13.魔王を辞めたら
捕獲したサラマンダーは、なんとその数が千匹を越えた。
一匹ずつみればちょろちょろ駆け回る姿が愛らしくも、それだけの数が寄り集まると巨大なドラゴンもさもありなんと思われる圧巻の光景となった。
これまた教会の研究開発部が作成した翻訳機で調書を取れば、みながみなこの温泉街に住んでいるわけではなかった。県内あちこちから、椎葉に引き寄せられ、仲間を増やしながらここまで来たのだと言う。
本社から注意喚起がまわってきていた、第一支部管内でのボヤ騒ぎは、結局のところ椎葉とこのサラマンダーたちのせいだった。
魔が差した椎葉とサラマンダーが共鳴しあい、仕事やプライベートで椎葉が方々を移動するたびにその仲間を増やし、ボヤ騒ぎやらいたずらやらを引き起こしていたというわけだ。
そして共鳴が千匹を越えたとき、辿り着いたのがこのY温泉だった。
県内各所に住まうサラマンダーたちは、せっかくだからと一晩の湯治をしてから帰ると言う。つぶらな目が千対もあると反論などできようがなかった。
もともとY温泉にいたサラマンダーたちには、さっそく地下に潜ってもらい、塞がっていた泉源を元に戻してもらった。パイプを通じてもう間もなく白戸の旅館に新鮮な湯が届けられることだろう。
白戸といえば、熱心に三野へ話しかけていた。サイホー・ファイブの大ファンとかで、「町おこし怪獣映画のヒロインにぜひ」などと口説いていた。
三野はまんざらでもない顔をしていたが、承諾したかまでは分からない。
幸い、怪我人は出なかったが、建物のボヤ、部分焼け、壁や屋根などの一部損壊は避けられなかった。
一番酷かったのは道路だ。崖崩れが起きた道は通行止めになっている。「おいらたち悪くないもん」「文句はまおーに」とは土橋兄弟の言だ。それだけ言い残し、さっさと花村のもとへと帰っていった。修繕費用の負担割合については、関係各位にて話し合いが行われるだろう。
椎葉については、今のところ寝ぎたなく旅館の一室で眠りこけている。この男を第三支部まで運び、上の判断を仰ぐ。騎士が魔物になるなどという前代未聞の不祥事には、どれだけ縁故特権があろうとも罰を与えてもらわなければ腹の虫がおさまらない。
マオはそれ以上深く考えるのはやめ、温泉街の復興作業に徹した。一日では終わらず、その日は白戸が旅館に泊まらせてくれることになった。
無事湧き出した温泉でぼろぼろの肉体を癒し、広間でおにぎりと味噌汁をいただいた。
割り振られた部屋にて翌朝までの休息をとる。この部屋は、マオと三野と露木に充てられたのだが、露木は川にいることを選び、結果マオと三野の二人きりになってしまった。
三野はどこかへ消えたので、今のところ気まずい思いはしないで済んでいる。
思う存分一人でまったりしていると、脳内にひらめくものがあった。
「鬼久川さん! ……角だ」
下階の部屋の一つに駆け込むと、見たことのない姿の鬼久川がいた。角が生えているのだ。そういえば前に不可視の角を触らせてもらったことがあった。
それがいま、目視できる状態になっているのだ。
こめかみあたりから生え、外側へ湾曲しながら天へ伸びている。黒色でつやつやとした、そう、触り心地のよい角だった。
尻尾もあるんだっけ? 浴衣に隠れて見えない。目も何か違うような。そう、瞳孔が切れ長だ。
「……三野がかけ忘れたようです。何かご用でしたか」
三野が視覚情報を歪ませて、鬼久川の角なり尻尾なりを隠していたらしい。やはりすごい少女だ。少女じゃなかったんだっけ。
「……なにか言わなきゃと思ったんだけど、忘れちゃいました」
沈黙が部屋に横たわる。鬼久川が迷うように口を開いた。
「浴衣、お似合いですよ」
「鬼久川さんのはちょっとサイズ小さいですね」
「そうですか」
「ちょっと立ってみてください……アハハ!」
つんつるてんだ。着物のキメ姿を前に見ているだけになおさらおかしい。
「酔ってますね」
「酔ってませんよ」
「手に猪口をお持ちのようですが」
「ちがうんですよ」
「違うんですか」
「白戸さまがね、三野ちゃんを映画に出したいってオレンジジュースで口説きに来て、ついでに私にはお酒をね、それが銘酒だったんですよ……飲みますよね……? 前に飲まなかったの後悔したし……あ、私のパンツは忘れてくださいね?」
「……それがご用で」
「ちがいますけど? ちょっと待ってください私アルコール入れた方が頭働くんで」
座椅子に座り、猪口を呷る。
鬼久川が向かいに座ろうとするので、制止して書くものを要求した。壁際の引き出しからペンを取り出すのを確認し、手招きして隣に座らせる。
手を取って、甲の中心に大きな黒丸を描く。
「思い出しました。分散すればいいんじゃないかなって」
黒丸の周りに、小さな点を散らせる。書けるだけたくさん。
「分散?」
「聖女だって分業の時代ですよ。私たちはたくさんいて、日々それぞれ働いてて、でも今日みたいに力を合わせることもできる。魔王だってたくさんいればいいじゃないですか。リスク分散ですよ。一人一人の力は弱くなるけど、いざとなれば話し合って意思の統一もできる。契約書の甲乙って、会社名とか団体名が入ることもあるでしょ、必ずしも個人名じゃなくてもいいんじゃないかって」
「……完全に盲点でした」
「そうでしょ」
魔王一人一人の力が弱くなれば、その人の心身状態によって瘴気の発生量が左右される、なんてこともなくなるかもしれないのだ。
いつのまにか、互いの指が絡んでいた。
「よくよく考えたらすごいことですよね。いま世界中のどこにも瘴気が発生してないんでしょう?」
「気分はどうですか?」
「すごくいいよ?」
めまいや吐き気は感じない。酒のおかげだろうか。
指の力が強くなった。
「でも、あれかな、魔王を募集したら」
「募集するんですか」
「たくさん応募来たら、鬼久川さん魔王辞めれるでしょ? でもやり方を工夫しないと、立場の弱い人とか貧困の人が来ちゃうかもしれない。それはよくないことです」
「……私が魔王を辞めたら、マオ先輩は私のことを忘れてしまいますよ」
「魔王のことだけ忘れるんです? それとも存在ごと?」
「存在ごとだったら、どうしますか」
「どうしよう……?」
酒が入ると涙もろくなってだめだ。
濡れた頬が大きな手に覆われ、離れていかない。
悲しいのに、やっぱり触れられていると、すごく気分が良かった。
「……私は、魔王のままでいることを選んでしまいそうです」
* * *
足下のおぼつかないマオを部屋まで送り布団に寝かしつけ、鬼久川は自室に戻った。
広縁へとつながる障子を開け放つ。
そこには、椅子に縛り付けられた椎葉がいる。
唸って暴れるので、口元のガムテープを剥がした。深刻な表情で問われる。
「お前、マオちゃんのパンツ見たのか……?」
ガムテープを戻した。
「……彼女にこれ以上付きまとうな」
同じ屋根の下に居て、この男がマオにちょっかいをかけないとは思えなかった。マオの祈りを軽視しているわけではない。だが話を聞く限り、この男は魔が差す前から彼女のストーカーだった。
その生来の変態性を証明するように、浄化直後にもかかわらず彼女へのうわ言を口走るのを聞いた。鬼久川は、手元で見張っておかなければ気が済まなかった。
また唸るので、仕方がなくガムテープを剥がす。痛みに対する配慮はしない。
「イチチ……あいつは大事な後輩だから、見守るくらい許してくれよ」
「相棒関係になく、勤務場所も違ういま、お前が保護責任を感じる必要はないはずだ」
「マオちゃんに迷惑だったって言われて、反省はしてるぜ? だからさ、これからは自称同士、二人で彼女を見守ろうって話でね?」
「……自称同士?」
「自称勇者と自称魔王。ある意味あんたのおかげで俺も吹っ切れたっつーか。その角も目もコスプレだろ? 気合入ってんなー、俺も勇者の制服オーダーしよっかなうべっ」
ガムテープを戻す。その後はいくら目で訴えられても聞かなかった。
三野を呼ぶと、ほかほかした顔で現れる。また温泉に浸かっていたのだろう。
「寝る前にすまないが、この男を見張っていてくれ。私は少し夜風にあたりたい」
「……情熱的なお顔も素敵ね、若」
上気した顔をことさら赤く染めて見上げてくる。
「西丸もどこかにいるから、心細ければ呼びなさい」
「ここにおりますぞ」
天井裏からすっと降りてきた。あの枠をよくその腹囲で通ってくるものだ。
「では二人で頼む。すぐ戻る」
去り際、西丸に「いとけない若を久しぶりに見られ、くすぶっていた父性に火が付きそうですぞ」と不可解な言葉をかけられた。
* * *
翌朝、相変わらず第二形態フォルムの白戸から広間で軽食を受け取り、そこで鬼久川と顔を合わせた。
相手は既に作業着姿ながら、湯呑を傾ける所作にあの屋敷にいた若旦那が重なった。この年まで擦れずによく育ったものだ。いや、魔王になった時点で擦れるとかの次元ではないのかもしれないが。
ふと、湯呑を傾ける鬼久川の手の甲が汚れているのに気づく。かすれてはいるが、直径数センチの黒丸と、それよりはかなり小さい黒点がいくつも散らばっているのが分かる。
「おはようございます。どうしたんです、その手」
もう作業を始めていて、そこで炭に触れたのかとも少し思ったが、どちらかというと人が意図して記したメモ、というかラクガキに見える。
あのてんてんは、すいかの種か?
「……覚えてませんか?」
「鬼久川さん、手にメモするような無精じゃないですもんね。もしかして、私が何か強要した……?」
昨夜は酒を飲んで、そのまま寝てしまったのだと思っていたが、もしかして酔って後輩にパワハラを働いたのだろうか。
鬼久川はしばらく黙り込み、首を横に振った。
「いいえ、昨夜は疲れていて、私も記憶があいまいです。マオ先輩に迷惑をかけなかったかと」
「ほんとに……? 私に暴力とか振るわれてない……?」
「まさか。マオ先輩より力はありますから」
小さく笑って、手の甲を撫でている。
その甲の汚れに何か引っかかるものがある。大事なことだったような。そんな気がするだけだろうか。
「あっ、そうだ報告書……! あとで口裏を合わせましょう。土橋兄弟はともかく、三野さんに露木さんに西丸さん……何て誤魔化そう………たまたま居合わせていたとかじゃダメですかね」
「それで行きましょう」
「適当言わないでください」
「下手に凝ったストーリーを作るより、相手の想像力に委ねる方がよい気がします」
「言われてみれば……? って、私の言い訳が下手だって言いたいんですか」
「なるほど、そういう捉え方もできますね」
マオは相手の湯呑をお盆に避難させてから胸倉を揺さぶった。
聖女マオの、騎士魔王との出張聖女の日々が今日も始まる。
最後まで読んでくださりありがとうございました!