とある侍女との遭遇
この日、エルザはマイアと共に侍女としての仕事に就いていた。
これまで、聖地巡礼で外出するときにだけ侍女のお仕着せを着用し、宮殿内を歩いたことはある。
しかし、侍女としての仕事は一切やったことがない。
せっかく『リアムたちの親戚の紹介』で出仕しているのだから、一度くらいは経験をしてみたい。
そんなエルザの希望を、マイアが叶えてくれたというわけだ。
聖地巡礼のときにリアムと手を繋いで歩いているところを目撃されているため、念には念を入れて髪色を別の色に染めてもらう。
淡い水色髪になっただけで、印象がまるで変わる。
これなら、リアムやローマン、アルフィでも気づかないかもしれない。
いつもの伊達眼鏡を掛け、エルザは意気揚々と仕事場へ向かったのだった。
◇
割り振られたのは、小さな倉庫の片づけだった。
部屋の掃除はきちんと定められた手順があるため、何も知らないエルザでは対応ができない。
しかし、ただの片づけならば問題はない。
エルザと一緒に作業をするのは、中堅の侍女とのこと。
侍女頭のマイアは、二人の監督をする立場のようだ。
倉庫の前で、中堅侍女と挨拶を交わす。
「初めまして、イリムです」
「私はエルザと申します。今日はよろしくお願いします」
淡い青髪のイリムは背が高い。
エルザと同じように眼鏡をかけているが、とても美人だった。
どこかで見覚えがあるようなイリムの顔を、エルザはつい凝視してしまった。
「私の顔に、何かついているの?」
「あっ、ジロジロ見てしまって、ごめんなさい。誰かに似ているような気がして……」
「それって、リアムのことじゃない? 私たちは母方の親戚だから、昔から似ているってよく言われたわ」
「そうなのですね」
イリムは眼鏡を外し、顔を見せる。
言われてみれば、たしかにそっくりだ。
リアムも髪色を変えて化粧をすれば、こんな感じになるのだろうか。
想像してしまったエルザは、クスッと笑った。
◇
片づけの作業は、順調に進んだ。
高い棚の上にある物は、イリムが楽々と運んでくれる。
エルザは、手の届く場所を重点的に整理していった。
午前中で作業は終わる。
「ねえ、エルザ。良かったら、一緒に昼食を食べない?」
「誘ってくださって、ありがとうございます。でも───」
エルザの昼食は、すでに離宮に用意されている。
誘われたのは嬉しいが、断りをいれるしかないのだ。
「エルザ、いってらっしゃい。好意を無下にするものでは、ありませんよ」
「わかりました」
マイアが気を遣ってくれたようだ。
イリムに連れられて、エルザは初めて宮殿の食堂にやって来た。
使用人専用とは思えないほど広く開放感に溢れた食堂は裏庭に面しており、テラス席まであった。
昼休憩には少し時間が早かったのか、席は空いている。
イリムお薦めの日替わり定食を、日陰のテラス席で頂く。
「エルザって、私たちの親戚の紹介で来たのよね?」
「そうです」
「もう、仕事には慣れた?」
「はい、おかげさまで」
イリムは気さくな人物だ。
いつもこのようにして新人の面倒をみているのだろう。
マイアが一緒に仕事をする相手として選んだ理由がわかる。
しばらくして、食堂が混みあってきた。
忙しなく行き交う人混みの中に誰かを見つけたイリムが、大きく手を振っている。
エルザが視線を送ると、それはリアムとローマンだった。
訝しげな顔でこちらにやって来たリアムは、イリムと一緒にいるのがエルザだと気づくとギョッとした表情になる。
「な、なんで、エルザがここに?」
「イリムさんが、昼食に誘ってくださいました」
この場では、エルザはただの侍女だ。
宰相の子息たちへは、敬語を使わなければならない。
「午前中に、エルザと倉庫の片づけをしたの。その流れで、昼食も一緒に食べようと思ったのよ」
「……エルザに、余計なことを訊いていないだろうな?」
「余計なことって、たとえば何?」
「それは……」
リアムの様子がおかしい。
険しい顔で、何をそんなに警戒しているのだろうか。
反対に、ローマンは必死で笑いを堪えているように見える。
「まあ、とにかく二人とも座りなさい。せっかくだから、一緒に食べましょうよ」
「しかし……」
「リアム、他に席は空いていないぞ。諦めろ」
「……わかった」
ローマンに促され、リアムは渋々といった感じで席に着く。
かくして、四人の昼食会が始まった。
リアムたちと同じテーブルで食事をしていたら悪目立ちしすぎるのでは?
そんなエルザの心配は杞憂に終わる。
イリムとリアムが親戚なのは周知の事実なのか、誰も気にした様子はない。
ただ、チラチラと女性たちが二人へ視線を送るだけで、エルザが敵視されるようなこともなかった。
「エルザは、婚約者っているの?」
それは、イリムからの唐突な質問だった。
「以前はいましたけど、今はいません」
「ま、前はいたのか? ゴホッ! ゴホッ!」
あっさりと答えたエルザに驚いたのは、リアムだった。
食べていたものを詰まらせ、水で無理やり流し込んでいる。
「じゃあ、好みの男性像はあるのかしら?」
「そうですね……価値観を押し付けてこない人がいいです。あと、私のすることを全否定しない人ですね」
「その言い方だと、元婚約者がそういう人物だったと聞こえるわよ?」
「ええ、そのままの人でした」
「アハハ! それは、災難だったわね。でも、相手に対して未練もなさそうね?」
「はい、まったく」
「だ、そうよ。リアム、良かったわね?」
イリムはニヤニヤしながら視線を向けた。
黙って食事をしていたリアムは、一度カトラリーを置く。
全身がプルプルと震えている。次第に、顔が真っ赤になった。
「だ・か・ら、余計なことを訊くなって、さっきも言っただろう!」
「あら? ここは、『ありがとう』って礼を言われると思っていたのに……」
「・・・・・」
リアムは、完全にイリムの手のひらの上で転がされている。
こんな姿を見るのは初めてだ。
ローマンとは形の違う、遠慮のない親戚同士のやり取りをエルザが微笑ましく眺めていると、侍女が近寄ってきた。
イリムの耳元へ何かを伝えると、すぐに去っていく。
「エルザ、ごめんなさい。急用が入ったの」
「私のことは、どうぞお気遣いなく。食事を終えましたら、私もすぐに戻りますので」
エルザも、いつまでも離宮を留守にしたままにはできない。
さっさと食事を済ませ、戻らなければならない。
「貴女の人となりは、よくわかったわ。ローマン、いつものを頼む」
「……かしこまりました」
ローマンが素早く右手を振る。
「リアムの人選は、間違っていなかったな。エルザ、其方にはこれからも期待している」
「あ、ありがとうございます……」
イリムの雰囲気がガラリと変わった。
口調が、顔つきが、これまでとは別人のようで、エルザは戸惑う。
「正体を明かして、よろしかったのですか?」
「余も、信頼に足る人物だと認めたのだ。だから、構わぬだろう?」
リアムやローマンの態度も変わる。エルザ一人だけが、状況を理解できていない。
「では、後の説明はおまえたちに任せたぞ!」
イリムは颯爽と去っていく。
エルザは口をパクパクとさせたまま、後ろ姿を見送ったのだった。
◇
その後、離宮に戻ったエルザは、リアムから説明を受けた。
侍女のイリムが、トールキン帝国の現皇帝イリニームであること。
イリニームも、ヴィオレットが失踪していることは把握していること。
以前、私室に呼ばれたのは、ただ単にエルザと話がしたかっただけのこと。
アルフィには、まだ皇帝の正体は明かされていないことなど。
再びの後出し情報。しかも、質・量ともに重すぎるもの。
話を聞き終えたエルザが発狂し、一日休暇を要求したのは、言うまでもない。




