悪女の所業(前編)
この日、離宮には侍女を連れた若い女が訪れていた。
「ヴィオレット妃におかれましては、無事平癒されたとのこと。本当に、よろしゅうございましたわ」
応接室にて淑女の作法で挨拶をしているのは、淡い桃色髪に空色の瞳を持つマリアンナ・トールキン。
前皇弟の娘である。
「ええ、おかげさまで~ようやく日常生活が送れるようになったのよ。マリアンナ様も~ご健勝そうでなによりですわ」
「フフッ、貴女の噂はこちらにも届いておりますのよ?」
「あら~どんな噂かしら?」
「また、侍女を叱責されているとか……」
「ホホホ、だって~使えない者ばかりなのよ? ねえ~デイジー?」
名指しされた離宮付きの侍女は、無言で下を向く。
マリアンナに帯同してきた侍女は、無表情を貫いた。
反応は返ってこなかったが、ヴィオレットが気にする様子はない。
これまでならば、さらに笑顔で罵倒していたはずなのに。
その光景が見たくて、わざと話題を振ったのに、どういうことなのか。
マリアンナは小さな違和感を覚えた。
「わたくしが~何も言わないのが、そんなに不思議ですの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「ふふふ……実は~わたくしは生まれ変わったのよ」
喪に服しているため、黒いベールを頭から被っているヴィオレットの表情は窺いしれない。
それでも、間延びした声が弾んでいるように感じた。
「瑣末なことに時間を取られるよりも~前を向こうと決めたの……愛しい人のために」
「愛しい人……前皇帝陛下のことですね?」
悪女だと周囲から忌避感を持たれているヴィオレットを、前皇帝だけは可愛がっていた。
正妃が生きている間も亡くなったあとも、前皇帝は側妃を迎えることはしなかった。
そんな彼が周囲の重圧に負け迎えたのが、ヴィオレットだった。
ヴィオレットの父とは友人で、両親を早くに亡くした彼女の後見人のような立場でもあった。
娘のように可愛がったことで、もともとは素直な性格だったヴィオレットはだんだんと前皇帝へ依存するようになり、我が儘に助長してしまう。
そして、いつしか悪女と呼ばれるようになるのだ。
それでも、ヴィオレットの前皇帝に向ける愛情は、マリアンナから見ても本物だった。
「前皇帝陛下に対する想いは~わたくしが死ぬまで変わることはないわ。けれど~夢の中で陛下が仰ったの。『ヴィオレットはまだ若いのだから、自由に生きなさい』と」
ヴィオレットは、胸に手を当てる。
「前皇帝陛下は~わたくしの中で永遠に生き続けるわ。それでも~彼は構わないと言ってくれたの」
「えっ? それは、つまり……」
「喪が明けたら~二人で皇帝陛下へ願い出るつもりよ」
それは、予想もしていなかったヴィオレットの再婚宣言。
衝撃のあまり、マリアンナは言葉が続かない。
「だから~これは貴女へお返しするわね」
衝撃は、さらに続く。
侍女たちがいる前で気軽にポンと返されたのは、以前マリアンナがヴィオレットへ渡した二つの外用薬だった。
◇
完全に不意を突かれ、動悸が激しくなる。
一瞬動揺したが、マリアンナはすぐに態勢を立て直す。
扇子で口元を隠しながら、余裕の笑みを浮かべた。
「ホホホ……嫌ですわ、ヴィオレット妃。こちらは、わたくしのものではございませんよ?」
「あら~そうだったかしら? たしか~わたくしが精神的に追い詰められていたときに、マリアンナ様から一緒にお知恵を拝借したような気がしますけど……」
「きっと、夢でもご覧になったのでしょう」
「う~ん、そう言われてみれば~そうかもしれないわね」
「それで、先ほどのお話ですけど……お相手は、どなたですの?」
マリアンナは、強引に話題を戻した。
「それは~この場ではちょっと……あちらに~ご迷惑がかかるのは困るわ」
「では、人払いをしましょう。あなたたち、ちょっと席を外しなさい」
「「かしこまりました」」
侍女たちを応接室から追い出し、有無を言わさず話を進める。
あの話題を蒸し返されては、マリアンナの気が休まらない。
侍女たちが部屋を出て行き、二人だけが残された。
「さて、これで心おきなく話が出来ますわね?」
「あの~こう言っては失礼ですけど、マリアンナ様は~お知りにならないほうがよろしいかと……」
「うん? どういうことですの?」
「わたくしも~恨まれたくありませんし……だって~自分の想い人を友人に奪われるなんて、わたくしなら~絶対に許せないですもの」
「……はい?」
マリアンナは淑女の所作も忘れ、思わず素で聞き返してしまった。
「だって~わたくしのお相手は、リアム様ですから」
「リアム……フフッ、そうですか……ヴィオレット妃はリアムと再婚されるのですね?」
「はい。マリアンナ様も~祝福してくださいますか?」
「え、ええ……もちろん」
心の底から笑いがこみ上げてくる。
それを面に出さないように、堪えるのに必死だ。
マリアンナは確信する。
ヴィオレットは平癒などしていなかった。
精神疾患で、彼女はずっと夢の中にいる状態らしい。
おそらく、自分に都合の良い幻影が見えているのだろう。
マリアンナが囁き焚き付けた計画の進捗が気になり、今日は様子を見に来た。
残念ながら、作戦を決行する前に精神が崩壊してしまったようだが。
でも、それならそれで、この女にはまだ利用価値がある。
今度は、アルフィではなくリアムが皇帝から疎まれ国外追放されそうだと吹き込めば……
マリアンナが扇子の陰でほくそ笑んでいると、扉がノックされた。
「どうぞ~」
「失礼いたします」と入って来たのは、離宮付きの侍女だった。
「ヴィオレット様、先ほどから私室にてお客様がお待ちですが……」
「まあ~もうそんな時間なのね! すぐに参ります~と、リアム様へ伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
再び侍女は出て行き、ヴィオレットはそわそわと落ち着きがなくなる。
それはまるで、愛しい恋人に会える喜びを全身で表した乙女の姿に見えた。
「では~マリアンナ様、人を待たせておりますので~これで失礼しますわね」
「ちょっと、お待ちください! リアムが私室にいると聞こえましたけど……」
「ええ。彼は~仕事を早く片づけて、少しの時間でも~わたくしに会いに来てくださるのよ」
「う、嘘よ!」
マリアンナは、思わず叫んだ。
「リアムが、貴女なんかを相手にするはずがないわ!!」
言葉遣いが乱れるが、取り繕っている余裕などなかった。
あのリアムが、自分がどれだけ声をかけようと相手にしてもらえないリアムが、ヴィオレットと……
そんなことは、絶対にあり得ない。
年若い十九歳のマリアンナではなく、二歳も年上で未亡人のヴィオレットを選ぶなど、あってはならない。
許せない。
認められない。
「まあ~怖いお顔。やっぱり~許せないのね。若さだけは勝っている貴女が~未亡人のわたくしに負けたことが」
「な、何を……」
「リアム様は~精神的に不安定だったわたくしに寄り添ってくださったの。もちろん~最初は業務の一環だった。でも……」
リアムが、度々離宮へ行っていることは把握していた。
マリアンナが業務にかこつけて屋敷へ呼び出そうとしても、忙しいからと毎度断られる。
それなのに、ヴィオレットへは親身になり、恋仲にまで……
怒りで顔が真っ赤になる。
歯を食いしばる。気づけば、手に持っていた扇子が真っ二つになっていた。
「貴女がどんなに悔しかろうと~選ばれたのはこのわたくしなの。だから~邪魔はしないでくださいね? もし~今後余計なことをするつもりなら……」
ヴィオレットの雰囲気が、ガラリと変わる。
「あの計画を~皇帝陛下へお話ししようかしら? 幸い~証拠も手元にあることですし」
ヴィオレットの手には薬が握られている。
先ほど回収しておけば良かったと後悔しても、もう遅いが。
「だ、誰が、そんな話を信じるのよ!」
「別に~信じても信じてもらえなくても、わたくしは~構わないの。だって~どう受け取るかは相手しだいですもの」
「貴女だって、ただでは済まないわよ!」
「どうして~? わたくしは~事前に計画を阻止したのよ? 褒められることはあっても~罰せられることはないわ」
ヴィオレットは堂々と言い切った。
マリアンナは裏で暗殺計画を立案し、ヴィオレットに実行させるつもりだった。
それが、計画を事前に察知したヴィオレットが阻止したと、内容がすり替わっている。
今は黒いベールを被っているため見えないが、きっといつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべているのだろう。
精神的に追い詰めて、都合の良い捨て駒として利用するつもりだったのに。
逆に、こちらが追い詰められている。
ヴィオレットは知らない間に精神を持ち直し、以前にも増して太々しくなっていた。
それもこれも、リアムに愛されているという自信の裏返しだと考えるだけで、頭が煮えくり返る。
沸騰しそうになる。
マリアンナは、すでに冷静さを失っていた。
席を立ち、じりじりとヴィオレットへ近づいていく。




