貴族令嬢らしからぬくしゃみを連発しているエルザは、ベッドで臥せっていた。
昨日、泥だらけのドレスで馬車に戻ったエルザにマイアは唖然としていたが、さすがは侍女の鏡。
理由は尋ねられず、離宮へ戻るとすぐに湯浴みの準備が整った。
泥汚れをしっかりと落とし、温かい紅茶を飲んでエルザは早めに就寝したのだが、今朝起きたら熱が出ていたのだ。
(アルフィ殿下は、大丈夫なのかしら?)
墓地での出来事は箝口令が敷かれているため、口外することはできない。
自分以上に雨に濡れていた幼い皇子が心配だが、様子を尋ねることもできず、エルザは朝から悶々と過ごしていた。
「エルザ様、リアム様からお見舞いの品が届きましたよ」
マイアが、花が生けられた花瓶を持って部屋に入ってくる。
「わあ、綺麗ね。でも、私の具合が悪いって、リアムがどうして知っているのかしら?」
「皇帝陛下が、直々にお尋ねになられたそうですよ。今朝、リアム様より問い合わせがございました」
「そうだったのね……」
「一緒にお菓子も頂きましたが、お召し上がりになられますか?」
「ええ、お願い」
体調が悪くとも、めったなことではエルザの食欲は衰えない。
すぐに準備のため部屋を出ていったマイアを見送ったあと、エルザはホッと安堵する。
皇帝に正体がバレたのかと一瞬焦ったが、そうではなかった。
リアムによると、皇帝へはヴィオレットが出奔した件は報告されていないとのこと。
こんな重要なことを、なぜ?と思ったエルザへ、リアムが「秘匿している理由を知りたいか?」と例の笑顔で聞いてきた。
もちろん、「いいえ、滅相もございません!」と謹んで即お断りしたが。
「絶対に、『聞かなきゃよかった!』と思うような内容に決まっているわ……」
エルザが耳にした噂では、現皇帝はヴィオレットを疎ましく思っているらしい。
その理由が、自分を側妃に召し抱えろ!としつこく要求したからだと聞き、エルザは開いた口がふさがらなかった。
歴史を振り返ればそのような慣習があった時代もあるが、今は違う。
あまりにも非常識なヴィオレットの言動に、何も言葉が出ないエルザだった。