帝都へ
帝都に入るためには、検問所を通らなければならない。
皆が順番待ちの行列を作っている横を、エルザたちの馬車が颯爽と通り抜けていった。
「リアムとローマンは別として、私は検査を受けなくて良かったのかしら」
「俺たちと一緒だから、問題はないぞ」
「なんだか、申し訳ないわね……」
下位貴族であるエルザは、母国で特別扱いをされたことなど一度もない。
長い行列を待つ人たちに、後ろめたさを感じてしまった。
そんなエルザだったが、帝都に入ってすぐ、ある物に目を奪われる。
「ねえ、あれって中央広場にある噴水から流れている水路? 聖夜祭のときに、ランタンを飾るという……」
「そうだが、エルザはよく知っているな?」
「だって、この本に出てくるもの! 主人公が、恋人と一緒にランタンへ順番に火を灯していくのよ!!」
興奮気味のエルザが取り出したのは、もちろん『帝都恋物語』。
何度も読み返しているため、物語に登場する聖地は頭の中にすべて入っている。
「『帝都恋物語』? そんな本があるのか?」
「やっぱり、リアムは知らないのね。これは、メイベルナ王国でも大人気の物語なのよ」
「ふ~ん」
「俺は知っているぞ。読んだことがあるからな」
「えっ! ローマンが読んだことがあるなんて、ちょっと意外だったわ。だったら、『クグロフ菓子店』ってこの通り沿いにある? 物語だと『大通り沿い』としか書いていなくて、具体的な場所までははっきりわからないのよね……」
「あの店は、この通りではない。北の大通り沿いだからな」
「そっか、残念だわ」
「……時間があるから、少しなら寄り道してもいいぞ」
「本当!?」
興味なさそうに二人の話を聞いていたリアムが、素晴らしい提案をしてくれた。
彼の後ろから後光が差している(ように見える)。
エルザは思わず拝んでしまった。
やや遠回りをした馬車は、店の手前で少し速度を落としてくれた。
エルザは、店の外観と周囲の景色をしっかりと目に焼き付ける。
次は、自力で来られるように。
店名にもなっている『クグロフ』を買うために。
「リアム、ローマン、ありがとう。今日だけで、二か所も聖地を見ることができたわ」
「『聖地』って、宗教的な場所のことか?」
「ううん、違うの。物語に登場する実在の場所のことを『聖地』といって、それらを巡ることを『聖地巡礼』というのよ。私はこの国にいる間に、帝都にある『帝都恋物語』の聖地をすべて巡るつもりなの!」
そのためにトールキン語を勉強したと熱く語るエルザは、尋常ではない熱意と行動力に二人がドン引きしていたことに気づいていない。
◇◇◇
物語に登場するような煌びやかな宮殿を想像していたエルザは、陽光に照らされた重厚感あふれる堅牢な石造りの建物にしばし圧倒される。
「見た目が城塞のようで、エルザが思っていた宮殿と違ったか? 昔は、帝都は別の場所にあって、ここは住居と要塞を兼ねた建物だったから、今もこんな無骨な建造物のままなんだ。まあ、中はかなり改装されているから、住むのに何ら不便はないが……」
「リアムたちも、宮殿に住んでいるの?」
「ああ、俺らも部屋を与えられているからな」
「そう。それは、心強いわね」
他国の宮殿にぽつんと一人取り残されるのは心細いが、二人も近くにいてくれるのならばこれほどの安心感はない。
思わず笑顔になったエルザに、「さて、そろそろ行くか」とリアムが声をかけた。
「宮殿へ入るには厳しいチェックがあるが、今日は俺たちと一緒だから問題ない。これが、エルザの身分証明書だ」
エルザが渡されたのは、金属製のカードのようなもの。
端っこに小さい穴が開いており、紐が通されている。
「出入りするときにはこれが必要だから、落としたりしないよう首にかけられるようになっている。ただ、エルザは個人的な用事で外出する時にだけ持ち歩いて、それ以外は部屋で保管したほうがいいだろう」
側妃であるヴィオレット妃は、もちろんチェックなどされない。
そんな彼女が身分証を持ち歩いていたら却って怪しまれるため、エルザはリアムの提案に素直に頷いておく。
「エルザは『俺たちの親戚の紹介』で、今日から侍女として宮殿で働くことになっている。仕事場は、ヴィオレット妃の離宮だ」
「リアムたちは私を侍女頭のところまでは連れていってくれるから、その後は彼女の指示に従えばいいのよね?」
「ああ。侍女頭のマイアは我々の協力者だから、安心してくれ」
「わかったわ」
通常ならばリアムたちは馬車に乗ったまま門を通過するのだが、エルザへ使用人用の通用口を教えるために門の外で馬車を停める。
ローマンが最初に馬車から降り、続いてリアム、最後にエルザ。
くるりと後ろを向いたリアムが、慣れた手付きで手を差し出す。
たしかに、これまでの道中ではずっとリアムがエルザをエスコートしており、その癖でつい今日もしてしまったのだろう。
しかし、これから使用人として働く女性へ、身分が上であるリアムがエスコートをするのはおかしな話。
一瞬、リアムが何をしているのかわからず、エルザはきょとんと彼の顔を見つめてしまったのだった。
◇
「こちらが、ヴィオレット妃がお住まいのパールス宮です」
侍女頭のマイアの声で、エルザは視線を向ける。
回廊を抜けた先に現れたのは、塔のような建物。その後ろに箱型のものも見える。
他の建造物と同じく、どちらも外観は無骨。
とても側妃が住まう場所には見えず、エルザは牢獄のような印象を持った。
入り口となる塔の前には衛兵がおり、こちらでも出入りの者を厳しく見張っている。
マイアは衛兵に「この娘は、新しい侍女です」と告げ、二人は中へ入った。
建物内は改装されていて、リアムが言う通り古びた感じは一切ない。
冷たい印象を受ける石畳には暖色系の厚い絨毯が敷かれ、味気ない壁には色彩豊かなタペストリーや絵画が飾られている。
入ってすぐの広間が吹き抜けになっており、エルザが上を見上げるとらせん階段が上階へと続いていた。
「パールス宮は地上三階、地下一階建てとなっております。地下部屋は倉庫ですので、エルザ様は立ち入られないようお願いいたします」
「わかりました」
マイアの説明によると、一階は広間の他に第一応接室や厨房などがあり、二階に第二応接室や客間・湯浴み部屋など。
三階が、主であるヴィオレット妃の居室、衣裳部屋、侍女部屋などがあるとのこと。
マイアの後に続いて、エルザはゆっくりとらせん階段を登っていく。
所々にある小さな窓が明かり取りの役割を果たしていて、今日のような天気の良い昼間であれば、ランタンの灯りがなくとも室内はかなり明るい。
エルザが案内されたのは、三階にある広い部屋だった。
室内には豪華なシャンデリアが吊り下げられ、執務机やソファーセット、奥に天蓋付きのベッドまである。
見たこともない見事なガラス細工のシャンデリアに、エルザはしばし見惚れてしまった。
「こちらが、ヴィオレット妃の私室でございます。そして、そちらに居りますのが離宮付きの侍女デイジーです」
「エルザ様、初めまして。私はデイジーと申します。本日より、よろしくお願いいたします」
「エルザです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「デイジーは私の娘でして、パールス宮の侍女は私共二人だけになります」
「ここを、お二人だけで管理されているのですか?」
「下働きの者は他に何人もおりますが、すべて通いです。以前は侍女も大勢おりましたが、今は私たち母娘だけということでございます」
「なるほど……」
成りすましの件を知る者を最小限に抑えるために、このような形になっているのだとエルザは理解した。