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プロローグ


「スカーレット様、あなたはもう終わりです!」


「おとなしく、投降してください!!」


 ここは、王城の大広間から繋がるバルコニーの一角。

 柵にもたれかかる一人の女を、数名の兵士が取り囲んでいる。

 女はその名と同じ真っ赤な長い髪を振り乱し、ワイングラスを片手に虚ろな目で夜空を見上げていた。


「スカーレット、どうか罪を償ってくれ」


 兵士の後ろから声をかけたのは、婚約者だったアルバート。

 彼の傍らには、可憐な聖女ライラが両手を組みずっと祈りを捧げている。


「……アルバート殿下、数々の罪を犯したわたくしはどうせ処刑されるのよ。民衆の好奇の目に晒されるくらいなら、ここで死を選ぶわ」


 手に持っていたグラスを高々と天に掲げると、月光に照らされた赤ワインが紫色に変化した。

 スカーレットはそれを一気に(あお)る。


「未来永劫まで、王族は呪われるがいいわ! アハハハ!!」


 呪詛の言葉を吐き捨てると、血を吐き藻掻き苦しみながらスカーレットは絶叫と共にバルコニーから落下していった───



 ◇◇◇



「ハア……」

 

 『スカーレット』を演じていたエルザは、舞台裏で大きなため息を吐いた。


 奈落に落ちた拍子に、被っていた赤毛の(かつら)がずれている。

 今は、地毛である薄紅色の髪で顔が半分ほど隠れた状態となっていた。

 しかし、鬘のズレなど日常茶飯事。エルザにとっては些末なことでしかない。

 

 冴えない顔でため息を繰り返しているのは、「後半が明らかに失速した」「力の配分を間違えた」と一人反省会に忙しかったから。

 無意識に髪を掻き上げると綺麗な碧眼が現れるが、うなだれてしまうためすぐに隠れてしまう。

 

 それを何度か繰り返していたエルザは、「カーテンコールです!」の声にそのままの姿で舞台へ出ようとして周囲から慌てて制止されたのだった。


 

 ◇



「エルザ、おつかれさん! 今日も、迫力満点の演技じゃったよ」


 重い足取りのまま控室に戻ったエルザを、初老の男性が笑顔で迎える。

 観客の前ではにこやかな笑顔を見せていたエルザだが、相変わらず顔色は冴えないまま。

 この劇団の主宰者であるオーリーから称賛されればされるほど、エルザの気分は下向きになってしまう。


「……おつかれさまでした。でも、私としては今日の出来はイマイチだわ」


「そうか? 儂はそうは思わなんだが」


「オーリーさんのおっしゃる通り、そんなことはないよ。エルザさんが今日も悪女を見事に演じてくれたから、観客は大興奮だった」


 主役のアルバートを務めた役者仲間のジェスもエルザを褒めるが、本人としては今日の演技は到底納得できるものではない。

 この劇の見せ場である、エルザ演じる悪役令嬢スカーレットの最期。

 その奈落に落ちる最後の絶叫で、思うように声が出せなかったのだ。


「明日は千秋楽を迎えるが、客の評判が良いから、すでに第二弾の脚本作りが始まっておる。企画が決まれば、また貴族令嬢役はエルザに任せるつもりだ。よろしく頼むぞ!」


「ありがとうございます。そのときは、ぜひよろしくお願いします」


 済んでしまったことを、いつまで悔やんでいても意味はない。

 最終日の明日、そして次の作品にこの経験を活かそうと、エルザはようやく気持ちを切り替えた。

 『常に、明るく前向きに生きる!』が、エルザの信条(モットー)だから。


「私もエルザさんに負けないよう、次のヒロイン役も演じられるように頑張らないと」


 スカーレットに虐め抜かれる聖女ライラを演じていたマイは、劇団内でのオーディションに合格し今回初めてヒロインの役を掴んだ期待の新人。

 素の本人も、役同様に可憐な女性だ。

 決意を新たにグッと拳を握りしめる姿は微笑ましく、エルザの目元も自然と緩む。

 

「マイちゃん、頑張って! 次も、力一杯虐めてあげるからね!」


「お、お手柔らかにお願いしますね。エルザさん、本当に貴族のご令嬢に見えるときがあるから、庶民の私には怖くて……」


「わっはっは! エルザは儂が発掘してきた逸材だからな、当然じゃ! それよりも、マイ。おまえはまた台詞を噛んだな。そんなことでは、次の──」


 さり気なく話題を変えたオーリーは疲れたのか、途中で「よっこらしょ」といつもの椅子に腰を下ろす。

 それでも、マイへの説教は止めない。

 オーリーの気遣いに感謝しつつ、エルザは人知れず安堵の息を吐いた。

 

 趣味に生きるために、エルザはこれからもこの仕事を続けていきたいと思っている。

 皆に黙っていることには後ろめたさを感じているが、自分の正体を役者仲間に知られるわけにはいかない。


 ―――なぜなら、エルザは本物の貴族令嬢だから



 ◇◇◇



 エルザこと、エルザベート・セルフィードは、メイベルナ王国のセルフィード子爵家の令嬢である。


「エルザベート、私との婚約を解消してほしい」


 それは、一年前。エルザが十九歳のときの出来事だった。

 話を切り出してきたのは、子爵家の跡取り息子。歳は二つ上だった。


「えっと……どういうことでしょうか?」


「実は、彼女に子供ができてしまって───」


 彼の話を要約すると、浮気相手との間に子供ができてしまい結婚することになったとのこと。

 相手は男爵家の令嬢だが、勢いのある新興貴族でなかなか羽振りが良いらしい。


 エルザの実家であるセルフィード子爵家は法衣貴族。

 領地を持たず貴族としてはパッとしないが、祖父も父も昔から商才に長けており商会を経営している。

 そこに目を付けられ、相手側から政略結婚を持ちかけられたのだが、これを機に男爵家に乗り換えることにしたようだ。


「わかりました。家同士の話し合いで決まったことなら、わたくしから申し上げることは何もございません。どうぞ、お相手の方とお幸せに……」


「本当に申し訳ない。君にも、良き出会いがあることを祈っている」


 しおらしく別れの挨拶を交わしたエルザだが、心の底から清々(せいせい)していた。

 もともと、全く乗り気ではなかった婚約話。

 相手は自分の価値観を一方的に押し付けてくる、かなり厄介な男だった。

 エルザのやりたいこと・興味のあることを全否定してくる相手に、愛情など持てるはずもない。


 相手側に責のある婚約解消だから、多少なりとも慰謝料はもらえるだろう。

 父は貴族としては頼りないが、契約ごとに関してはしっかりと取り決めをしていたはず。

 今回のことをきっかけにして、これからは自分の趣味に生きていこうと決意する。

 

 昔から、エルザの趣味は『読書』だった。

 恋愛物語から冒険譚までジャンルを問わず、様々な物語を幅広く読んでいる。

 そして、読書が高じたもう一つの趣味が、『聖地巡礼』だ。

 聖地巡礼といっても、宗教的なものではない。

 物語に登場する実在の場所を訪れる、アレである。 


 今一番のお気に入りは、他国…トールキン帝国を舞台にした『帝都恋物語』という作品。

 あまりにも好きすぎて、母国語のメイベルナ語で書かれた翻訳本ではなく原作本を読むために趣味仲間の友人たちとトールキン語の勉強をしたほど。

 

 学園時代はそれほど勉強は得意ではなかったが、『好きこそ物の上手なれ』とはよく言ったもの。

 おかげで、トールキン語を読むのはもちろんのこと、聞き取ることも話すこともできるようになった。

 ただし、書くことだけはまだまだ覚束ないが。


 『帝都恋物語』は、トールキン帝国の帝都が舞台。

 物語に登場する場所が、帝都内に数多く実在している。

 いつか聖地を巡る旅がしたいとエルザはずっと考えており、コツコツと資金を貯めてはいた。

  

 『婚約者』という足枷(あしかせ)がなくなった今、趣味に邁進(まいしん)することを邪魔する者はいない。

 やりたいことやり、自由に生きていける。

 そう思っただけで、心も足取りも軽やかになる。

 

 婚約解消をされた直後とは思えないにこやかな笑みを浮かべながら、エルザは馬車へ乗り込んだのだった。




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