悪女と呼ばれる理由
「では、まずはお召し変えをいたしましょう」
今のエルザは、パールス宮へ入る前に支度部屋に寄り侍女のお仕着せに着替えていた。
地毛である薄紅色の髪を大きなヘッドドレスで隠し、さらに、マイアが用意していた伊達眼鏡まで掛け変装をしている。
それらを全て脱ぎ、デイジーが持ってきたゆったりとした部屋着に着替えると、エルザはソファーに腰を下ろす。
「長旅、お疲れさまでございました。お茶を用意いたしましたので、どうぞ」
「ありがとうございます」
マイア・デイジー母娘は仕事が早い。
エルザが一息ついている間に、てきぱきとテーブルの上に紅茶と数種類のジャムが並べられた。
「わあ、私これを一度飲んでみたかったんです! 嬉しい!!」
「エルザ様は、こちらをご存知でしたか。では、お召し上がり方も……」
「はい。好みのジャムを、好みの量入れて飲むのですよね? 本に書いてありました」
「本……ですか?」
首をかしげた母娘を見やりながら、エルザはおもむろに本を取り出す。
国から着てきた私服は侍女の支度部屋へ置いてきたが、大事な私物は籠に入れ離宮まで持ってきていた。
「それは『帝都恋物語』じゃないですか! 私も大好きなんです!!」
「私も、お気に入りなの!!」
好みが一緒ね!と笑い合う二人の前に、険しい表情のマイアが立つ。
「……ゴホン。デイジー、言葉を慎みなさい」
「あっ……エルザ様、大変申し訳ございませんでした」
つい興奮し素が出てしまったデイジーは、慌てて頭を下げる。
実母とはいえ、侍女頭であるマイアは容赦なく娘へも指導を行う。
そこには、侍女としての矜持が見えた。
「ああ、もう……お互いまどろっこしいから、これから言葉遣いは気楽な感じでお願い! もちろん、外ではちゃんと取り繕うから安心して」
「エルザ様はともかく、デイジーは許されません。侍女が、主に対してそのような言葉遣いなど……」
「『主』と言っても偽者だし、その私が『良い』って言っているのだから問題ないでしょう? それに、私はリアムやローマンとも、道中ではこんな感じだったからね」
二人と気の置けない関係になれたからこそ、長旅も楽しむことができた。
お互いに気を遣っていたら、途中で疲れ果ててしまっていたことだろう。
「……宰相様のご子息様方にそのような口をきけるなんて、エルザ様は大物です」
「えっ? デイジー、誰が宰相様のご子息だって?」
「リアム様とローマン様です」
「う、嘘でしょう?!」
「ふふふ……エルザ様、残念ながら本当です」
「・・・・・」
二人ともそれなりの家の令息だとは思っていたが、まさか予想より遥か上の大物だったとは。
宰相を務める家ならば、侯爵家。もしかしたら、公爵家かもしれない。
知らなかったこととはいえ、木っ端子爵家の分際でこれまでの態度は有り得ない。
エルザは過去の自分をぶん殴りたくなった。
───とはいえ、今さら二人への態度を改めるつもりは毛頭ないエルザだった。
◇
「この度は、無理難題の依頼を快く引き受けてくださり、ありがとうございます」
深々と頭を下げる人物へ「私は快く引き受けたわけではなく、あなたの隣に座るご子息様の圧に負けて……」とは言えないエルザは、にこりと曖昧な笑みを浮かべた。
この国の宰相であるグレイソンがリアム・ローマンと共に離宮へやって来たのは、紅茶を飲みながらエルザとデイジーが『帝都恋物語』話に花を咲かせていたときだった。
急な来客に、「着替え! 側妃の変装!!」とエルザは慌てふためいたが、マイアの「宰相様は事情をご存じです」の言葉にすぐに冷静になる。
この国の中で誰が裏事情を知っていて、誰が協力者なのか、エルザは一切聞かされていない。
訪問者があるたび心臓に悪いのは勘弁してほしいと、切実に思うエルザだ。
「大まかな話はリアムからあったと思いますが、何分、外では大っぴらにできない話もございまして、これまで説明が不十分だったことを深くお詫び申し上げます」
「では、今日ようやく詳細を話していただけるのでしょうか?」
「はい。まずは、エルザ殿に演じていただくヴィオレット妃のことからお話しましょう。ご覧の通り、現在このパールス宮に側妃本人はおりません。ですので、あなたに依頼した次第です」
「ヴィオレット妃は何らかの理由でこちらにはいらっしゃらないが、いずれはお戻りになられる。その間の代役を、私が務めるという認識でよろしいですか?」
「その通りです。ただし、側妃がいつ戻られるのかはっきりしないため、契約期間の延長をお願いする可能性もございます。もちろん、その場合は追加報酬をお支払いいたしますので」
リアムは『長くても半年』と言っていたが、それが延びる可能性があることをエルザは初めて知った。
両親たちはオーリーに丸め込まれており心配をかけることはないが、期間がはっきりしないのは自分の気持ち的に困る。
少し迷ったが、エルザは質問をしてみることにした。
「あの、側妃はご病気なのでしょうか?」
「……ただの病気であれば、その事実を公表するだけで終わったのです。あなたに、わざわざ悪女を演じていただく必要もなく」
「…………」
側妃は病気ではない。では、他にどんな不在理由が考えられるのか。
考えを巡らせたところで、ふとグレイソンも口にした『悪女』という言葉が引っ掛かった。
リアムも「『悪女』を演じてほしい」と言っていた。
もしかして『悪女』と訳すのは誤りなのでは? エルザは心配になった。
『ねえ、リアム。トールキン語の『悪女』って、メイベルナ語の『悪い女の人』とか『悪役令嬢』と同じ意味であってる?』
『ああ、意味は同じだぞ。間違いない』
リアムへ念のためメイベルナ語で尋ねてみたが、やはり単語の解釈は間違っていなかった。
『そういえば確認をしていなかったけど、どうして皆が側妃を『悪女』呼ばわりしているの?』
『それは、ヴィオレット妃のこれまでの言動のせいだな。侍女や従僕に対してだけでなく、周囲の人間へ横柄な態度をとったり、色目を使ってたぶらかしたり……』
『…………』
話を聞く限りでは、ヴィオレット妃はなかなか難ある性格の持ち主のようだ。
これでは、悪女と呼ばれても仕方がないとしか言いようがない。
『まさか、不在の理由もそこに関係しているとか?』
『エルザに隠してもいずれはバレると思うから、事実を話す。ただし、このことは絶対に他言無用だ』
リアムからの圧に、エルザは当然とばかりに大きく頷く。
隣へ座る父親へ会話内容を説明したリアムは、薄紫色の瞳を再びエルザへ向けた。
『ヴィオレット妃は……男と逃げた』
『……はい?』
『愛人と出奔したんだ。だから、パールス宮には居ない』
(!?)
思いもよらないリアムの言葉。
なぜ彼女が『悪女』呼ばわりされているのか、エルザがはっきりと理解した瞬間だった。