どうせなら、死ぬ前に……
移動の初日、エルザは悲壮感を漂わせていた。
長時間座っていてもお尻の痛くならない、座り心地の良い座席。
休憩ごとに提供される、見た目も味も香りも良いお菓子や紅茶。
これが聖地巡礼へ向かう旅ならば、馬車の中で嬉々として行動計画を練っていたことだろう。
しかし、残念ながらこれは死地へと向かう片道切符。
役目を終えても、母国へは二度と戻れない。
トールキン帝国で、良くて監禁。最悪の場合、殺処分されてしまうのだ。
考えただけで、気持ちが下向きになってしまう。
虚ろな目で車窓からの景色を眺めながら、エルザは終始ため息を吐いていたのだった。
◇
翌日、初日こそ悲愴感を漂わせていたエルザだったが、どうせ死ぬならば好きなように生きてやろうと心機一転、開き直る。
馬車に乗り込むなり、同年代に見えるリアムたちへ態度や言葉遣いを取り繕うことを一切止めた。
「えっと……エルザさん? 急に、どうされたのですか?」
リアムは急激な変化に戸惑い、無口なローマンも目を丸くしている。
「これが私の素の姿だから、どうもこうもないの。好きなことを好きなだけやってから、死のうと思って。だって、後悔したくないもの」
「えっ、死ぬ? エルザさんが?」
「私のことは、『エルザ』と呼んで。私も『リアム』『ローマン』って呼ぶから。あと、言葉遣いも改めなくていいわよ」
「わかり…わかった。エルザがそう言うなら、そうさせてもらう。それで、死ぬとはどういうことだ?」
エルザの提案に、リアムもローマンも思うところはなかったようだ。
かくして、気安い関係が構築されることとなった。
「だって、依頼が済んだら私は消されるのでしょう?」
「消す? ああ、大事な説明をしていなかったな。悪いが、帰国する前にエルザの『記憶の一部』を魔法で操作させてもらうぞ」
「ん? 消すのは記憶だけ? 私は殺されずに、生きて国に帰れるの?」
「『消される』………ププッ、アハハ!」
馬車の向かい側で腹を抱えて笑っているリアムは、先日は一つに纏めていた髪を下ろしていたせいで、笑い転げた拍子に見目麗しい顔が隠れてしまった。
ローマンも、端整な顔立ちに困惑の表情を浮かべている。
容姿の整った二人は、どんな仕草も表情も絵になる。
面会時には見惚れていたエルザだったが、もうすでに見慣れてしまった。
今は路傍の石を見るように、何の感慨も抱かない。
「エルザは、殺されると本気で思っていたのか?」
「だって、こんな怪しげな仕事だもの、終わった途端に口封じのために消されるか監禁されると思うじゃない!」
「そんなことで人を監禁したり殺めるほうが、後処理も含めよほど手間がかかると思うぞ。それに、もしそのつもりなら、人目に付かないように誘拐するんじゃないか?」
冷静になって考えてみれば、たしかにリアムの言う通り。
自分は本の読み過ぎで、思考が現実離れしていたのかもしれない。
頭の冷えたエルザは、二人の呆れた視線からそっと目をそらした。
「だから、さっき説明したように、任務終了後に魔法でエルザの記憶の一部だけを操作させてもらうんだ」
「もう一度確認するけど、本当にあなたの言うことを信じていいのね? 先日も今も、リアムの顔は何か悪いことを企んでいる顔にしか見えないから……」
「『悪いことを企んでいる顔』って、どんな顔だよ!」
「……たしかに、こいつは交渉時にはいつも胡散臭い顔をしている。それは、俺も否定しない」
「ほらほら、ローマンだってやっぱりそう思ってた!……って、ローマンは人見知りなの? 初めて会話をした気がするわ」
「二人とも、いくら何でも失礼すぎるぞ!! あと、コイツが無口だったのは、メイベルナ語が理解できないから。俺もエルザも、今はトールキン語で会話をしているからな」
無口で愛想がないと思われたローマンだが、人見知りではなくただ単にメイベルナ語を理解していないだけだった。
リアムから暴露され、「余計なことを言うな!」「本当のことを言って、何が悪い!」と突如喧嘩が始まる。
エルザが「まあまあ、二人とも落ち着いて」と仲裁に入る事態となったのだった。
◇
その後も、たまに勃発する男同士の子供っぽいいざこざをエルザが止めに入る場面が何度もあったが、なんだかんだと三人は楽しく旅を続けていた。
喧嘩するほど仲が良いリアムとローマンは、エルザより三つ年上の二十三歳。
二人は異母兄弟の関係にあるとのこと。
上官からの命で今回の交渉役に抜擢されたリアムは文官、ローマンは道中の護衛を務める魔法戦士であると聞き、「たしかに、ローマンのほうが強そうね」と言ったエルザにリアムは不満そうだ。
「お、俺だって、いざとなれば戦う術くらい持っているんだぞ!」
「なんで急に、ローマンと張り合ってくるのよ。リアムは口が達者なんだから、いいじゃない。文官の武器は話術。あなたみたいに、交渉術に長けているのが一番でしょう?」
「それは、そうだが……」
「こいつは坊ちゃんだから、昔から我が儘で負けず嫌いで少々面倒くさい奴なんだ」
「おまえだって、そうだろうが!」
「はいはい、すぐ喧嘩しないの」
エルザの喧嘩さばきも慣れたものだ。
「あなた達が良いところの出自なのは、言われなくてもわかってたわ。だって、二人とも着ている服からして、私のとは全然違ったからね」
いま彼らが着ている服も面会時とは異なるが、高級品であることは誰の目にも明らか。
それに引きかえエルザが着ている服は、手持ちの中では高い部類に入るが、二人のと比較するのは失礼だと感じてしまうほどのもの。
「お金持ちの家で、なお且つ『森人』に生まれたことを、一生感謝しなさいよ」
「ん? 何だ、その『えるふ』って……」
「『えるふ』じゃなくて、『エ・ル・フ』! 物語に登場する妖精のことだけど、リアムは知らないの?」
「俺は、基本的に『経済学』か『政治学』の本しか読まないから、知らん」
「へえ~、意外に真面目なのね……」
さすが宮廷に仕える文官だと、エルザは素直に尊敬のまなざしを向ける。
「エルザ、遠慮せずにもっと俺を褒めてもいいんだぞ?」
「……こういうところが、面倒くさいと言われる所以なのね。納得したわ」
「面倒くさいって、言うな!」
「あはは! 本当にエルザは容赦ないな……」
バッサリと切り捨てたエルザにリアムが言い返し、ローマンが爆笑する。
そんなことを繰り返している間に国境門へたどり着く。
いよいよ、トールキン帝国へ入国するときが来た。
二人と軽口を叩き合っていたエルザだが、さすがに緊張の色は隠せない。
「大丈夫だ。俺がついているから、心配するな」
「リアム、頼りにしているわよ」
少々面倒くさい性格ではあるが頼もしい台詞を吐く森人に、エルザは自身の命運を託すと決めた。
それに、頑張れば特上のご褒美が待っているのだから、やるしかない。
『働かざる者、食うべからず』ならぬ『働かざる者、趣味に生きるべからず』。
この言葉を胸に、エルザは決意を新たにしたのだった。