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4.食べちゃったよ

 聖サンクス教会第三支部は、県東部S市に事務所ビルを構える。七月某日、マオはその駐車場で実に数年ぶりに社用車の運転席に座っていた。

 座席位置やミラー類を調整するルーティンにびくつき、カーナビに打ち込んだ住所を三回も見直した。

「……聖女マオ」

 前のめりなマオに声をかけるのは、助手席に座る相棒であり新米の騎士だ。

 まさかキミ、鞄のツヤピカペーパーゴールド免許を見透かしているのかい? どうでもいいけど、免許写真ってどうして毎回こんなに()()()()()のかな。

「大丈夫です。ほとんど一本道なので。君は休んでいて」

 昨晩のうちにイメトレは済ませてきた。ブレーキペダルを踏みながらエンジンをかけ、シフトレバーをチェンジ、サイドブレーキを下げてブレーキペダルから足を離し、アクセルペダルを優しく踏む。

 よし、よし、体は覚えているみたいだ。ウィンカーを出して車道に出た。

 カーナビの指示でどうにか市街地を抜けられた。あとはほぼ森の中の一本道を辿るのみ。木々を掻き分けるように進んでいく。

 予定通り三十分ほどで森を抜け、視界が開く。住宅と田畑が点在するのどかな風景に迎えられる。

 そのうちの一軒が、今回の依頼主である森元氏の自宅だ。

 あらかじめ指定を受けた敷地の端にバックで駐車し、サイドブレーキを引き上げる。

 ふう。一日の仕事を終えたくらいの達成感がある。晴れやかな心で額の汗を拭って助手席に声をかけた。

「よし、行きましょう。あ、今のうちに訊いておきたいこととかあります?」

 運転に集中していて気づけなかったが、道すがら会話が無かった。緊張しているのか、あるいは運転手に気を遣ってくれたのか。

「服装はこれでよいのでしょうか。スーツは持ってきましたが……」

 二人が身に着けているのは教会支給の作業着だ。

「昔は聖女と騎士それぞれ制服があったらしいんですけど、ここ十年くらいでカジュアルになったんですよね。現場はスーツか、作業着でOKです。今日は確実に土いじりしますしね」

「なるほど」

()()はないですよね」

 そうですね、と騎士は口元を押さえて小さく笑った。

 彼の分厚く発達した肉体が狭い車内で、しかも隣にあるとやや怯んでしまうが、その威圧感を本人も自覚しているのか表情や態度は正反対のように穏やかだ。

 まだ組んで日は浅いが、良好な相棒関係を築けたらいいなとマオも素直に思う。

 車を降り、住宅の玄関へ。チャイムを鳴らす。

 依頼主は七十代の高齢女性。現在は一人暮らしとのこと。

「聖サンクス教会から参りました。聖女の眞尾と申します。こちらは騎士の鬼久川(きくがわ)。私の補助を務めます」

 現れた相手に聖女スマイルで名刺を差し出す。

 CS部から営業部第三営業グループに所属が変わり、名刺も新しくなった。

 部署名の通り、出張依頼が少ないときは個人宅や企業を訪問して営業をかけなければならない。夏は辛いものがある。

 まだデスクの引き出しに九百枚以上眠っているが、せめて半年は持たせたいところだ。

「お待ちしてましたよ、私が森元です。どうぞ中へ。あ、漬物はお好き?」

「え? はい」

「暑かったでしょう。水分と塩分とってね、倒れられたら困っちゃうから。日が落ちたら畑を見てもらえるかしら」

 客間に案内され、麦茶とお茶請けが出てくる。お茶請けはナスの漬物だった。運転で疲れていたのでありがたくいただくことにする。

 小鉢に盛られたナスを爪楊枝で一つ刺し、口の中へ。

 実は漬物はマオの好物だ。この()()()とした歯ごたえと、あふれ出す汁がたまらない。炊き立ての白米でかき込みたいところだが、冷えた麦茶との相性も馬鹿にできない。もう一ついただこうっと。隣で鬼久川も静かに口を動かしている。

「お味はどう?」

「すごくおいしいです。すみません、つい手が伸びてしまって」

「いいのよ。たくさん食べて塩分補給してね」

「農作物への被害と聞いていますが、詳しくうかがっても?」

「そうなのよ。すごくおいしいものと、すごくまずいものと両極端なものが()るのよね」

 うーん、それだけだと何とも言えない。

「ほかに気になることはありますか?」

「そうねえ、形がちょっと変わっているかも。今朝収穫したものがあるからちょっと待ってね」

 森元を待っている間に爪楊枝をもう一刺し。しかし本当においしいんだこれが。だめだ、親戚のばあちゃんちに遊びに来たわけじゃない。気を引き締めないと。

「お待たせ。これなんだけどね」

「ごふっ」

「あら、大丈夫? 麦茶お代わりいる?」

「ゲホゲホゲホッ」

 死に物狂いで頷く。新たに満たされたコップを引っ掴んであおる。喉につかえた一切れをどうにか奥へ流し込んだ。

 呼吸を整え、無視できない視覚情報についてこわごわ森元に問う。

「あのその、右手のざるに並べてあるのは」

「こっちがすごくおいしいの。実がぎっしり詰まっていて、ハリツヤがいいでしょう? だけどこっちがね、もうシナッシナのふにゃふにゃで、味も見た目通りのマズさ。私の料理テクをもってしても復活しようがないのよ」

 森元は左のざるを見てがっかりした顔をしている。

「そうですか、いえそうではなく」

 もしかして、幻覚か?

 マオは不安に駆られ、隣の騎士に小声で話しかけた。

「鬼久川さん、これチ……」

 いやまて、これすっごいセクハラにならない?

「幻覚ではないと思います」

 鬼久川が神妙に頷く。

「だよねえ!」

 よかった伝わった! いやよくない。

 森元が持ってきてくれたのは、ざる二枚にそれぞれ盛られたナスの山だ。左のざるには発育不良なのか、あるいは成熟を終えて中の水分が蒸発したのか、萎びてほとんど棒切れになったナスが積まれている。

 問題はおいしいと評された右のざるの方だ。

 たしかに実はパンと張り、皮は光を反射してつやつやと黒紫色に輝いている。だが、この形状は見たことがない。スーパーで年中見られる長ナスよりかなり短く、トマトのようにぼてっとしたフォルムだ。それだけなら品種の違いと言えるが、奇妙なのは、丸々とした表面が一部突出していることだ。

 突出は棒状で、始点はヘタ近くにあり、表皮に背中を預けてぶら下がっている状態だ。

 棒でないならあるいは、「亀」が、重力に従って首を伸ばしているとでも言おうか。

 食べ物に対してこんなイメージは不躾にも程があるが、しかしこれは人間の身体的一部分に非常に似ているのだった。

 左右を見比べ、マオはふにゃふにゃ()()()()()を指さした。

「……形、おかしいですよねどう見ても」

「ぞうさんみたいよね」

「そうですねえぞうさん! 耳のないぞうさんですねえ! ちなみに私がいただいた浅漬けは」

「すごくおいしいでしょ?」

「食べちゃったよ……」




 夕陽が沈んできたので泣き崩れるのは諦め、畑を見せてもらうことにした。

 家を出て、五分ほど歩いた先の農業ハウスへ案内される。自家消費用に何種類かの野菜を育てているという。

「ここ、お父さんが亡くなってからしばらくは知り合いに貸していたのだけど、ちょっと自分でも育ててみようかしらって去年から始めたのよ」

 被害があるのはハウスでも限定されたエリアだった。五メートルほどの畝が二つ。植わっているのは、二種類の形状のナス。先ほど森元に見せられたまさにその通りに果実が生っていた。

「おばちゃん! チ○チ○ちょうだい」

 ハウスのビニールをめくって、小学生らしき男児が二人ずかずか入ってきた。

 森元は慌てた様子もなく、「どれがいい?」とリクエストまで受け、男児がそれぞれ選んだ一本をもいで渡している。

「きゃははははっ、チ○チ○! マジでチ○チ○だ!」

「あっ、姉ちゃんも兄ちゃんもチ○チ○握ってる!」

 お姉ちゃんもね、何も好きでたま○っちみたく握っているわけじゃないんだよ……。それはさておき。

「森元さま、瘴気が含まれているかもしれないので子供に渡すのは……」

「でもおいしかったでしょう」

 反論できない。腐っても聖女なので、調理済みであっても瘴気が含まれた食べ物を違和感なく食べきることはない。しかしこの形。なぜナスを手に取っているだけで小学生に笑われなければならない。

「味がよいのは、森元さまの育て方がいいからではないでしょうか?」

「それが不思議なのよねえ。去年はまずいまずい言われたのに。何も育て方は変えてないのだけど」

「去年と作る場所は変えてますか? 連作障害の対策などで」

「連作障害って?」

 森元はナスの連作障害について知らないようだ。とはいえマオも詳しいわけではない。スマホで調べてみると、やはりナス科は病気になりやすく、毎年同じ場所で育てるのはよくないと書いてあった。

 鬼久川が森元に断りを入れて、ナスを片手で握りつぶした。容赦がなくていいのか、いやいいのか、ナスだしね。

 そうして滲み出てきた水分を、液体専用の瘴度計で計測する。瘴度は一割以下だった。

 果実以外にも葉、茎、根を調べた。どれも瘴気は含んでおらず、根に付着していた土にのみ反応があった。しかしこちらも十五パーセントという微妙な数値だった。つまり、ナスの形状を変えるにしては瘴気が薄すぎた。

 念のため、ハウス内の他の野菜も調べたが、特筆すべき結果は得られなかった。

「ノームでしょうか?」

「私もそう考えてました」

 鬼久川の言うノームとは、土の精霊を指す。

 土の精霊が住まう土地は豊饒が期待できるため、農家がマッチングサイト等を使ってわざわざ呼び寄せるケースがあるくらいだ。ノームのおかげで土壌の栄養分が高まり、ナスがおいしく実るまでは何らおかしなことはない。

 だが、形状を好き勝手いじくるのはやりすぎだ。これは、瘴気に侵されているせいかもしれない。

 生物を狂わせる瘴気は、「魔王」がこの世界にいる限り発生し続けると言われている。

 魔王は謎めいた存在だ。

 牛のような角を頭から、尻尾を腰から生やしている以外は「人間」に近い姿をしているらしいが、めったに人前には現れず、普段どこに潜んでいるのかもわからない。

 だから、魔王を倒して瘴気の発生を元から断つという解決策をとれない。

 そう息巻いている男は一人いるが、まずあの椎葉(アホ)には無理だろう。

 そもそも魔王を倒せばそれで万事解決する話なのかも究明されていない、なぜなら誰も魔王を倒したことがないから――、というように鶏と卵のジレンマに陥ってしまうわけだ。

 聖女の仕事は対処療法で、今日もマオは自分の仕事をするのみだ。

 一度ハウスの外に出て、森元に作戦を説明する。

「ノームにお会いされたことはありますか? 作物への被害は瘴気にあてられた精霊のせいかもしれないのです」

「この家に来てからはないわねえ」

「もしかすると、夜間を狙われているのかもしれません。この一画を浄化するにも、地中深く潜られては手が出せません。人けのない時間帯に出てくる可能性が高いので、それまで待機させていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、分かったわ」

「大変心苦しいのですが、あの畝からナスをすべて引き抜いても? 収穫手伝いますので」

「じゃあ作り置きのタッパーをたくさん準備しておかなきゃね」

「はは……」

 三人でもくもくと収穫していった。生々しい形状のそれを掴み、ヘタを一、二センチ残しハサミで切る。そう、これはナスだ。まごうことなきナスなんだから。マオは自分に言い聞かせ、ひたすらもいでいった。

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