ただ、『かくれんぼ』をしていただけなのに…… 2
四階の隠し部屋にいたのは、失踪したはずのヴィオレットだった。
「母上!」
アルフィが駆け寄っていくが、ヴィオレットはぼんやりとしたまま窓の外を眺めている。
手を握られ、ようやくアルフィの存在に気づいた。
「あら? お人形みたいに可愛らしい子ね~」
「母上、こんなところにいらっしゃったのですね。今まで、何をされていたのですか?」
「ふふふ、私は~あなたの母親ではないわよ」
「な、なにを仰って───」
「アルフィ殿下、落ち着いて聞いてください。ヴィオレット妃は、一切の記憶を無くされております」
「!?」
リアムの言葉によろめいたアルフィを、エルザが支える。
アルフィの体はガクガクと震えていた。
「リアム、まずは座って一息つきましょう。それから、詳しい話を聞かせて」
「あ、ああ、そうだな」
エルザの提案で、一旦休憩を入れることになった。
◇
甘い紅茶を飲んだアルフィは、少し落ち着きを取り戻したように見える。
それでも、母親が自分のことを忘れてしまったという事実は、幼い子供にとっては衝撃的なこと。
隣に座るエルザは、アルフィの心情を慮っていた。
「先ほどは動揺してしまったが、もう大丈夫だ。リアム、事情を説明してくれ」
「かしこまりました。これから話すことは、すべて実際に起きたことです。真実をお知りになることは、アルフィ殿下にとっては大変お辛いことになりますが……それでもよろしいですか?」
「其方たちがこれほど大掛かりな策を講じてまで秘匿していたことだ。きっと、並大抵のことではないのだろうな。だが、受け止める覚悟はできている」
アルフィの覚悟を知り、エルザも改めて気持ちを引き締める。
自分はただ、出奔した側妃を演じていただけだったのに、さらに国家機密を知ることになるとは。
リアムたちと初めて面会した時に感じた自身の懸念は、やはり間違いではなかったのだ。
「わかりました。では、お話しします。ヴィオレット妃が出奔されたことになったあの日、何があったのかを」
リアムは、経緯の説明を始めた。
◆◆◆
前皇帝が亡くなってから、日に日にヴィオレットの様子がおかしくなっていた。
もともと起伏の激しい直情的な性格ではあったが、さらに輪をかけてひどくなっている。
診察した医師は、精神に異常をきたしているとの診断を下した。
皇帝が持病の発作を起こして倒れたときに、その場にいたヴィオレットは激しく取り乱し、精神的な衝撃を受けたことが原因とのこと。
しばらくの間、現場となった宮殿からは引き離し、地方の直轄領で療養させるべきだと。
そんなヴィオレットが、突然、皇帝に極秘の接見を願い出る。
理由は、地方で療養に入る前に挨拶をしたいとのことだった。
帝都から離れることを頑なに拒んでいると聞いていたリアムは、なぜ急に心境が変化したのか訝しんだ。
リアムとしては、精神的に不安定な人物を皇帝と面会させることには反対だった。
しかし、イリニームが一度きちんと話がしたいと承諾してしまう。
万が一の可能性を考え、リアムが皇帝に成りすまし、イリニームは侍女としてその場に立ち会うことになった。
接見場所は、皇帝の私室の隣にある控え室だ。
部屋には、皇帝に扮したリアムと侍女の恰好をしたイリニーム。
侍女頭のマイアと、近衛兵としてローマンが付き添っていた。
私室へ入る前に、ヴィオレットへは身体検査を実施済み。
武器や毒物などを持ち込んでいないか、入念に調べた。
そして、接見が始まった。
◇
対面したときから、リアムは何かが起こりそうな、嫌な予感がしていた。
話をしている最中もヴィオレットは落ち着きなく、辺りを見回している。
何度も紅茶に口を付けようとしてすぐに止めたり、爪を触ったり、指で紅茶を混ぜたり。
とにかく行動が忙しなく、普通ではない。
「───それで、其方は直轄領へ療養に行くことにしたのだな?」
「はい」
「これを機に、しっかりと自愛せよ。アルフィも、心配しているであろう」
「あの~、直轄領へアルフィを同行させたいのです。よろしいでしょうか?」
「それは、許可できぬ。アルフィには、皇子としての務めがある。其方の我が儘に付き合わせるわけにはいかぬ」
リアムは皇帝として、ヴィオレットの要求を退ける。
「では、わたくしを~陛下の側妃に召し上げてください」
「……その話は、すでに断ったはずだが」
急に話題が飛んだかと思えば、またこの話だった。
リアムもイリニームも苦い笑みを浮かべる。
まだ公表されていないが、次期皇帝は女帝である。
当然のことながら、ヴィオレットを受け入れるわけにはいかないのだ。
「これだけお願いしても~聞き入れてくださらないのですね」
「何度言われようと、余の答えは変わらぬ。話がこれだけならば、早々に立ち去るがよい」
話は終わったとばかりに、リアムは席を立つ。
これ以上、話すことはない。
ヴィオレットへ背を向け、リアムが私室へ繋がる扉へ一歩踏み出したときだった。
「陛下~お待ちください」
後ろを振り返ったリアムの顔を目がけて飛んできたのは、紅茶だった。
しかし、透明な膜に遮られ、一滴もかかることはない。
これは、ローマンが事前に行使していた防御魔法の一つ『反転』だ。
剣でも矢でも、最初の一撃を相手側へそのまま返すことができる。
自分でぶちまけた紅茶を顔に浴びたヴィオレットは、すぐさまローマンに捕縛された。
縄を打たれ、床に転がる。
いくら精神的に不安定だとしても、今回ばかりは皇帝への不敬罪は免れない。
連座制の廃止は公布されたが、まだ施行されてはいない。
罪を犯したヴィオレットは自業自得だが、巻き込まれる形となるアルフィは、何の罪も犯していないにもかかわらず経歴に傷がついてしまう。
リアムは同情を禁じ得ず、思わずため息をつきそうになる。
「ローマン、ヴィオレットを連行せよ」
「かしこまりました」
ローマンが立たせようとするが、ヴィオレットは激しく抵抗する。
「わたくしはただ~陛下からアルフィを守りたかっただけなの!」
転がったまま、ヴィオレットは泣き叫ぶ。
まるで、駄々をこねる少女のように。
「余が、アルフィへ一体何をするというのだ?」
「幼くとも聡明なアルフィは~いずれあなたの地位を脅かすかもしれない。だから~その前に排除するのでしょう?」
「そのようなことは、絶対にない」
リアムはもちろんのこと、イリニームも異母弟を害する理由も必要もない。
「嘘よ~わたくしは確かに聞いたわ。アルフィに濡れ衣を着せ~追放するつもり…ゴホッ! ゴホッ!」
絨毯に、血が飛び散った。
激しく咳き込んだヴィオレットの口元には、血が滲んでいる。
「まさか、紅茶に毒を……」
リアムの問いかけに、ヴィオレットは「ええ、そうよ~」と微笑みを浮かべた。
「自分で被ってしまうなんて…不出来な母でご…めん…ね……アル…フィ……愛し…」
ゆっくりと目を閉じたヴィオレットは、動きを止めた。
すべては、あっという間の出来事だった。
「すぐに治療をせよ! このまま、死なせてはならぬ!!!」
イリニームが叫ぶ。
リアムは仮面を外した。手が震えているのがわかる。
もし反転魔法がなければ、目元の開いた仮面の隙間から毒入り紅茶を浴びていたかもしれない。
マイアが治癒魔法で必死に治療を施すなか、イリニームは隣で唇を噛みしめる。
なぜ、こんなことを……姉弟はやり切れない思いを抱えながら、義理の母を見つめるしかなかった。
治療の甲斐もあり一命は取り留めたヴィオレットだが、意識は戻らないまま。
その日の夜のうちに、秘密裏に離宮の隠し部屋へと運ばれたのだった。




