再会
エルザは慌てて立ち上がると、淑女の礼をとる。
万が一にも失礼があった場合、外交問題に発展するかもしれないのだ。
「エルザ、すまない。殿下がどうしてもと言って、聞かないものだから」
「おまえだけが彼女と面会することを、この俺が許すはずがないだろう!」
皇弟は機嫌が悪いのか、せっかくの麗しい森人の顔が台無しとなっている。
状況が理解できないエルザは、立ち尽くしたまま、ただただ困惑していた。
「殿下、彼女が怖がっておりますので、少し──」
「ローマン、いつものを」
「……はい」
ローマンは右手を振ると、すぐに眉間に皺をよせた。
「リアム、おまえ少しくらいは皇弟らしく取り繕うことができないのか?』
「エルザと、ようやく再会ができたんだぞ! そんな余裕があるわけないだろう!!」
「まあ、たしかに、パーティーの最中ずっとエルザを見ていたもんな……」
呆れた視線を送るローマンを無視して、皇弟は動く。
真っすぐこちらへ向かってくる皇弟に何となく身の危険を感じたエルザは後退りするが、彼は構わず距離を詰めてくる。
そして、強引に抱き寄せられた。
「エルザ、会いたかった」
「あ、あの……」
いきなり抱きしめられ、頭が混乱する。
振り解いて逃れたいが、皇弟に対し不敬になりそうな気がして、エルザは動くことができない。
「約束通り迎えにきた。俺と一緒に国へ帰ろう」
(約束? 国へ帰る?)
初対面だから、約束を交わした覚えは当然ない。
それなのに、どうして彼はこんなにも親しげに話しかけてくるのか。
「お、畏れ入りますが、どなたかとお間違えではないかと……」
「人違いではない。おまえは、エルザベート・セルフィード……俺の、最愛の女性だ」
皇弟はエルザから離れると、左腕をまくる。
そこには、あの二枚貝のブレスレットが輝いていた。
「エルザの左腕にも、同じ物があるはずだ。それは、俺が求婚したときに贈ったものだからな」
「えっ!?」
(皇弟殿下から求婚? それを私は受け入れた?)
ずっと頭が混乱しているエルザは、ローマンに視線で助けを求める。
何がどうなっているのかさっぱりわからず、戸惑いと不安しかない。
「今のエルザは、記憶の一部を封印された状態なんだ」
「それは、わかっているわ。仕事上知り得た情報を、秘匿するためよね?」
自分も同意した上で、書類に署名もした。その記憶も残っている。
「実は、封印された記憶はそれだけじゃなかった。このリアム…皇弟リーアム・トールキンの記憶もだ」
「……私は、畏れ多くも皇弟殿下と親しくしていた。だから、記憶を消されたのね」
どうして皇弟とそんな関係になってしまったのか、まったくわからない。
それでも、相手の記憶がない理由が判明し、同時に納得もした。
まさか、友人が冗談で言った「お相手がやんごとなき身分の方で──」が当たっていたとは。
エルザは、思いも寄らなかった。
「エルザは、リアムの本当の正体を知らなかった。だから、悪いのは全部コイツだ。周囲への根回しを怠ったのだからな」
「そんな過去のことは、今はどうでもいいだろう!」
皇弟はエルザの手を取る。
「今は記憶がなくて不安かもしれないが、俺と正式に結婚すれば封印を解くことができる。だから、一緒に国へ帰るぞ」
「あの……畏れながら、皇弟殿下とは身分が違い過ぎます」
先ほどから皇弟はエルザを連れて帰ると言い張り、過去のエルザ自身も求婚を受け入れているようだ。
しかし、子爵家の令嬢には明らかに分不相応。
ここは、謹んでお断りするの一択しかない。
「ですので──」
「そんな、他人行儀な物言いはやめてくれ。それと、すでにセルフィード家へは使いを出している。エルザとの婚約を正式に申し入れするために」
「……はい?」
知らない間に、婚約話が進んでいた。
いや、勝手に進み過ぎていると言ってもよい。
「強引ですまない。エルザが戸惑うのも無理はないが、俺は早く記憶を取り戻したい。だから、少々権力を行使させてもらった」
「権力を行使したとは、どういうことでしょうか?」
皇族の権力は相当なものだ。それが、たとえ他国の者であったとしても。
家族は無事なのだろうか。不穏な言葉に不安が募る。
動揺するエルザを見かねたローマンは、皇弟へ「全然、言葉が足りていないぞ!」と小突き、「俺が説明をするから、リアムは少し黙っていろ」と言った。
「実は、エルザにはいくつか他の者との縁談話が持ち上がっていた」
「えっ?」
「それを、リアムが裏から圧力を掛けて、すべて破談にしていたんだ」
「…………」
権力を行使されたのは、どうやら家族ではなく相手側だった模様。
当事者のエルザが何も聞かされていなかったのは、両親が話をする前に皇弟が縁談を潰していたからのようだ。
「つい数日前にも縁談が一件持ち上がっていたが、もちろんリアムに即潰された。相手は、元婚約者だったそうだ」
「そんなことが……だから、彼はさっきあんなことを言っていたのね」
当事者なのに、まったく知らなかった。
元婚約者の浮気相手が妊娠をしたから、婚約を解消したはずなのに。
妻も子もいて、なぜ復縁を求めてくるのか。
エルザは理解に苦しむ。
「ハハハ、アイツが元婚約者だったのか……リアムの勘は当たったな。『あの男は嫌な感じがするから、エルザから遠ざけてくれ』と頼まれたんだ」
「『嫌な感じがする』……ふふふ、間違ってはいないかも」
「一方的に婚約を解消しておいて、再び婚約を結び直したいとは……子爵家の嫡男か何か知らんが、エルザを随分と軽んじてくれたよな」
元婚約者の浮気相手が出産した子が、別の相手との間の子だったことが発覚。
それで、婚姻そのものが解消された。
だから、エルザへ再び婚約話を持ち掛けたとのこと。
「怒り狂うおまえの暴走を必死に止める、俺の身にもなってくれ……」
婚約を解消されたエルザではなく、なぜか皇弟が激怒したらしい。
主従の関係なのに、ローマンは主へ堂々と苦言を呈する。
先ほどは、彼を小突いてもいた。
それだけで、二人の気安い関係が伝わってくる。
歓迎パーティーのときの印象とは違い、皇弟はかなり親しみやすい人物のようだ。
「コイツは一応皇弟だが、見てわかるように中身は少々子供っぽくて我が儘で、かなり面倒くさい奴だ。エルザが国にいた時も、アルフィ殿下と張り合ったりして世話をかけていた」
「アルフィ殿下と張り合う? アルフィ殿下は、まだ六歳よね?」
成人男性が子供と張り合う。しかも、年の離れた弟に対して。
耳を疑う発言に、エルザは不敬を承知で思わず聞き返してしまった。
「エルザの私室には、葉冠が一つと花冠が二つ飾ってあるよな?」
「ええ。花冠の一つは、アルフィ殿下から頂いた物よ。他は、たぶん自分で買ったと思うけど……」
エルザの記憶は、仕事に関するもの以外でも所々曖昧だ。
「残りの二つはリアムが買った物だ。花冠はアルフィ殿下に対抗意識を燃やして購入したから、後でエルザから『大人げない』と言われていた。葉冠のほうは、同じ物をリアムも持っている。エルザと、お揃いで欲しかったんだと」
「…………」
いろいろと明かされる事実に、エルザはどう反応していいのかわからない。
聖地巡礼には、皇弟も同行していたらしい。
そして、彼から花冠『マートル(銀梅花)冠』を贈られた。
この行為が何を意味するのか、過去の自分は十分理解していたはず。
理解した上で、花冠もブレスレットも受け取っていたのだ。
はっきりしたのは、過去の自分は皇弟と親しく遠慮のない関係を築き、愛されていたこと。
エルザは、皇弟へ顔を向ける。
薄紫色の瞳は、優しいまなざしでずっとこちらを見ている。
「……エルザに、またそんな顔をさせてしまったな。困らせるつもりは、なかったのだが」
「えっ?」
「仕事を依頼し、強引に国へ連れ帰ったときも、馬車の中でエルザは同じ顔をしていた」
「皇弟殿下自ら、依頼のためにメイベルナ王国まで来られたのですか?」
「極秘任務だったからな、他の者には任せられなかった」
「そうでしたか……」
記憶が封印されているから、まったく覚えていない。
それでも、悲しげな表情を浮かべる皇弟に、エルザの胸はズキッと痛んだ。




