聖地巡礼の旅に出ます 1
二日後、体調が完全に回復したエルザは、朝スッキリと目覚めた。
もともと、寝起きはそれほど悪くはない。
どちらかと言えば、良いと言ってもいいほど。
すぐに起き上がり、顔を洗い、身支度を整える。
貴族令嬢の中には、一から十まで侍女の手を借りる者もいる。しかし、下位貴族のエルザは違う。
化粧は自分で出来るし、髪だって整えるくらいは簡単だ。
手伝ってもらうのは、一人では着脱が不可能なドレスと、それに合わせた化粧と髪型くらい。
この離宮にはマイア母娘しか侍女がいないため、自分で出来ることは率先して何でもやっている。
デイジーから「エルザ様は、貴族令嬢らしくないですね」と言われてしまったのは、笑い話。
準備しながら、つい鼻歌を口ずさんでしまう。
いつにも増して気分が高まっているのは、病が完治したからではない。
今日は、以前リアムに交渉し獲得した一日休暇。
この依頼を受けたときからずっと心待ちにしていた、帝都へ『聖地巡礼』に出かける日なのだ。
朝食の用意をしているマイアとデイジー母娘からの視線を物ともせず、待っている時間が惜しいと言わんばかりに侍女のお仕着せに着替えてから席に着く。
ついつい頬が緩んでしまう。
自分でも気持ちが悪いと思う。
それでも、このにやけ顔をやめることができない。
「エルザ様、早々にお支度をなさっても、リアム様とローマン様がいらっしゃるまで外出はできませんよ」
唐突に、マイアから衝撃的な話が飛び出した。
エルザの顔が、一瞬にして真顔になる。
「ゲッ……なんで休日なのに、あの二人も一緒なの? そんな話は聞いていません!」
「え~、いいじゃないですか。あのお二人からエスコートされるなんて、宮廷で働く女性たちからしたら夢のような出来事ですよ!」
「普段は仕方ないけど、今日は絶対にイヤ! 私は一人で行動したいの!!」
ただでさえ目立つ森人たちと一緒に行動すれば、街中で無用な注目を浴びることは間違いない。
どうにか一人で出かける方法はないだろうか。エルザは朝食を食べながら必死に考えを巡らせる。
今日は化粧をしていないため、顔は素顔のままだ。
外ではベールを被っており万が一にも自分が側妃と気付かれることはないだろうが、念のため変装用の伊達眼鏡は準備済み。
恰好は、どこからどう見ても地味な侍女にしか見えない。
離宮を出ることさえできれば、支度部屋に置いてある自分の服に着替えて通用門を通過するだけ。
宮殿は入る際の確認は厳重だが、出る者に対してはそこまで厳しくないとリアムは言っていた。
だからこそ、ヴィオレットが簡単に脱出できてしまったわけだが。
エルザはあれこれ思案してみたが、結局名案は浮かばず。おとなしく二人の迎えを待つことにした。
待っている間に予習を兼ね『帝都恋物語』を読み返していると、外出していたマイアが戻ってきた。
「エルザ様、リアム様からの伝言です。『離宮を出た先で待っている』とのことです」
「あら、今日はここまで来ないのね?」
「職務とはいえ、あまり頻繁に出入りされていますと、良からぬ噂を立てる輩もおりますので……」
「なるほど」
見目だけで十分目立つ二人は、宮殿内でも常に周囲の視線に晒されているようだ。
その中には、女性からの好意的なものだけでなく同性からの嫉妬や憎悪もあろうことは、エルザでも容易に想像がつく。
(恵まれた容姿を持つと、要らぬ苦労も多いのね……)
平凡な顔に生まれたことに感謝しつつ、エルザは眼鏡をかけ席を立つ。
階段を下り、離宮を出る。
門の前に立つ衛兵へ「お勤め、ご苦労さまです」と神妙な顔で挨拶をした。
中庭を眺めながら回廊を歩いていると、エルザの前を荷物を持った侍女たちの長い列が横切っていく。
最後尾にいる小柄な侍女は、大きい箱を二つも抱えている。体がフラフラしており、今にも落としそうだ。
素顔のときもなるべく人目につかないよう行動すべきエルザだが、つい声をかけてしまった。
「私、いま手が空いているから、運ぶのを手伝うわ」
「ありがとう! とっても助かる」
不用品の片付けをしていたと語る侍女と世間話をしていると、前方で黄色い歓声が上がった。
視線を向けると、回廊を避けた中庭の隅で二人の男性が話をしている。
「見て、リアム様とローマン様よ! 今日も麗しいお姿だわ」
「本当に、人気があるのね……」
デイジーから、宮殿内での話は聞いていた。
たしかに二人とも見目は良いし、家柄も申し分ない。
それでも、この国には他にも森人のような男性はたくさんいる。
だから、エルザは話半分で聞いていたのだ。
「一度でいいから、お話してみたいわ。きっと素敵な方たちでしょうね」
「ど、どうなんだろうね。私もよく知らないから……」
思いっきり嘘を吐いてしまった。
本当は、ここにいる誰よりもよく知っている。
けれど、「性格は悪くないけど、中身は子供っぽくてすぐに喧嘩をするのよ」とは口が裂けても言えない。
エルザは、知らぬ存ぜぬを通した。
徐々に二人と距離が近づいてきたが、ここで自分から声をかけることはできない。
彼らからも、声をかけられるわけにもいかない。
もし知り合いだとわかれば注目を浴びるのはもちろんのこと、侍女たちから無用な妬みや嫌悪の情を抱かれることになる。
まだまだ、これからも侍女姿は必要となるため、ここで集団の輪から省かれることはあってはならないのだ。
エルザは、自分の髪色を確認する。
トールキンの国民は色白が多く、基本的に髪や瞳の色素も薄めだ。
街に出るエルザが周りから浮かないように、彼女の薄紅色の髪がさらに白っぽく薄桃色に見えるようにマイアが染めてくれた。
前を通り過ぎるだけなら、リアムたちには気付かれないだろう。
おまけに、今日は眼鏡もかけている。大丈夫だと、自信を持った。
やや俯きつつ、皆に倣ってペコリと軽く会釈をし何食わぬ顔で二人の目の前を通り過ぎる。
リアムたちがこちらへ目を向けることはない。
(リアム、ローマン、ごめんね!)
こうして、エルザは一人、帝都の街に消えていったのだった。




