ただ、『かくれんぼ』をしていただけなのに…… 3
「は、母上は…皇帝陛下を毒殺しようとしたのか……」
ベッドに腰掛けるヴィオレットを見つめるアルフィの顔は真っ青だ。
きつく握りしめられた手は震えている。
後ろに控えるマデニスは苦しげにギュッと目を閉じ、エルザは堪らずアルフィを横から抱きしめた。
「前皇帝陛下が崩御されてから精神的に不安定だったヴィオレット妃は、アルフィ殿下がいずれ現皇帝陛下から廃されると思い込んでおられました」
「馬鹿なことを……」
「ですから、寵愛を受けて殿下を守ろうとしたようです。側妃にせよと何度も迫ったのも、そのためと思われます。しかし、聞き入れられませんでした」
(現皇帝は、女性だからね……)
エルザは、イリニームが女帝だと知っている。
まだ正体を知らないアルフィの前で口にすることはできないが。
「思い詰めて暗殺を目論見、失敗。自分で毒を被ってしまった。命を取り留め意識が戻ったときには、一切の記憶がなくなっていた。これが、すべての真相です。皇帝陛下のお話と、その場にいたローマンとマイアの証言は一致しております」
リアムが視線を送ると、二人は神妙な顔でうなずいた。
「母上は、皇帝陛下の暗殺を企んだ悪女として処刑か。私は……もし処刑を免れたとしても、身分は剥奪され平民落ちだ。子供の私では、市井では到底生きていけないだろう。すぐに野垂れ死にだな」
ハハハ……と、エルザの腕の中でアルフィは力なく笑った。
皇帝の暗殺を企んだ者には、当然のことながら極刑が科せられる。その犯人が、たとえ皇族だとしても。
ヴィオレットは、連座制はすでに廃止されたと勘違いをしていたようだ。
わかっていたなら、愛する息子まで巻き込むようなことは決してしなかっただろう。
「……アルフィ殿下は、絶対に処罰されません! だって、そのためにリアムたちはヴィオレット妃が出奔したことにして、代役を探したのでしょう?」
「エルザの言う通り、皇帝陛下は『子に罪はない』と仰っておられます。事件をなかったことにはできませんが、起こった日を操作することは可能です。具体的には、事件はこれから起こります」
「事件の起こった日を操作? つまり、施行後に事件は起こるから、私は連座を逃れる……」
「そうですよ、アルフィ殿下。そして、ヴィオレット妃に扮した私が、その役目を担うってことよね、リアム?」
「ああ、そうだ。エルザには皆の前で皇帝暗殺未遂事件を起こしてもらう。計画は失敗し、犯人はその場で服毒自殺をしたと周囲へ印象付ける。同日、ヴィオレット妃は賜死…毒杯を賜る」
ヴィオレットが服毒自殺をしたように見せかける。
まるで、舞台で演じた悪役令嬢スカーレットの最期のようだとエルザは思う。
このために、自分は代役に選ばれたのだと。
「皇帝陛下が恩情をかけてくださって、本当に良かったわ……」
「アルフィ殿下に、罪は一切ないからな」
エルザは感謝しても、しきれない。
あとは、アルフィのために役目をきっちりと果たすのみ。
「……グレイソン、皇帝陛下へ接見をお願いしたい。母上の仕出かしたことを、詫びたいのだ。それと、恩情を賜ったことへの礼も申し上げたいと」
「かしこまりました。そのようにお伝えします」
アルフィは席を立つと、母のほうへ歩いていく。
ヴィオレットは相変わらず、窓から外の景色をぼんやりと眺めているだけ。
「母上、お目にかかれるのも、きっと今日が最後ですね」
子が話しかけても、母が視線を向けることはない。
「父上が亡くなられてすぐに、母上まで失うとは……私は思ってもいませんでしたよ」
「…………」
「母上……」
「…………」
「……して、私を愛してくれていたのなら、どうして……どうして、こんな短絡的なことをしたのですか! 私は、もっと…一緒に…いたかった……のに」
アルフィが、感情を爆発させる。
悲痛な叫び声だけが、部屋に響く。
この場にいる大人たちは、誰一人として少年皇子へ掛ける言葉が見つからない。
子の心からの訴えも、母が応えることは一切なかった。
◇
エルザたちは、階下へ戻った。
アルフィと宰相は離宮を出て行き、リアムとローマンだけが残っている。
「はあ……」
私室のソファに座ったエルザは、大きなため息をつく。
自分たちの前では気丈に振る舞うアルフィへ、慰めの言葉一つ掛けることができなかった。
「『アルフィ殿下が連座を免れて、良かった!』と、物語みたいに大団円で終われたら、どんなに良かったか……」
自身の命は助かっても、アルフィは両親を同時期に失う。
しかも、母親は自分のために罪を犯してしまった。
心に生涯消えない深い傷を負ったことは間違いない。
「ねえ、リアム。真相を聞いて二点だけ、どうしても気になることがあるのだけど……」
「なんだ?」
「皇帝陛下と面会する前には、厳しい身体検査があるのよね? それなのに、どうしてヴィオレット妃は毒物を持ち込めたの?」
「調べによると、ヴィオレット妃は自身の唇と爪にそれぞれ別の外用薬を塗っていたことがわかった。それ単体では、ただの塗り薬でしかない。しかし、二つを混ぜ合わせたところ───毒の成分に変化することが判明した」
薬草は組み合わせしだいで、良薬にも猛毒にもなる。
ヴィオレットは紅茶を飲むふりをして、まず一つめの薬を混入。
それを指でかき混ぜることによって、毒として完成させたようだ。
「その薬は、ヴィオレット妃が常用していたものなの?」
「いや、ヴィオレット妃が薬を使っていた事実はない。調査は継続しているが、どうやって入手したのかは未だ不明だ」
「薬の入手先は不明、か……」
顎に手を当て真剣な表情で考え込むエルザを、リアムとローマンは黙って見つめる。
「……リアム」
「うん?」
「私がこれから話すことは、ただの推論。『物語好きの素人が考えた陰謀論だ』と鼻で笑われ一蹴されてもおかしくはない話。それでも、聞いてくれる?」
「ああ、構わないぞ」
リアムはすぐに承諾し、ローマンも頷いている。
エルザは、ひっそりと覚悟を決めていた。
これを口にしてしまったら、この国での自分の立場が悪くなるかもしれない。
リアムたちと築いてきた信頼関係を失うかもしれない。
それでも、『話さない』という選択肢はなかった。
少しでもアルフィの心の負担を軽くしたい。
その想いだけで、エルザは突き進む。
「もしかしたら……ヴィオレット妃は誰かに誘導されたのではないかしら?」




