ただ、『かくれんぼ』をしていただけなのに…… 4
「どういうことだ?」
「言葉を選ばず率直に言わせてもらうと、何事も感情的に動いてきたヴィオレット妃に、綿密な暗殺計画が立てられるとは到底思えないの。だって、精神的にも不安定だったのでしょう?」
気に入らなければ、侍女たちを笑顔で罵倒する。
食事は、皿ごと割って食べない。
そんな短絡的な人物が薬をわざわざ二種類持ち込み、その場で混ぜ合わせて暗殺を謀るなど考えられない。
中身の紅茶ではなく、カップを凶器として投げつける。
危害を加えようと皇帝へ直接掴みかかったというなら、エルザもすんなりと納得ができるのだ。
「ヴィオレット妃が発した『わたくしは確かに聞いたわ。アルフィに濡れ衣を着せ~追放するつもり』という言葉も、引っかかっているのよ」
「あの精神状態のヴィオレット妃に、綿密な暗殺計画が立てられたのか?については、俺も疑問に思っている。だけど、お茶会などでいい加減な噂話が飛び交うことは、よくあることだぞ」
「リアムの言う通り、これまで様々な噂話を聞いていたヴィオレット妃が、精神的に不安定になって思い込んでしまったのは間違いないわ。でもね、そうなるように誰かに仕向けられていたのだとしたら……」
「エルザは、陰で糸を引いていた人物が別にいると思っているのか?」
「私は、そう確信しているわ」
「「!?」」
きっぱりと断言したエルザに、二人は目を見開いた。
「……誰が、計画を立てたと考えている?」
リアムは、思わず声を潜める。
いま私室には、三人以外誰もいない。
それでも、そうせずにはいられないほど、この場は緊迫した空気に包まれていた。
「今回の事件の動機は、明らかに次期皇帝の座を狙ったものだと思うの。だから、教えてほしいのだけど……皇位継承権を持つ方は、アルフィ殿下以外にあと何人いらっしゃるの?」
「……二人だ。前皇帝陛下の亡き弟君の子供…つまり、現皇帝の従姉と従弟にあたる」
「お二人の年齢は?」
「姉が十九歳、弟が十六歳。ただし、異母姉弟だが」
正妃の子は、姉のほうとのこと。
「当然、お二人ともヴィオレット妃とは面識があるわよね?」
「お茶会や夜会で、会う機会はあっただろうな」
今は国全体が喪に服しているため、戴冠式までは舞踏会や茶会などは自粛されている。
「頭の中の推測を、一度整理するわ。次期皇帝の地位を狙う犯人は、ヴィオレット妃へ現皇帝がアルフィ殿下を近々排除すると吹き込み薬を渡した。もしかしたら、連座制の廃止時期を勘違いしていることを、わざと指摘しなかったのかもしれない。そうすれば、継承権を持つアルフィ殿下も同時に排除できるから。ヴィオレット妃は教えられたとおり薬を唇と爪に塗って、検査をすり抜けた。薬は、二種類を混ぜ合わせると毒となるもの……」
推理小説の主人公のように、エルザはぶつぶつと呟いている。
「おそらく、犯人はヴィオレット妃が成功しようと失敗しようと、どちらでも良かったのかもしれない。成功すれば、自分の手を汚さず次期皇帝の座を得られる。失敗しても、処罰されるのは母子だけ。ヴィオレット妃が唆されたと証言しても、悪女の戯言だと誰も信用しない……」
「それで、エルザの結論は? どちらが犯人だと思う?」
「はっきり言うわ。唆したのは姉弟の『姉』の方じゃないかしら?」
「断言できるだけの根拠はあるのか?」
「トールキン帝国では、男女問わず正妻から生まれた第一子が継ぐと決められているのよね? だから、最初から弟には皇位継承権はあってないようなものよ。あと、一番の大きな理由としては、同性同士ということね」
ヴィオレットの思考を誘導するにせよ、唆すにせよ、最初に信頼関係の構築が重要となる。
「たしかに、側妃の周囲に異性は近づけさせない。ヴィオレット妃は男を誑かしてはいたが、皆の前で堂々とやっていたと聞いている。本人としては、遊びでからかっていただけなのだろうな……非常に悪趣味だが」
エルザも、それに関しては完全に同意しかない。
今は口にはしないが。
「薬を唇や爪に塗るって、女性ならではの発想だと思うのよね。口紅や爪紅は、男性はしないでしょう?」
「そうだな。もし俺が犯人だったら、両手とか両腕に塗れと指示するかもな……」
ふむ、とリアムは一瞬考え込み、すぐにポンと手を打った。
「よし! 一度調べてみるか」
「こんな素人の辻褄合わせの推理を、リアムは信じてくれるの?」
「正直に言うと、もっと荒唐無稽な話かと思っていた。でも、意外と説得力があったから驚いている。ただの本好きが、推理物語を読み込んでいるだけではなかった」
「ふふふ、それは褒め言葉として受け取っておくわ」
揶揄されたような気も、しないこともないが。
ここは、肯定的に受け取っておく。
「それに、少しでも可能性があるのなら、調べるのは当然だ。懸念材料は、どんな些細なことも排除しておきたいからな」
リアムは、容疑者の調査をすると約束をした。
特に、該当の薬を所持、もしくは、すぐに手に入れられる状況にあるのか。
前皇帝が亡くなったあと、ヴィオレット妃へ接触していないかを入念に調査するという。
私室を出ていくリアムとローマンを、エルザは笑顔で見送る。
どうか、幼い皇子の憂いが、少しでも晴れますようにとの願いをこめて。
◆◆◆
離宮を出たリアムとローマンが向かったのは、関係者以外は立ち入りが制限されている場所。
ここに、皇弟リーアムの執務室があった。
「リアム、これからどうする?」
「もちろん、すぐに調査を開始する」
「では、おまえも……」
「ああ、怪しいと思っている。マリアンナなら、やりかねない。ローマンも、そう思っているだろう?」
ローマンは、無言で首肯した。
正体を隠しているエルザへは言えなかったが、リアムは従妹であるマリアンナの性格をよく知っていた。
昔から異常に上昇志向が強く、ヴィオレットとは方向性の違う悪女と言ってもよい人物。
ヴィオレットとは違い、マリアンナは人前では上手に猫を被っている。彼女の本性を知る者は少ない。
弟でさえ、おそらく気づいてはいないだろう。
リアムは、以前マリアンナから投げかけられたある言葉を思い出していた。
◇◇◇
「リアムは、いつか『皇配』になるわ」
それは、前皇帝が亡くなり弔問に訪れた際のマリアンナの発言。
その場には、リアムとローマン、マリアンナしかいなかった。
リアムは、宰相の子息として行事へ参列をしていた。
宰相の正妻が生んだ子はローマン一人。
リアムは、ローマンとは異母兄弟であるとされている。
ローマンには内々に決められた婚約者がいるが、当然リアムにはいない。
しかし、「宰相の子息には婚約者がいる」としか公表していないため、自分の都合の良いように解釈する者はいた。
跡取りではないリアムにはまだ婚約者はいないはずだから、自分が正妻になりたい。婿に欲しい。
マリアンナも、そう考える一人だった。
「皇配とは、どういう意味ですか?」
「別に、そのままの意味よ。あなたなら、家柄も能力も申し分ないわ」
「この国では、同性婚は認められていないと思いますが?」
まさか、マリアンナは次期皇帝が女だと知っているのか。
リアムはさりげなく探りを入れる。
「フフッ、今はそうでも、状況は急激に変化するものよ?」
意味深な笑みを残し、マリアンナは去っていった。
◇◇◇
「あの時は、次期皇帝が女帝だと知ったあの女が、しつこく言い寄っていたリアムをようやく諦めたのだと思っていたが……」
「エルザの推測を聞いた後だと、別の意味に受け取れるよな?」
『次期皇帝は女帝だから、跡取りではないリアムが婿に選ばれる』ではなく、『自分が次期皇帝となり、リアムを婿に迎えるつもりだ』と。
「エルザはおとなしいヴィオレット妃の姿しか知らないから、俺たちと違って先入観がなかった。客観的に状況を分析して、別の怪しい人物をあぶり出した」
ヴィオレットは、これまでの言動から悪女と呼ばれていた。
皇帝暗殺未遂事件を起こしても、誰もなんら疑問にも思わない。
狡猾なマリアンナは、おそらくそれも計算していたのだろう。
二人は六つ歳が離れているが、悪女同士気が合うのか、親しい付き合いをしていたようだ。
前皇帝が亡くなったときにも、ヴィオレットのもとへ来ていたはず。
あとは、薬を入手できる立場にあったかを調べるだけ。
数日間の内偵を経て、調査結果はエルザにも共有された。
そして───事態は大きく動き出す。




