悪女の所業(後編)
マリアンナは手を伸ばす。ヴィオレットは動かない。
その時、再び扉がノックされた。
『来客中にすまない。今日はもう時間がないから、また明日出直すよ』
扉の向こう側にいる声の主は、リアムだった。
マリアンナは、ハッと我に返る。
リアムが来なければ、自分は一体何をするつもりだったのか。
「リアム様~!」
扉を勢いよく開けたヴィオレットは、そのままリアムに抱きついた。
「来てくださって~嬉しいです!」
「お、お客様の前で、はしたない…ですよ」
窘めつつも優しくヴィオレットを抱きしめるリアムに、嫌そうな素振りは微塵もない。
それどころか、顔が赤く照れているのがわかる。
こんな姿を、マリアンナは一度も見たことがない。
リアムは女性に対し丁寧に対応してくれるが、境界線を引いている。
自分に深く踏み込ませない。
それなのに、ヴィオレットだけは違う。
踏み込むことを許している。愛されている。
まざまざと、現実を突き付けられた気がした。
「わ、わたくしはお邪魔のようですから、これで失礼させていただきますわ!」
マリアンナは抱き合う二人の横を通り過ぎ、そそくさと離宮を後にする。
尻尾を巻いて逃げ出す自分が、ひどく滑稽で惨めだった。
◆◆◆
「え、エルザ、もう離れてもいいぞ……」
「うん。リアム、お疲れさま!」
マリアンナが離宮を出たことを確認したリアムが声をかけると、エルザは背中へ回していた腕を外しリアムから離れた。
ベールを取り、「ふう…」と息をつく。
「それにしても、冷や冷やしたぞ。マリアンナ嬢が何かするんじゃないかと、こちらは気が気じゃなかった」
「何か仕掛けてくれたら、証拠が掴めてちょうど良かったのに……」
「馬鹿なことを言うんじゃない! あの女は狡猾だから、これからも絶対に油断をするなよ」
もともと、リアムだけはこの作戦に反対の立場だった。
それを、エルザが無理やり押し切った形だ。
◇
調査の結果、マリアンナが離宮を訪れていたことがわかった。
しかも、前皇帝が亡くなってからは、ほぼ毎日のように来ている。
薬のほうは、マリアンナのお付きの侍女たちが使用していたことが判明。
そして、その内の一人の地元では、薬に使用されている薬草で害獣駆除剤を作成していることもわかった。
状況証拠は揃っている。
しかし、マリアンナを犯人と断定する具体的な証拠はない。
現状を説明されたエルザは、だったら自分が囮になると言い出した。
相手を揺さぶれば、きっと何かを仕掛けてくる。ボロを出すかもしれないと。
これまでの状況から見て、マリアンナがヴィオレットを見下しているのは間違いない。
そんな相手から耐えがたい屈辱を受けたら、自尊心の強いマリアンナはきっと逆上するはず。
どんな内容で相手を揺さぶるか思案していたエルザへ、ローマンが提案したのはリアムを巻き込むことだった。
「自分が小馬鹿にしている相手が、自分の想い人と一緒になると知ったら、どう思う?」
ローマンから問いかけられたエルザは、即答する。「相手を殺したいと、思うかも」と。
囮になるエルザが危険だからと嫌がるリアムを宥めすかし、エルザは着々と準備を進める。
エルザは、どうしても許せなかった。
自分の欲望のために他人をいいように操り、切り捨てるような人間が。
罰も受けずに、のうのうと暮らしていることが。
そして何より、幼い子供の心を深く傷付けたことは、物語に登場する言葉を借りるならば『万死に値する行為』だと怒り心頭だ。
マリアンナを離宮へ招待する前に、向こうから見舞いと称して訪ねてきたのは好都合だった。
そして、作戦は速やかに実行される。
今日のマリアンナの反応で、エルザたちは彼女が黒幕だと確信したのだった。
◇
「それで、これからどうする?」
「一気に畳み掛けるわ。相手に考える暇を与えないために」
狡猾な相手は、時間が経てばすぐに冷静になる。
頭を働かせる余裕が生まれてくる。
その前に勝負を挑み、引導を渡したい。
「ヴィオレット妃がリアムと懇意の仲なのは、今回で十分に理解したと思う。だとすれば、次はヴィオレット妃の排除に乗り出すはずよ」
「ヴィオレット妃とは違い、マリアンナ嬢がそんな短絡的な行動をするだろうか?」
「その行動をさせるために、わざと煽って脅しをかけたのよ。(再婚の)邪魔をすれば、皇帝陛下へ(暗殺)計画を話すと」
「簡単に誘いにのってくるか、どうか……」
「のって来るわよ。じゃないと、ヴィオレット妃にリアムを奪われてしまうからね」
これまでの話と今日の言動で、マリアンナはリアムへ相当執着していることがわかった。
それは、愛情半分。もう半分は意地みたいなものだ。
自尊心の高い人物は、望んだものを手にしている自分が大好き。
望んだものが手に入らない自分は許せない。
ましてや、自分が下に見ている相手に奪われるなど、あってはならない。
だから、どんな手を使ってでも成し遂げようとするはず。
エルザの力説に、ローマンはなるほど!と大きく頷き、リアムは複雑な表情を見せる。
「物じゃあるまいし、簡単に人の心が手に入るわけがないだろう!」
「でも、リアムやローマンだったら、簡単に手に入りそうね?」
「……望んだものでなければ、手に入っても意味がない」
「リアムにも、そんな人がいるような口振りね?」
「いる……と言ったら、エルザはどうする?」
リアムは、エルザの目を見ながら尋ねた。
「そうね……意外とは思うかも。でも、あなたなら大丈夫よ。すぐに両想いになれると私が保証してあげる。だから、頑張ってね!」
「・・・・・」
「リアム、どうかした?」
「……ああ、がんばる」
エルザとリアムのやり取りの後───
リアムは苦虫を嚙み潰したような顔をし、
ローマンは腹を抱えて笑い、
デイジーは「エルザ様は、やっぱり大物ですね……」と呟いたのだった。




