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依頼を引き受けるなんて、一言も言っておりません!


『我々の国で『悪女』を演じてほしい』


「…………」


 真面目な顔で希望を述べたリアムに、エルザは戸惑っていた。

 彼が話した異国語が理解できなければ、再び首をかしげて終わったのだが、幸か不幸かエルザには聞き取れてしまった……その内容までしっかりと。

 

『国で悪女を演じてほしい』という依頼内容は、受けるにしても断るにしても真っ先に確認が必要だ。

 しかし、今のエルザにとってはそれよりも重要な確認事項があった。


『あの……お二人は、トールキン帝国からいらっしゃったのですか?』


『ハハハ! 事前調査の通り、やはりトールキン語を操れるのか。これは大したものだ』


 恐る恐るトールキン語で問いかけたエルザへ愉快そうに笑うリアムに、先ほどまでの面影は一つもない。

 まるで、内側から別人格が現れたようだった。


『……リアム、早く交渉しろ。全く話し声が聞こえないのは、周囲にかえって怪しまれるぞ』


『ああ、そうだな』


 笑うのを止め、リアムが愛想の良い顔に戻る。


「大変失礼いたしました。あなたがトールキン語をどれだけ理解できるのか、少々試させていただきました」


「トールキン語は、ある程度は聞き取ることも話すこともできます……ただし、発音に自信はありませんし、字は読めますが単語を書くことはまだまだです」


「それでも、素晴らしいです。それに、発音は全く問題ありませんから、是非ともこの依頼を受けていただきたい。もちろん、契約料の他に成功報酬もお支払いしますし、厚待遇をお約束します!」


 契約期間は長くても半年間で、その間の衣食住は全てこちらで用意します。金額は……興奮ぎみに早口でまくし立てるリアムの言葉には所々トールキン語が交ざるが、エルザは難なく聞き取り内容を冷静に吟味していく。

 

 聞いた限りでは、提示された契約内容は申し分ないどころか、破格すぎるほどの待遇だった。


「エルザさん、如何でしょうか?」


「内容は理解しました。ところで、『悪女』を演じる舞台はどちらにあるのですか? 帝都内の劇場でしょうか?」


 エルザにとっては、これが最も重要な確認事項だ。

 質問の返答次第で、この依頼を受けるかどうかが決まるといっても過言ではない。


 帝都内の劇場であれば休演日に聖地巡りができるため、喜んで依頼を受けるつもりだ。

 帝都に滞在する間は、衣食住が保証されるとのこと。

 つまり、聖地巡礼に掛かるはずの旅費が一切必要ない。

 おまけに、報酬まで貰える。

 

 こんな理想的な依頼があっていいのだろうか。

 まるで、夢を見ているような気持ちになる。


「これは大変失礼いたしました。つい興奮して、大事な話を失念しておりました」


 ハッハッハと笑うと、リアムは薄紫色の瞳をエルザへ向けた。


「帝都は帝都でも、『劇場』ではなく『宮殿』です」


「……はい? あの、すみませんが、もう一度場所を言っていただけませんか?」


 『宮殿』と聞こえたがおそらくは自分の聞き間違い、もしくは、他国の人だから単語を言い間違えたのだろうとエルザは解釈する。

 

『俺の発音が悪かったのか、単語が間違っていたか……』


 トールキン語で呟いたリアムは少し思案したあと、再び口を開いた。


「失礼しました。あなたに演じていただく場所は、『宮殿』です」


 やはり、リアムは『宮殿』と言っている。

 どういうこと?と思ったエルザだったが、ここでようやく自分の勘違いに気付いた。


「あっ、『宮殿内にある劇場』なのですね? そこで上演される劇に出演する──」


「いいえ、違います。エルザさんには、前皇帝の側妃であるヴィオレット妃に成りすましていただきたいのです。場所は、妃が居住されておりますパールス宮殿です」


「…………」


「あの、エルザさん?」


「……ご冗談ですよね? それとも、余興か何かとか?」


「いいえ、冗談でも余興でもありません。私は大真面目に申し上げております」


 にこりと笑ったリアムだが、その爽やかな笑顔の裏に(うごめ)く黒いものをエルザは見逃さなかった。

 

 貴族同士が腹の探り合いをしているときに、胸に一物(いちもつ)ある表情。

 父と兄が商売相手と交渉しているときに見かける、口角は上がっているが目は全く笑っていない愛想笑い。

 

 自分の中で、何かが警鐘を鳴らしていた。


「私は、まだこの仕事を始めたばかりの駆け出しです。他に、適任者がいらっしゃるのではないかと……」


「いいえ。ヴィオレット妃を演じることができるのは、セルフィード子爵家のご令嬢であるエルザベート嬢を()いて他にはおりません!」


(!?)


 なぜ、リアムが自分の正体を知っているのだろうか。

 思い返してみれば、彼はエルザがトールキン語を話せることも知っていたような口振りだった。

 

 背中に、冷たいものが一筋流れる。

 顔が強張りかけたが、(おもて)は淑女の笑みを絶やさない。

 その笑顔の裏で、どうすればこの危機を回避できるか必死に考えを巡らす。


「さて、こちらは全てお話したのですから、もちろんこの依頼を受けていただけますよね……エルザさん?」


 残念ながら、気付いたときにはもう手遅れだったようだ。

 泥濘(ぬかるみ)に半分以上足を取られたエルザの脱出は、もはや困難な状況に陥っている。

 

 押しつぶされそうなくらいの圧を放つ薄紫色の鋭い眼光を前にして、エルザのなかで『依頼を断る』の文字はあえなく消え去ったのだった。



 ◇◇◇



 劇団の応接室でリアムたちと面会した日から数日後───

 エルザは、外観は地味だが内装は豪華な馬車に乗せられていた。

 

 エルザの住むメイベルナ王国とトールキン帝国の間には、帝国の属国がある。

 移動に時間がかかるとのことで、近しい者にだけ「仕事で数か月ほど他国へ行く」と説明しただけで早急に国を出てきた。

 

 家族にはオーリーが先に話をつけていたようで、疑われることも心配されることも一切ない。

 ただ、「仕事を頑張ってこい」と送り出されたエルザ。

 

 怪しげな依頼だと知っていた(と思われる)オーリーに対しては不信感を。

 何も事情を知らない呑気な家族と友人たちには、今生の別れを告げてきたのだった。




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