早く迎えに来てくれないから……
幕間の休憩時間、エルザは皇弟とお茶を飲んでいた。
トールキン流に紅茶へジャムを入れて飲んでいるエルザに対して、皇弟は何も入れていない。
「劇はどうだ? 楽しんでいるか?」
「はい。所々、原作にはない演出が舞台ならではで、楽しいです」
「そうか、それは良かった」
いつまでも敬う態度を崩さないエルザに皇弟は少し寂しげだが、それでも微笑みを浮かべている。
「国へ帰ったら、エルザはまた聖地巡礼の続きをするのだろう?」
「……それは、許されるのでしょうか? 新参者のわたくしが勝手な振る舞いをすれば、他の方との間に無用な軋轢が生じると思いますが……」
「うん? 他の方?」
「わたくしの他に、側妃は何人いらっしゃるのですか?」
「側妃はいないぞ。エルザだけだ」
「では、正妃はどのような御方ですか? ぜひ、仲良くさせていただき───」
「さっきから、何を言っているんだ? 正妃はエルザだぞ」
「…………えっ?」
子爵家の自分が 皇弟の正妃?
そんなことは、絶対にあり得ない。
「……リアム、エルザはまだ過去の記憶が戻っていない。おまえがきちんと説明をしないと、国へ帰るまで誤解したままだぞ」
ローマンは、半ば呆れた顔をしている。
「そうか、エルザすまない」
皇弟は「不安にさせてしまって、悪かった」と頭を下げた。
「俺の妃は、後にも先にもエルザ一人だけだ。側妃を娶ることはない」
「でも、皇弟殿下のお立場でそれは許されません」
「周囲へは、すでに説得済みだ。皇帝陛下も認めてくださっている。それに……」
皇弟は、一瞬遠い目をした。
「求婚したときに、他にも奥さんがいる人と結婚はできないと、はっきりと断られたからな……」
「?!」
エルザは、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
重婚を理由に、皇弟からの求婚を断る。
(皇弟が身分を隠していたとはいえ)子爵家の分際で、不敬にも程がある。
どうやら、過去の自分はいろいろとやらかしていたらしい。
恐れを知らぬ行動に、恥ずかしさを通り越して恐怖さえ覚える。
と同時に、大きな疑問が浮かんだ。
「他にも知りたいことがあれば、何でも聞いてくれ」
「…………」
「エルザ?」
「あの……」
「うん?」
「皇弟殿下は……」
「俺が?」
「わたくしの……」
「エルザの?」
「どこが良くて、求婚をされたのですか?」
「…………うん?」
「自分で申し上げるのも何ですが、私は貴族令嬢らしくありません。自分の好きなことをして、自分勝手に生きています。容姿も性格も可愛げがあるとはお世話にも言えず、難があると言っても過言ではありません!」
エルザは取り繕うことなく客観的事実を一気にまくし立て、「ふう」と息をついた。
「それなのに、どうして……」
「ハハハ! 急に何を言い出すのかと思えば……まあ、エルザらしいが」
皇弟は、穏やかなまなざしを向ける。
後ろでは、ローマンが腹を抱えて笑っていた。
「それもこれも、以前の記憶がないから不安に思ってしまうのだな」
そっとエルザの手を取った皇弟は、優しく握りしめる。
「理由は簡単だ。そんなエルザを好ましいと思った。これからも傍にいたかった。だから、求婚したのだ」
「…………」
「これだけでは、納得できないか?」
「……いいえ」
皇弟は、ありのままのエルザを受け入れてくれている。
取り繕った姿ではなく、自然体でよいと。
以前の二人の関係が、何となく見えてきた。
記憶を封印される前は、きっと対等の立場で向き合っていたのだろう。
皇弟がニコニコしている。何処となく嬉しそうにも見える。
手は握りしめられたままだ。
不安や懸念は払拭された。
過去の自分が、皇弟を好きになった気持ちが理解できた。
この人と共に生きていきたい。素直にそう思う。
彼とどんな関係を築いてきたのか。早く過去の記憶を取り戻したい。
エルザは強く願った。
◇
〚舞台の最後の幕が上がる〛
クロエとネイサンは、旧城壁の上に立っていた。
帝都を一望できる高台から、二人はまもなく沈む夕陽を眺めている。
それぞれの左手首には、お揃いのブレスレットが着けられていた。
カランコロンと、大聖堂の鐘の音が鳴り響く。
トールキン帝国にいたときは、毎日耳にしていた懐かしい音色だ。
『×××……ごめんなさい』
また、自分の声が聞こえた。今度は、誰かに謝っている。
夕日を背に立つネイサンの後ろ姿を見ているだけで、息が苦しくなる。
どうしようもなく胸がざわめく。
「ネイサン、愛してる……これからも、ずっと」
「俺も、愛してる」
(あなたのことだけは、忘れずにいたかったな……)
それは、エルザの心の声だった。
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
短髪のネイサンの後ろ姿が、長髪の淡い灰色髪へ変化し、誰かの後ろ姿と重なる。
エルザは涙を拭いもせず、隣に座る人物へ顔を向けた。
「エルザ、どうした?」
「……リアムのバカ。早く迎えに来てくれないから私…あなたのこと忘れちゃったじゃない……」
「記憶が、戻ったのか?」
エルザはコクリと頷く。
「相変わらず強引だし……私の記憶がないうちから婚約とか婚姻とか、意味がわからないわ」
「ハハハ……すまない。俺は我が儘だからな」
「それに、後出しの情報も多すぎだし……」
エルザは大きなため息をつく。
「あなたは、宰相様のご子息じゃなかったの? 皇弟だなんて、私は聞いていないわよ」
「…………」
「たかだか子爵家の娘が、他国の皇族へ嫁ぐなんて……」
「身分は関係ない。誰が何と言おうと、俺の気持ちは変わらない。エルザでなければ駄目なんだ」
「…………」
「エルザ、トールキン帝国へ帰ろう。アルフィや皆が待っている。姉…皇帝陛下は賛成してくれているし、他の重鎮たちへはきちんと根回しをしてある。もう、誰にも文句は言わせない」
アルフィにマデニス。マイアにデイジー。女帝のイリニーム。
皆の顔が次々と思い浮かぶ。
「記憶が封印される前に、せめて夢の中だけでもあなたに会いたいと願った。でも、これは夢ではないのよね?」
「エルザ……」
「リアム、また会えて嬉しいわ。迎えに来てくれて、約束を守ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして」
エルザの涙を指で拭ったリアムが、そのまま顔を寄せていく。
近衛兵のローマンは、今だけ後ろを向いた。
徐々に二人の顔が近づく。
触れ合う寸前、舞台が暗転した。
◇
舞台が明るくなると、結婚式の場面に転換していた。
クロエは、ネイサンから贈られたマートル(銀梅花)冠を被っている。
家族や友人たちに祝福され、物語は大団円で幕を閉じた。
カーテンコールでは、エルザは立ったまま拍手をしている。
リアムも同様だ。
鳴り止まない拍手は、しばらくの間続いたのだった。
◇◇◇
翌朝、セルフィード家の屋敷に一台の馬車が到着する。
エルザは一度離宮へ行き、リアムとトールキン帝国へ旅立つ。
迎えに来たトールキン帝国の近衛兵二人に、両親が「よろしくお願いいたします」と挨拶をしている。
エルザは、近衛兵の一人がローマンだとすぐに気づいた。
彼はリアム付きのはずなのに、なぜ?と首を傾げたところで、もう一人と目が合う。
落ち着いた淡い灰色髪に薄紫色の瞳の人物が、ニヤリと笑う。
エルザは思わず二度見した。
「……リアム、(皇弟殿下が変装し離宮を抜け出して)こんなところで何をしているのかしら?」
「もちろん、ご両親へ挨拶をするためだ」
当然だろうと言わんばかりの顔をしているリアムの隣で、ローマンが疲れたように大きなため息をついた。
どうやら、朝からひと悶着あったようだ。
リアムから、早く紹介してくれと言わんばかりの圧を感じる。
両親の反応が予想できるだけに、エルザの本音を言えば紹介はしたくない。
しかし、皇弟自ら挨拶をすると言っているのに、無視するわけにもいかない。
エルザは覚悟を決めた。
「父さん、母さん、改めて紹介するわ。こちらが、トールキン帝国でお世話になったローマン様。そして、こちらが──」
「私は、リーアム・トールキンという。先触れもなしに、突然すまない」
「トールキン様? まさかとは思うが……エルザベート、私の想像されている方とは違うよな?」
「えっと……父さん、驚かせてごめんなさい! その『まさか』なの……」
「「えー?!」」
朝から、両親の大絶叫が屋敷中に響き渡る。
父は顎が外れんとばかりに驚愕し、母は腰を抜かしたのだった。




