聖地巡礼の旅に出ます 3
「こいつは俺の彼女だから、もう、いいよな?」
「あ、ああ……」
リアムの恐ろしいほどの殺気に怯んだ男性は、そそくさとこの場を後にする。
エルザは、やれやれと息を吐いた。
頭上から突き刺さるような視線を感じる。
別人のふり、もしくは気付かないふりをしてこの場から立ち去りたい。
もちろん、そんなことが許されるわけはないが。
かなりの葛藤の末、エルザは仕方なく顔を上げた。
「助けてくれて、ありがとう」
顔は、淑女の微笑みを浮かべている。
努めてさりげなく、自然体を装う。
心の動揺を覚られないように。
「そういえば、どうしてリアムがここにいるの?」
「……誰かさんが一人で勝手に抜け出したから、後を追ってきた」
「場所が、よくわかったわね?」
「物語に登場する場所で、(宮殿に)一番近い食堂へ真っ先に行った。エルザっぽい目撃情報があったから、ローマンと手分けして近辺を捜したんだ」
ローマンは『帝都恋物語』の内容を熟知しており、彼の指示のもと場所を特定し捜索した二人は、すぐにエルザの痕跡を見つけ出す。
あっけなく見つかってしまい肩を落としたエルザだったが、これまで見たこともない怒りの表情をあらわにしたリアムに、さすがに空気を読んだ。
「えっと……ごめんなさい。あなたたちに心配をかけるつもりはなかったの。ただ、あの場で二人に声をかけたら、(他の侍女から)『村八分』にされると思ったから……」
「はあ? エルザが言っている意味はわからんが……とにかく! 今度同じことをやったら、二度と外出は許可しないからな!! わかったな?」
「はい……」
「ほら、今度はローマンを捜しに行くぞ」
リアムはエルザの手を取ると、さっさと歩き出す。
ただでさえ注目を集める森人と手をつなぎ歩いている凡人へ、周囲の女性たちから遠慮のない視線が投げつけられる。
居たたまれない気持ちのエルザはこっそり手を離そうと試みるが、リアムはそれを許さない。
「その態度……全く反省をしていないな?」
「ち、違う! こんな人目のある場所でリアムと手をつないでいるから、皆がじろじろと見てくるの! だから、手を離して!!」
「嫌だ。絶対に離さない」
さらに手を強く握られ、今度こそ離れるのは困難な状況になった。
「言っておくけど、見られて困るのはリアムだよ? 知り合いに目撃されて、(宮廷内で)変な噂を流されたらどうするつもり?」
「構わないぞ。女性たちから言い寄られずに済んで、ちょうど良いかもな」
「人を、虫よけにするのね……」
ちゃっかりしているリアムに呆れつつ、無駄な抵抗を止めたエルザ。
今度侍女に変装するときは、別の髪色に染めてもらおうと気持ちを切り替える。
『我が儘で負けず嫌いの森人さまは、頑固な一面も持ち合わせている』と、心のメモ帳にしっかりと記入しておくことも忘れなかった。
◇
その後すぐにローマンと合流できた二人は、当初の予定通り三人で行動することになった。
「これから、どこへ行くんだ?」
「乗車場へ行って、二人乗りの馬車に乗りたいの!」
「二人乗りの馬車?」
「ああ、花馬車か……」
リアムは首をかしげたが、やはりローマンは知っていた。
花馬車とは、物語に度々登場する乗り物。
クロエが恋人のネイサンと街を散策するときの移動手段として使用するもの。
通常の辻馬車は乗り合いなのでその他大勢の乗客と一緒だが、これは貸切のため希望の場所へ連れていってもらえる。
しかし、その分運賃はかなり高めだ。
「それに乗って、エルザは帝都の中央図書館へ行くつもりなのか?」
「すごい! ローマンは本当に『帝都恋物語』を読み込んでいるのね!!」
感激しきりのエルザと、それをどこか面白くない様子で眺めているリアムを交互に見やったローマンは「フフッ」と笑った。
「それで、俺とおまえ、どっちがエルザと一緒に乗る? おまえが恥ずかしけりゃ、俺がエルザと乗──」
「俺が乗る。エルザは目を離すと、どこへ行くかわからんからな」
「私って、そんなに信用ないの?」
「当たり前だ!」
エルザ目的の花馬車は、彼女が想像していたものよりもやや小さめだった。
リアムと隣合って座ると、肩がどうしても触れ合ってしまう。
普段は自信満々な態度のリアムが、遠慮がちに縮こまるように座る姿が可愛らしい。
エルザはつい声に出して笑ってしまった。
「ははは! なるほど、車体に花が飾ってあるからだけでなく、二人の体が密着するから『花馬車』なのね……」
「そこは、納得するところなのか? 俺にはよくわからん」
「好きな人と体が触れたら、ドキドキするでしょう? パアッと目の前に花が咲いたように明るく……って、リアムにこんな話をしても無駄よね。あなたは男前だけど、女心を解せない残念な人だもの」
「残念な人って言うな! お、俺だって、頑張れば女心の一つや二つくらい理解できるんだぞ。エルザこそ、男と体が密着しているのに少しは恥じらいってものがないのか?」
「恥じらいね……」
真横にいるリアムを、エルザはまじまじと見つめる。
森人のようだと表現したくなる美しい顔は、いつもより間近にあった。
日光を浴びて今日は白く輝いている灰色髪は、一つに纏められている。
長いまつ毛と綺麗な薄紫色の瞳がよく見えた。
風に吹かれるたびに、前髪がさらりと流れる。
「あなたもローマンも、私にとっては別世界の人なのよ。男性というよりも、芸術品の彫像ね。目の保養に鑑賞はさせてもらうけど、安易に近づいてはいけないとは思うかも」
「…………」
「リアム、どうかした?」
「……『別世界の人』だなんて、言わないでくれ。俺は、エルザとはこれからもずっと対等に付き合っていきたい」
「褒めたつもりだったけど、気分を害したのなら謝るわ。変なことを言って、本当にごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ悪かった。それにしても……今日は、天気が良くて気持ちがいいな」
いつになく落ち込んだ様子のリアムが気になったが、彼が話題を変えたため、エルザもそれ以上口にすることは避ける。
何事もなかったかのように振る舞うリアムへ申し訳なさを感じつつ、『親しき仲にも礼儀あり』と心に深く刻んだエルザだった。




