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8.信じてませんけど

 もともとここに住んでいたのだと露木は言った。

 住みながら、市の職員として里山の、とくに水辺での生態系保護活動をしていた。五年ほど前に現在の夫である羽山から見染められ、猛烈なアプローチを受け入れる形で四年前に結婚をしたという。

「結婚はあなたの本意ではなかったのでしょうか」

「ちがう!」

 強い否定だった。

 露木はマオたちに協力的で、瘴度の計測にも抵抗しなかった。

 そして計測の結果、マオは聖句を唱える必要がなくなってしまったのだった。

「一度、ご自宅に戻りませんか」

「行けない」

「我々があなたの足になりましょう。ご自宅からここに来られた際もどなたかの協力があったのではありませんか?」

「……行かない」

「理由をうかがっても?」

「彼がおかしくなってしまったから」

 またそれだ。

「ご自宅の瘴度は正常の範囲内でした。ご心配でしたら、計測結果を書面でお渡しすることもできますが」

 返答はない。

 どうしたものかとマオが内心で唸っていると、草を踏む足音とともに新たな人物が現れた。

「露木くん、お客さま?」

「……みねちゃん」

 慣れた様子でフェンス内に入ってきたその人物は「みねちゃん」で、露木の友人と名乗った。訊けば、露木を車でここまで運んだのも彼女だという。その後も二日に一回は差し入れを持って顔を出しており、マオと鬼久川が教会の人間だと知ってどこか納得したような表情を見せた。

 マオはその場をひとまず離れ、置き去りにしたままだった鞄を確保しスマホを手に取った。

 今回の依頼内容は、依頼主の妻を見つけて連れ戻すこと。無理やり連れて戻ることはできるが、抵抗されたらどうするか。瘴気が関係していない以上、教会としても強引な手は打てない。

 電話番号を履歴から呼び出し、通話ボタンをタップする。

 十秒ほど待って応答があった。

「羽山さま。聖サンクス教会の聖女マオです。露木さまが見つかりました」

『そうですか』

 反応が薄い。居場所は知っていたのだからこんなものだろうか。

「露木さまと少しお話しはできたのですが、実は、羽山さまのもとに帰るのを拒まれてしまいまして」

『魔物になっているんでしょう。それをどうにかするのが教会の役目では』

「おっしゃる通りです。しかしながら、露木さまご自身やその周辺に瘴気の影響は見られなかったのです。ですので現状、ウンディーネである露木さまに不貞行為は不可能だと思います」

『……は?』

「本来であれば、聖女である私が聖句を唱え、瘴気を払います。後ほど、報告書をお送りいたしますが、払う瘴気がありませんので、我々にはただの言葉で露木さまとお話しするしかなく……羽山さまは、他に何か思い当たる原因はございますか」

『つまり、あんたたちは、あいつの言うことを鵜呑みにしたんですか』

「いえ、調査は規定に基づき行いました。そのうえで露木さまは」

『魔王のせいでしょう? 瘴気を振りまいて、妻をおかしくしたのは。あんたらはそれを正すのが仕事だろうが』

 一拍置いて、会話を進める。

「……お力になれず申し訳ありません。残念ながら、露木さまがご自宅に戻られないのは、露木さま本人のご意志という判断となりました」

『じゃあ、何か? 俺が悪いってか? 露木は俺のせいで出て行ったって? よくそんなこと軽々しく依頼主に言えるな』

「私の言葉が足りず、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。私どもとしましては、羽山さまにご納得いただける形で仕事を終えたいと思っております。露木さまとお話を重ねるためにも、恐れ入りますが、羽山さまもこちらにお越しいただくことは可能でしょうか」

『依頼主に泣きつくのか? あんた本当に聖女か? 詐欺師の間違いだろ』

「羽山さま、誤解を……」

『もういいわ。知るかよ。このクソ×××』

 ブツと切れる。誰が×××だこの野郎。

 どうしたものかとマオがスマホを見つめていると、鬼久川がやってきた。ふわっと生乾きのニオイがする。むろん、マオも同じニオイを漂わせているだろう。

「どうでしたか」

「手付金だけでも払ってくれないと困るなーって感じです」

 請求書はメールで送るとして、あの態度の相手が素直に支払うだろうか。経理担当から怒られる事態は阻止したいところだ。

「あの……」

 みねちゃんこと露木の友人がおずおずとやってきた。マオが声をかける。

「改めて見苦しい格好で申し訳ありません。どうかされましたか?」

「実は露木くんが私に教えてくれたことがあって……、彼は、不倫しているのは羽山くんだって言うんです」

 つまり、不倫しているのは妻でなく夫のほうだと。

「だから露木さまは家を出たのですか」

 みねちゃんは嗚咽をこらえるようにハンカチで口元を押さえた。

「私はどちらにとっての友人でもありますけど、今回ばっかりは私、露木くんがかわいそうで。あの、聖女様、彼を羽山さんから解放させてあげられないでしょうか? お金ならもちろん払いますから」

 ウンディーネの、生涯ただ一人しか添い遂げられないという天との契約。破ればその身に待つのは死だ。彼らの種族が神から課せられた縛りであり、それは聖女という名を持っていてもただの人間であるマオには推し量れない神の領域だった。

 ならば、とマオは隣を見上げる。

 ベクトルは正反対だが、人類未踏の領域に立っている男が隣にいる。その男たる鬼久川はマオの目顔を読み、横に首を振った。

 マオはみねちゃんに頭を下げる。

「私どもにはなんとも……力及ばず申し訳ありません。教会での調査のお時間をいただけるのであれば、もう少しお伝えできることがあるかもしれませんが、いかがしましょうか」

「……そうですか。でも調べるなら、露木くん本人の意志を無視してはできませんよね」

 また相談させてください。もちろんです。そんなやりとりをして、みねちゃんは帰っていった。

 その去り際に、彼女は――。

 



「笑ってましたね」

「笑ってましたね」

「鳥肌が立ちましたよ。池に落ちたせいかな?」

「こちらの手札が残っているのか探りたかったのではないでしょうか」

 もしかすると依頼主の羽山とみねちゃんは――とは、ゲスの勘繰りだろうか。

「隠す気も無いのかもしれませんね。ねえ、ウンディーネのあの縛りのこと、本当に何か知りません?」

 鬼久川は数秒口を噤み、

「知っていれば、私自身の契約を解除できる糸口になるかもしれませんね」と答えた。

「魔王も契約に縛られているってこと?」

「はい。魔王を辞めるためには、誰かにその権限を譲るしかありません。生きているうちに自主的に後継を選ぶか、命を絶って強制的に移すかです。どちらにせよ今日にでも実行に移せますが、どちらにおいても別の人間が犠牲になるだけです」

 もし私が魔王だったら後継を選ばずにいられるかな、とマオは思った。

 さっさと誰かに譲ってしまえばいいのに、そうはしないのだ、この男は。

「だから別の方法で魔王を辞めたいんですね」

 鬼久川が目を見開いた。

「……信じてくれたんですか」

「信じてませんけど?」

 ひとつ提案があるという鬼久川に従い、池に戻ってきた。

 転覆した小舟が桟橋に係留されており、そばでウンディーネが小鳥と戯れていた。

 その横顔の悲しげな表情がなおのこと彼を一幅の絵画に閉じ込めているようだった。

「ご友人から調査の件をお聞きになりましたか」

「……不倫調査のこと?」

 いいえ、と口ごもったマオに代わり、鬼久川が彼の前に片膝を着いた。

「露木。私の部下にならないか」

「えっ」

「はぁ?」

 順に露木とマオの反応である。

 気にせず鬼久川は続ける。

「私は契約によって魔王になったが、これを解除したいと思っている。君が君の契約から解放されたいと思うなら、何か力になれることがあるかもしれない」

「魔王さま……の、部下? ぼくが……?」

「そうだ。君が協力してくれるのなら、私が手を貸そう。これもある種の契約だが、もし」

「ストップ!」

 マオは好き勝手のたまう鬼久川の口を手で押さえつけていた。「瘴気を出すな! あっこれはセクハラじゃないから!」

 手をぱっとはなす。遅れたようにぐらっとめまいに襲われる。頭を振って不快感を払った。

「魔王の体から瘴気は」

「出ないんでしょそれは聞きました! でも瘴気の発生が魔王の心身に影響されるなら露木さんに魔が差しちゃうかもしれないでしょうが」

 聖女が目の前で誰かを魔物にされた日には、メンツ丸つぶれの教会が打倒魔王とかあのアホみたいに言い出しかねない。

「部下になれば、瘴気の影響は受けないのです」

「えっそうなの?」

「いつでも魔王によって契約は破棄できます」

「流行りの婚約破棄を!?」

「流行っているのですか? 破棄できるのは、主従契約の方です。聖女マオ、私は彼の意志を尊重するとあなたに誓いましょう」

「……そんなこと言われても」

「なる。部下に」

 露木の瞳がめらめらしていた。魔王というワードを聞いたつい先程は怯えた表情を見せていたというのに。

「ええ……露木さん、露木さま? そんな軽率に決めない方が……」

「いいえ聖女さま。ぼく、受け身な自分を変えたいんだ」

 うーん、彼とは今日会ったばかり、これぞという反論材料が出てこない。

三野(みつの)、出て来い」

 みつの?

 鬼久川の呼びかけに木陰から一人の少女が現れた。

 年のころは、十代前半。何より特徴的なのは、背中に生えた二対の羽。風の精霊(シルフ)だ。蝶のように空を舞いこちらに近づいてきた。

 シルフで、名前が「みつの」。マオはその名前に覚えがあった。

「天才子役の三野ちゃん?」

 彼女とは実は会ったことがあるのだが、悲しいかな相手はマオを覚えていないようだった。三野はつんとそっぽを向き、鬼久川の隣に降り立った。

「はい、(わか)

 そう言って、タオルとトートバッグを差し出す。

「彼女の分の着替えは」

 え、私の分?

「ないよ?」

 三野はあどけない顔で首を傾げている。

「……では舟を転覆させたことを謝りなさい」

「……ごめんなすわぁぃ」

 歯を食いしばって言われてもなあ。

 その様子を見て鬼久川はため息をつくも、話を進めることにしたようだ。

「露木だ。私の屋敷まで送ってくれ」

「もしかして部下にするの? ……まっいいよ」

 三野は露木をじろっと眺め、やがてニパッと顔を明るくして頷いた。視線は指に、リングのはまった薬指に固定されている。

 自分より大きい露木の体を軽々抱き上げ、三野は木陰に消えた。

 マオはどうしても気になることがあった。

「あのー、三野ちゃんって鬼久川さんの、魔王の部下なんですよね」

「はい」

「児童労働なら見過ごせないんですが」

「ああ……、それなら問題ありません。ご存じありませんか、シルフは若作りなんです。三野は僕たちより年上ですよ」

 マジか。

 マオの脳裏に数年前の仕事の記憶が蘇った。当時の不手際を改めて突きつけられた気分だ。

 早くシャワーを浴びて、体だけでもすっきりさせたい。そうしたら、今回の報告書で何をどう言い繕うか、一つくらいアイディアが思い浮かぶかもしれないので。

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