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9.マジ聖女

「騎士シーバさん、ですか? 私は聖女マオです、初めまして」

 その日は相棒との初顔合わせで、しかも風の噂でその相棒が教会上層部と縁の深い人物だと知り、マオはガチガチに緊張していた。

 だが彼は想像に反しフランクな態度を見せた。

「さん付けならいらないぜ、聖女マオ。よろしく。俺のことは勇者シーバと呼んでくれ」

「勇者、ですか?」

 握手をしながら考える。「勇者」とは、物語でよく主人公になっているあの「勇者」だろうか。

「古来、魔王を倒すのは勇者だろ? 俺はそんな過酷な宿命を背負わされているってワケよ」

「そんな……教会はどうして椎葉さんだけにそんな重荷を……」

 座学でも「勇者」について何一つ教えられなかった。それほどの機密事項ということなのか。そもそも魔王がどこにいるのかも分からないのに、倒せだなんて酷い話だ。

「ま、まあ。俺にしか出来ないってことだろ。もちろん魔王と戦う時だってマオちゃんのことを守ってやるからな!」

「はい、よろしくお願いします!」

 笑顔で握手を交わし、マオは心強い相棒を得たと素直に喜んだ。どうせ縁故採用にあぐらをかいた放蕩ボンボンだろうと偏見を抱いていた自分を恥じさえもした。

 この時、マオは教会の基礎教練を終えたばかりのピッカピカの新米で、第一支部に配属されて初めて組んだ先輩が椎葉だったのだ。

 現場経験はまだなく、ゆえに二人で仕事をするようになって数ヶ月経っても、聖女出張サービスに主事する自分ではなく椎葉が仕事を取ってくる現状に違和感を持つこともなかった。

 目の前の依頼をこなすことに精いっぱいで、私はまだ新人だし現場ではそういう柔軟な判断をするんだろうなあと納得さえしていたのだ。

 我ながら社会を知らぬ純真無垢の十八歳だったと当時を振り返ってマオは血涙を流す。

 



「依頼人に会ったら絶対俺に感謝すると思うぜ?」

 その日、現場への道すがら、椎葉はやけに興奮気味だった。

 依頼主とは駅前の高級ホテルで待ち合わせをした。ラウンジまでマオたちを迎えに来た依頼主は、芸能事務所のマネージャーと名乗った。

 椎葉のテンションが高いのは、有名な俳優やタレントに会うチャンスだと思っているからかもしれない。彼にミーハーなところがあるのはマオも気づいていた。

 マネージャーの案内で、専用エレベーターに乗り、ぐんぐん高層階へ。暗証番号を入力してロックを解除、客室に足を踏み入れた。

 ほのかなピンクに染まった壁に花と蔓が描かれたシノワズリ風のスイートルーム。ベッドの背もたれに上体を預け、バスローブ姿でティーカップに口を付ける少女はその部屋によく馴染んでいた。

 もし彼女がいま、籠の鳥を演じているのであれば、華奢な足首にはめられた枷もまた演出としてこの部屋に馴染んだことだろう。残念ながら監督やカメラマンは存在しないので、マオはこうつぶやいた。

「少女軟禁……?」

「誤解です」

 あなたが魔物なのでは? とマオがつい不審な目を向けると、マネージャーはやつれた顔で否定した。「彼女はシルフなんです。公表はしていませんが」

 シルフとは風の精霊を指す。つまりシルフたる少女が足枷をはめられているのは、彼女が飛んで逃げるのを防ぐためということらしい。ここが四十八階であることも躊躇する理由にはなりえないのか。

「理由はともあれ少女軟禁には違いないんじゃ……?」

「真面目だな、マオちゃん。まあ話を訊こうぜ」

 マオの指摘に椎葉は気にした素振りもない。少女へのあいさつは後回し、大人三人はリビングルームにひとまず退散、引き続き声を潜めて状況を確認しあう。

「つまり、時の天才子役である三野(みつの)ちゃんは、突然魔王の部下になると言い出し仕事を放棄、映画の撮影が押しまくって関係者は怒り心頭、マネージャーさんは毎夜の胃薬が手放せないと。困ったお嬢ちゃんだな」

 芝居がかった様子で椎葉が肩をすくめる。

「ですから聖女さまに早くお祈りをしていただきたいんです」

「もちろんですとも、なっ、聖女マオ」

「は、はいっ、えっと勇者シーバ」

 さあ祈れと椎葉が圧をかけてくるので部屋の隅まで引っ張った。マネージャーに聞きとがめられない距離で訴える。「椎葉さん、少し打ち合わせをしたいのですが」

「マオちゃんは心配性だなあ。大丈夫だって、君なら出来る」

 そんなサムズアップされても!

「だって魔王の部下ですよ? 私、そんなの相手したことないです。失敗して、三野ちゃんに変なトラウマが残ったりしたら……」

 魔王と同じくその配下も謎に包まれた存在だ。確度の低い噂ばかりが先に立ち、結局のところどこの誰なのかはもちろん、何人いるのかも掴めていない。

 そもそも魔王の部下の浄化なんて、教会でもやり方を教わっていないのだ。

「落ち着けって。部下になるって話であの子はまだ部下じゃないだろ。それにな、あれはそもそも嘘だから」

「嘘?」

「そ。周りの関心を引きたいんだろ。周りってのは、彼女にとっての身近な大人のことな。仕事が忙しくて甘えられてないんじゃないか?」

 マオはこっそり計測を開始していた瘴度計を見た。瘴度五パーセント。つまり、正常の範囲内だ。

「……なるほど」

「な? 不安が拭えないなら俺があの子の相手してやるよ。その間に深呼吸して、祈りを捧げるフリしてくれれば、な?」

「はい、やってみます。やっぱり椎葉さんは勇者ですね」

 緊張がほぐれ、笑う余裕の生まれたマオの顔を椎葉がまじまじと見てきた。

 目顔で問うと「いや……」と口ごもり、咳払いをする。ぽつりと言った。

「素直だなあと思って」

「はぁ」

「おっと、時間だな」

 椎葉は腕時計を指で叩き、ミニバーから水のボトルを取り出した。持ってきていたシェイカーで粉末と混ぜ、飲み干す。勇者の肉体は資本だからと、椎葉は仕事中もプロテインを摂取するのに余念がなかった。勇者待遇として経費で落とせるのかな。

 上腕二頭筋へのプロテインの充填を確認し、いよいよ少女と相対する。

 椎葉はベッドの足元に腰かけ、マオはその後ろで待機する。

「やあ、シザーズ・イエロー。俺はサンクス教会の勇者シーバだ。こっちは聖女マオ。どうぞよろしく」

「勇者?」

 三野ははめ殺しの窓から椎葉へと視線を移した。

「そう、勇者。君の演じた『サイホー・ファイブ』と同じヒーローだ。いやあ、会えてうれしいよ」

「ヒーローね」

「俺だって毎週欠かさず見てたんだぜ。特に三十八話、話題になってたよな。シザーズ・イエローが悪の裁断師(デス・カッター)に洗脳される回。君はいっつもニードル・レッドとクッション・ピンクの仲は嫉妬して断ち切ろうとするのに、二人の合体技であるキルティン・バリアだけは絶対に断ち切らないんだ。刃を振るうまいと抵抗するあの姿、今思い出しても泣けてくるよ」

 サイホー・ファイブとは、昨年大ヒットした特撮の五人戦隊だ。

 マオが話題に乗り切れないうちに最終回を迎えたが、シザーズ・イエローを演じた三野のことは知っていた。

 十歳そこらの少女をヒーローの一人に抜擢した制作側も異色だが、ベテラン女優さながらの演技力とスタントマンばりの身体能力でもってその期待に応えきった少女の存在は、回を重ねるごとに有名になったのだった。

「サインが欲しいならあげる。さっさと出て行って」

「うん、欲しいのはやまやまだが、その前にほら、次回の劇場版はあれでしょ、悪の布用複写紙(デス・トレーサー)が人々の魂を写し取ってしまうっていう……裏話とか俺たちにこっそり教えてくれない? お菓子とか食べながらさ」

 椎葉がハンドサインで何かルームサービスを頼めというので、マオはこちらを心配そうにうかがうマネージャーに頼み三野の好きそうなものを選んでもらった。

「俺はささみのピカタで」と椎葉。なるほど笑わせてリラックスさせる作戦か。

「もういいでしょ、帰ってよ」

 三野は相変わらず不機嫌な様子で、対して椎葉は「勇者シーバさんへ」と書かれた色紙を嬉しそうに持っていた。いつのまに色紙とペンと用意したのやら。

「君はどうして魔王に興味があるんだ?」

「スカウトされたから」

「スカウト……、部下になれって誰かに言われたってことか?」

「うん、先代の部下だっていうシルフにね。そんなのわくわくするでしょ」

 三野は初めてマオたちの前で口元を綻ばせた。

「瘴気のせいでそう思い込んじゃってるんだな」

「思い込みじゃない!」

「うわっあまずっぱ!」

 椎葉は頭からぽたぽたと茶色い滴を垂らしていた。

 片腕でカップを振りかぶったまま、三野は目に涙を浮かべている。

「演技がうまいのも、アクションができるのも、シルフだからじゃなくて、私が上手なんだからっ!」

 聞いている者の胸がえぐられるような叫びだった。

 シルフだと公表しないのは、周りの大人から冷たい言葉を投げつけられた過去があるからかもしれない。

 だから、殻に閉じこもって自分の心を守り、甘え方が分からず、魔王の部下になるなんて大それたことを言いだしたのではないだろうか。

「発言は撤回しよう。勇者シーバは三野ちゃんを嘘つきだなんて思っちゃいないぜ」

 マオから受け取ったハンカチで顔を拭いながら椎葉が言った。

「本当?」

「ホント」

「じゃあ私のお願い聞いてくれる?」

 上目遣いで手招きをされて、椎葉は少女の口元に耳を近づける。マオには聞き取れない。

「え、それはどうだろ」

「もしやってくれたら……」

 こしょこしょ。逡巡していた椎葉のまなじりがキリッと上がる。

「約束だぜ、三野ちゃん」

「もちろん」

 椎葉がにこにことリビングルームへ向かう。

 マネージャーに話しかけ、一緒に外へ出て行き、少しして一人、ワゴンを押して戻ってくる。

「マオちゃん、そこのテーブルに並べといて。あとで食べるから」

「マネージャーさんはどちらへ?」

「ちょっと席を外してもらったんだよ。祈るのに危険だから」

「危険って、でも……」

 フリをするだけなんじゃ。ああ、それをバレないようにするためか、三野のために。マオは得心が行って、ふと椎葉の手に小さな鍵があるのに気づく。

 問う間もなく、椎葉はそれで三野の足枷を外した。

 三野はベッドから軽やかに降り立ち、ぐっと背伸びをした。バスローブを脱ぎ、ワンピース姿になる。下に着ていたのか。やけに準備がいいような――って言ってる場合じゃない。

「椎葉さん」

「マオちゃんの分もサイン頼んであるからな。オークションサイトで荒稼ぎしようぜ」

「そうじゃなくて、椎葉さん」

「遠慮しなくっていいから。ほら、不安はもうないだろ? 祈るフリだけしてあげてよ」

「じゃなくて窓! 三野ちゃんが!」

 椎葉の肩を掴み、強制的に反転させる。反転させた視線の先、窓枠に足をかける三野の姿があった。

 ここはビルの四十八階。地上からの高さは二百メートルを超える。マオは嫌な想像をして背中にどっと汗をかいたが、三野の顔は晴れやかだった。

「お付き合いありがと。実は待ち合わせまで時間をつぶしていただけなの」

「待ち合わせ? それよりも危ないから……っ」

 さすがの椎葉にも声に焦りが滲む。

「魔王様との初顔合わせってこと」

 三野の背中には先ほどまで無かった四枚の羽があった。向こう側が透けるほど儚い羽をもつ少女がその細腕を一振りすれば、圧縮された空気が飛び出し窓に突進をかけていく。

 室内に風が強く吹き込んだ。

 窓ガラスが砕け、室内の風圧が変わったせいだ。無数のガラス片が暴風に乗り弾丸のように飛んでくる。マオはとっさに顔を腕でかばった。

「脱走を手伝ってくれた相手に怪我をさせるつもりはないよ?」

 三野の言葉にこわごわ腕を下ろし、ぎょっとする。鼻先で、不可視の壁に阻まれたようにガラス片が停止していた。次の瞬間にはパサッと一斉に床に落ちてしまう。

「みつのぉ……このクソガキィ……大人をおちょくってくれたなァ……この勇者にあばばばば」

 同じく不可視の壁によって大怪我を免れた椎葉が、肩を怒らせ三野に向かっていき、次第に勢いがなくなり、やがて四つん這いで震え出した。

「勇者じゃなかったの? だっさ」

「あばばばば」

 最後は這うようにして三野までたどり着く。腰に両腕を巻き付け拘束するも、目はほぼ開いておらず、なんなら上体ごとひねって窓から顔を背けており、腰も抜けているのかそれ以上何もできないようだった。

 そんな小鹿のような椎葉を三野がタコ殴りにしている。

「ちょっと離れてよっこのセクハラ男!」

「三野! 何やってるの!」

 戻ってきたマネージャーが身投げしそうな勢いで前に走り出すので、マオは慌てて体で止めた。

 暴風吹きすさぶ中、椎葉と三野の攻防はあっけなく決着する。

 相手はシルフなのだ。彼女によって操られた風は椎葉の体に絡み、組み付いた両手足を解いた。また絡まれてはたまらないと空気砲が椎葉の体を突き飛ばす。勢いにのって椎葉の尻は浮き上がり、床に何度かバウンドしつつ最後は壁にキスをして止まった。

「ばいばーい」

 そう言い捨て、少女は地上二百メートルの空中に身を投げた。縁側から庭へ下りるような気軽さだった。重力すら彼女に勝てなかった。

 羽を動かし風に乗り、宙をスキップしながら飛んで行ってしまうのを、大人たちは窓の中から三者三葉に呆けて眺めていた。

 さすがにマネージャーの切り替えは早かった。次に我に返ったマオがいくら謝っても「三野の演技力が憎い……それはそれとして教会にはあとで厳重に抗議します」と受け入れてくれるはずもなく、鬼電をしながら部屋を飛び出していった。

 マオは、爆発しそうだった心臓が落ち着きを取り戻し、このあとの展開を予測して暗い気持ちになった。それから少し面倒な気持ちになりながらも、一人で動こうとしない、うつ伏せで臀部だけを上げたままの椎葉に近づいた。

 途中で剥がしたベッドスローを半ケツにかぶせる。

「どう報告しましょう、これ……」

「気づいてないだろうが、俺は、高所恐怖症なんだ」

 床に転がっていたブラケットライトをぬいぐるみのように抱き寄せ、椎葉がぼそぼそとしゃべる。

「はあ」

「それなのに、がんばったのに、子どもにからかわれて、後輩の女の子にケツまで見られて、俺はどうすればいいんだ……」

「何言ってるんですか、私なんて動くことすらできなかったんですよ。恥じるべきは私の方です」

「たしかに……」

 たしかに? いいや、椎葉はいま気が動転しているのだ。床に転がっていないで早く上司に報告を入れてもらわなければならない。

「とっさに判断しなければならない状況で、椎葉さんは自分の苦手に立ち向かうことを選んだってことでしょう? 私には出来ないですよ、そんなの。もし魔王が目の前に立ちはだかっても、きっと椎葉さんは今日と同じように飛び出すんですよ。だって勇者ですもんね」

「マオちゃん……」

 鼻水だらけの顔がマオを仰いだ。

 うっと思ったが、ヘッドボードに引っかかっていたハンカチを取り、聖女スマイルとともに椎葉へ差し出した。もう鼻水でも何でも拭けばいい。タオル地にチェック柄の入ったこのハンカチは、何年も前にマオが化粧品を買った時のノベルティで、先ほど顔を拭かれてもいたしもう捨てるつもりだった。

「まずホテルの人を呼んで、事情を説明しましょう。損賠請求が来たら、どうしよう……あはは」

 椎葉はハンカチを受け取り、握りしめた。鼻に押し付け、大きく吸い込む。あのちょっと?

「いちごの香りだ」

「三野ちゃんが飲んでた紅茶のフレーバーでは……?」

「俺さ、最近ずっと思ってたんだよ。けどいま確信したわ。マオちゃんってマジ聖女だなって。勇者やってて、こんなに素直で思いやりがあって俺のこと分かってくれる子、いなかったなって」

「は? いえ、そんなことより報告を……」

「マジでありがとう。俺、勇者やっててよかったわ」

「あの、ですから……」

 後日、マネージャーから予告されていた通り芸能事務所から教会へクレームが入り、半期のタイミングでマオと椎葉の相棒関係は解消された。一方、椎葉からのアプローチは反比例するように熱烈になっていった。

 そのまた後日、クレームがあってもなくても椎葉の相棒になる聖女には定期的にローテーションが組まれていることを知った。組まなければ聖女が持たないからだという。

 周知の事実が「うっかり」新人の自分には知らされていなかったことを知り、マオは内勤への異動願いを上司に叩きつけたのだった。

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