周囲の反応と観劇
その後、トールキン帝国の豪華な馬車でエルザは自宅まで送り届けられた。
離宮を出る前に皇弟が「俺も一緒に行くぞ!」と主張し、ローマンが「いい加減、自分の置かれた立場を自覚しろ!」と喧嘩が始まる。
どうすれば良いのか、あたふたするエルザを見て、二人はすぐに冷静になった。
『「まあまあ、二人とも落ち着いて」と言ってもらえないと、調子が狂うな……』
『フフッ、そうだな』
謎の会話に、ひとり首をかしげたエルザだった。
◇
家に帰ったエルザを待ち構えていたのは、両親と兄弟だった。
着替えをする時間も与えられず、部屋に押し込まれる。
人払いし、皇弟との関係を根掘り葉掘り聞かれた。
事前に、どういう経緯で皇弟がエルザへ婚約を申し込むことになったのか、表向きの理由は聞いていた。
だから、エルザはそのまま説明をする。
「トールキン帝国でお世話になった方が、今回、皇弟殿下の近衛兵をされていたの。道中で私の話を聞かれた皇弟殿下が、興味を持たれたみたいで───」
歓迎パーティーで近衛兵と再会の挨拶をしているところを見ていた皇弟が、エルザを気に入った。
つまり、その場で見初められたということ。
「トールキン語を流暢に話している姿を、気に入られたのか……?」
「婚約を解消されてから趣味三昧の生活を送っていた妹が、まさか見初められるとは……」
「姉さん、すごい! 玉の輿だね!!」
「わたくしは心配よ。娘を他国へ嫁がせるなど……しかも、相手は皇族の方よ」
家族は、様々な反応を見せる。
「父さん、一応確認なんだけど、この話をお断りすることは……」
「できるわけが、ないだろう! 皇弟殿下は、メイベルナ王家を通して正式に使者を送られた。つまり、王家も公認された婚約話なのだぞ。もし、これを断ればセルフィード家は国外追放…一家離散も覚悟せねばならぬ」
「やっぱり、そういう感じなのね」
エルザだって、わかってはいた。
皇族との結婚が、大したことがないわけはないと。
「明日には、王家から発表される。これから、対応に忙しくなるぞ」
「これは、商機でもありますね?」
「ああ、そうだな。それと、おまえたちへ婚約話が殺到しそうだな」
「えっ、兄さんだけでなく僕にも?」
「おまえには、婿入りの話が来るだろうな。さて、事情はわかった。さっそく今から、対策会議を始めるぞ!」
やはり、父と兄は商魂たくましい。
この様子なら、自分がトールキン帝国へ行ったあとも我が家は安泰だろう。
あれこれ相談を始めた男三人を眺めているエルザの隣に、母が座った。
「今日、皇弟殿下と話はしたの?」
「うん、少しだけ」
「歓迎パーティーではお姿を遠目にしか拝見していないから、私たちでは殿下の人となりは全くわからないわ」
「…………」
高位貴族であれば、パーティーで歓談することもできる。
しかし、下位貴族の子爵家ではおいそれと近づくこともできない。
皇家と子爵家。
改めて、明確な身分差を思い知らされる。
「殿下は、お優しそうな方よ。近衛兵とも、気さくに話をされるし……」
「あちらの国では、重婚が認められているそうね?」
「ええ、そうなのよ」
「エルザは、これから文化の違いで苦労するかもしれないわ。母として力になってあげられなくて……ごめんね」
「母さん……」
母の気遣いが、娘を心配する気持ちが、痛いほど伝わってくる。
皇弟には、おそらく国に正妃がいるのだろう。
子爵家の自分は、何番目かの側妃として迎えられる。
でも、それを承知の上で、過去の自分は求婚を受け入れたのだ。
それだけ、彼を愛していたということ。
左手のブレスレットへ、無意識に手が伸びる。
シャラリと音がした。
◇◇◇
『子爵家の令嬢が、歓迎パーティーで皇弟に見初められる』
『身分差を乗り越え、婚約者となった』
メイベルナ王国の社交界では、この話題で持ち切りだ。
父の予想通り、連日セルフィード家へは業務提携から縁談まで、様々な話が持ち込まれている。
そして、エルザへは、皇弟から毎日贈り物が届いていた。
通常、男性から女性へ贈るものといえば、花やドレス・装飾品などが定番だ。
しかし、皇弟から贈られるものはひと味違う。
メイベルナ王国では手に入りにくい書籍や、珍しい他国の菓子など。
エルザの好みを完全に把握し、熟知したものだった。
◇
この日、エルザの私室を訪れていたのは、友人のキャロラインとフロレンシアだった。
トールキン帝国の使節団は明日すべての予定を終え、明後日には帰国の途につく。
皇弟とともに、エルザも国を発つ。
その前に、送別の会が開かれていた。
「それにしても、王族並みの警備ですわね……」
紅茶を一口飲んだフロレンシアが、窓の外へ視線を向ける。
庭園には、庭木の手入れをする庭師の他に、騎士たちの姿が見えた。
「皇弟殿下の婚約者に何かありましたら、外交問題に発展しますもの。メイベルナ王国としては、当然の対応ですわ」
キャロラインは、当然とばかりに頷いている。
訪問者に対しても、入念な身辺調査が行われている。
小ぢんまりとしたセルフィード家の屋敷は、内も外も厳重な警備体制が敷かれていた。
「あちらの国へ行っても毎日こんな感じかと思うと、気が滅入るわ……」
エルザの顔は、いつになく冴えない。
これまでは気軽に外へ出かけられたのに、今はどこへ行くにも護衛騎士がついて来る。
のんびりと書店巡りをしたいが、付き合わせてしまう彼らに申し訳なく、屋敷に引きこもりがちになる。
そのため、最近はもっぱら、皇弟から贈られた本を読み気分転換をしていた。
「明日は、外出ができますわ。愛しの方にも会えますし……ふふふ」
明日、王都の大劇場で『帝都恋物語』の舞台が上演される。
オーリーの劇団が普段使用している劇場ではなく、使節団の来場に合わせた特別な舞台だ。
貸切のため、観客は貴族や金持ちなどの上流階級に限られている。
庶民へは、後日公開される予定だ。
「エルザの恋のお相手が、皇弟殿下だったなんて……まるで物語の主人公のようですわね」
友人たちは、エルザと皇弟が仕事で知り合ったと知っている。
歓迎パーティーで見初められたわけではないことを。
もちろん、彼女たちが口外することは絶対にないが。
「…………」
「エルザベート、どうかしたのですか? あまり、元気がないようですが」
「本当に私でいいのかしら?って、考えてしまうことが多くて……」
政略婚であれば、エルザもこんな不安を口にすることはない。
お互い、家のためだと割り切れる。貴族とは、そういうものだと。
しかし、今回は政略婚ではない。
(記憶はないが)お互いが惹かれ合っての恋愛婚だ。
「エルザベート、結婚前に不安に思うのは皆同じです。でも、先のことで心配や懸念があるのであれば、一人で悩まず殿下へ相談するべきだと思いますわ」
「そうですわ。エルザに笑顔がなかったら、婚約者の方が心配されますわよ?」
「ふふふ、そうかもしれないわね……」
エルザは、形だけの笑みを浮かべた。
◇
翌日、エルザは離宮を訪れていた。
侍女数人によって身支度を整えられたエルザは、鏡で全身を確認する。
薄い菫色に所々銀の刺繍が入ったドレスは、皇弟がエルザのために数か月前から用意していた特注品だ。
普通に考えれば、歓迎パーティーで見初めた相手の寸法に合わせた特注ドレスを、出会うよりも先に自国で準備することはできない…はずなのだが、従者たちは誰も疑問を口にはしない。
ローマンだけが、 「事前に用意していたら、周囲からおかしいと思われるぞ!」とリアムへ突っ込んだのだった。
扉がノックされ、颯爽と皇弟が入ってくる。後ろにローマンが続く。
入れ違いに、侍女たちが退室していった。
ローマンがいつものように防音の魔法をかけたところで、皇弟がエルザを抱きしめる。
「エルザ、とても綺麗だ。よく似合っている」
「あ、ありがとうございます」
親善大使としての務めがある皇弟は連日予定が詰まっており、会うのは歓迎パーティー以来となる。
森人のような見目麗しい顔が間近にあり、ドキドキする。
エルザはさり気なく視線を逸らした。
「どうした? 顔色がすぐれないようだが……」
「い、いえ、大丈夫です。舞台が楽しみで、昨夜はあまり眠れなかっただけですので」
「ハハハ! エルザらしいな。でも、体調はしっかりと整えておいてくれ。トールキン帝国までは、長旅になるからな」
「はい」
皇弟のエスコートで、エルザは劇場へ向かった。
◇
二人が案内された席は、ロイヤルボックス席だった。
ここは、通常であれば王族しか使用できない特別な場所だ。
メイベルナ王国が、いかにトールキン帝国との関係を重視しているかがわかる。
ロイヤルボックス席は、舞台の真正面に位置している。
他のボックス席と比べると、部屋の広さも天井の高さも倍以上。
視界を遮るものは何もなく、開放感に溢れていた。
十人ほどが座れる部屋の中にいるのは、エルザと皇弟、護衛を務めるローマンだけ。
最前列に腰を下ろしたエルザは、恐る恐る下を覗き込む。
一階席の客たちが、こちらを見上げていた。
よく見ると、左右に広がる通常のボックス席からも視線を感じる。
慌てて顔を引っ込めたエルザに、皇帝が吹き出した。
「ハハハ…我が愛しの婚約者殿に、皆が興味津々のようだな」
下位貴族のエルザの顔を知る者は、同じ貴族であってもそれほど多くはない。
ロイヤルボックス席へは、他の観客とは別の入り口から出入りをする。
皇弟が見初めた話題の令嬢を一目見ようと考えていた者は、肩透かしを食ったことだろう。
◇◇◇
〚舞台の幕が上がる〛
第一幕は、帝都を散策する主人公のクロエから始まる。
クロエを演じるのは、エルザが悪役令嬢スカーレット役で出演した舞台でヒロインの聖女役だったマイだ。
期待の新人は、この注目作品でもヒロインの座を掴んだようだ。
エルザは心の中で『マイちゃん、頑張って!』と大声援を送る。
街を歩いていたクロエは、若い男に絡まれてしまった。
しつこく迫ってくる男をどうにか断ろうと、必死に言い訳を捻りだす。
「私にはお付き合いをしている方がいまして、その彼は───」
「───背が高くて、真面目で……」
後の言葉を続けたのは、たまたま通りかかったネイサンだった。
エルザは、あれ?と首をかしげた。
ネイサンがクロエを助ける場面だが、原作とは台詞や状況が違う。
それなのに、なぜか既視感がある。
「───というわけで、この人は俺の彼女だから、もういいよな?」
「あ、ああ……」
男は、あっさりと引き下がった。
原作では、若い男はかなり執拗に食い下がるのだが、これは舞台だ。
限られた時間の中で、テンポよく物語を進めていかなければならない。
そのために、演出を変えたのだろう。
恋人同士のフリをするために、男の前でネイサンがクロエの手を取る。
周囲の微笑ましい視線を浴びながら、二人は退場していった。
その時、エルザの脳裏に声が響く。
『───こんな人目のある場所で×××と手をつないでいるから、皆がじろじろと見てくるの! だから、手を離して!!』
誰かに文句を言っている、自分の声だった。
◇
滞りなく、舞台は進んでいく。
中央図書館で花言葉大全集を取ってもらったクロエが、喜びのあまり興奮してネイサンから注意されたり、お腹がいっぱいなのに、茶店でネイサンが格好つけてケーキを無理やり食べるなど、原作にはないコミカルな演出が、観客の笑いを誘った。
茶店の場面では、エルザはクスッと、メイベルナ語がわからないローマンでも大きな声で笑ったのに対し、皇弟だけがなぜか気まずそうに咳払いをしていたのだった。




