12.シン・サララちゃん第三形態
「あんのバカ勇者が!」
線路と川とに挟まれた一本道を、マオはパンプスで駆け抜ける。こういうアクシデントがあるからいつまでも靴擦れが治らないのだ。
昭和レトロな温泉街から離れても、次は一般住宅がぽつりぽつりと現れる。ドラゴンに追われながら人けのない場所を探すのも一苦労だ。
「サラマンダー、出てきましたね」
並走しながら鬼久川が言う。その後ろには土橋兄弟と花村が続く。
「出てきたどころか変身っ、……街が破壊される!」
椎葉と無数のサラマンダーが合体して生まれたドラゴンは、電柱と肩を並べられるサイズまで成長していた。
かの有名な破壊神よりは控えめながら、十メートル越えの身長とそれに見合う体重が生み出す衝撃は笑えない。歩くたびに地響きが起き人々がよろめく。踏みしめた地面から火柱が立ち建物が悲鳴を上げる。
しかも何より腹立たしいのが、
「俺というものがありながら」「聖女が闇堕ち」「火、うまうま」「魔王に何された」「あんなことやそんなことを」「もっと熱いのプリーズ」「魔王ぶっつぶす」「必ず惚れ直させてやる」
などと大音声でぶつぶつ恨み言を吐き続けていることだ。一部サラマンダーの意識が混ざりつつ、明らかに椎葉の意識はマオと鬼久川を標的としていた。
このままでは浄化に来たはずの自分たちに責任の一端が渡されかねない。損害賠償的な意味で。
「ちょっと! 逃げて! ランナウェイ!」
アメージングとシャッターを切り続ける観光客を怒鳴る。
依頼主の白戸まで現れ、相変わらずの着ぐるみ姿でスマホを掲げながら涙を流していた。
「すごい……シン・サララちゃん第三形態だ……これぞ僕の求めていたもの……そうかピンクだったのかぁ……町おこし映画のインスピレーションが……」
「そんなことより、みんなを避難させてください! ここに近寄らせないで!」
「そんなことって何です! 地方が生き残るには起爆剤が必要なんですよ! シンサラさんが僕たちの希望なんだ!」
「浄化するなと!? 温泉出ないままでいいんですか!」
「あっそれは困っちゃう……」
「せめてバカ勇者の成分は抜かせてください!」
ごねる白戸からなんとか浄化の許可をもぎとった。
白戸と一緒に、流れでついて来てしまった花村と土橋兄弟を避難させようとしたが、兄弟だけ鬼久川が引き留めた。
「引き続き協力してもらいましょう」
「……あのねえ」
鬼久川の胸倉を掴んだ。
「噴き出さないって言ったのに!」
「……あの発言自体は、嘘ではありません」
「じゃあ何でこうなってるの! 手離したらドカンて! タイミング良すぎでしょ! あの時わざと離したんでしょ!? こうなるって分かってたんじゃないの!? おいこら目を逸らすなっ」
「……すみません、少し腹が立って」
「少しであんな噴き上がるか!」
「嘘をつきました。ものすごく腹が立ったんです」
「こ~の~ま~お~う~が~」がくがく揺さぶる。「あのバカに腹立つ気持ちはよくわかるけどぉ!」
「そうではありません」
手に手が触れる。
「なに!? いまさら瘴気止めたってバカは止まらないでしょう!」
「いえ……そうですね、あれを止めましょう。マオ先輩、浄化できますか」
マオは一度深呼吸をした。ドラゴンもといシンサラさんはもう目前に迫っていた。
「……やってみるけど自信がありません。もう少し離れてください、集中できない」
「私が注意を引きます。その隙に祈りを。三野、援護を……何を膨れているんだ?」
鬼久川の一言で三野が姿を現した。
「べっつに?」
鬼久川にはそう返しつつマオを睨みつけてくる。口パクで「手つなぎ」と作るのが見えるが気のせいと思おう。
「……三野」
「分かってるってば」
三野は小型の竜巻を二つ生み出し、シンサラさんの足下に投げつけた。
シンサラさんは踏み出した片足を絡めとられ、体勢を崩す。両手を着いて転んだ形になる。
その隙にと鬼久川が土橋兄弟との交渉を始めた。
「まおー」
「まおー」
「ドラゴンを倒せとは、教会から委託された業務内容には含まれていないと?」
「おいらたちは穴を掘るだけ」
「サラマンダーを見つけるだけ」
「いいのか、あのドラゴンを倒せば花村にアピールできるだろう」
「言われてみれば絶好のアピールに……?」
「カワイイを卒業してカッコイイへ……?」
「教会とは別に私からも謝礼を出そう」
「ほんとか」
「おいくら万円?」
鬼久川が金額を打ち込んだスマホを二人に見せる。
「協力してくれるか?」
「花ちゃんに旬の高級フルーツを送ろう……」
「中にリングを隠そう……」
兄弟は涙を流して魔王を崇めている。
「……騎士キクガワ、あまり好き勝手やらないでくださいよ」
「マオ先輩は周りを気にせず、安心して祈ってください」
「分かってますって!」
鬼久川が拳銃をリロードし、一軒屋の屋根に駆け上がる。
あれだけ離れていれば影響を受けないだろうか。額から滴る汗を拭う。両手を組み、マオは聖句を唱える。
「聖女マオの名の下に祈りを捧げます。神よ、我々を見守ってくださり感謝いたします。いま、クソ野郎……間違えました、あなたの子が、魔王の手にかかって悪さをしています。どうか、罪をお許しください。そして、罪を犯した子にふたたび愛をお与えください」
いざ、サンクス神からの返答は。
『何をおっしゃるの、彼、騎士ですわよ。教会が洗礼を授けたのではなくて? 他にも小さな魂がいっぱい。そんな相手にわたくし、あなたのような子猫ちゃんの祈りでは動けなくてよ』
「ああああっ!」
また神様がバグり遊ばした。
それをいうなら魔王の洗礼はよかったんですか。いえ何も考えてません。
『子供たちの自主性を伸ばす教育方針でしてよ』
いつもの事務的な神様戻ってきて! こうなっては仕方ない。
「鬼久川さん!」
呼べば顔色一つ変えず、地上七、八メートルにある屋根から飛び降りて来てくれる。
「駄目でしたか」
「やっぱり私一人じゃ無理でした! プランBのための時間稼ぎお願いします! でも人や建物への被害は最小限に!」
「わかりました。より確実な手段であれを行動不能にしましょう」
シンサラさんは体勢を整えつつあった。上体を持ち上げ、苛立たしげに頭を振りつつ「マオちゃんの貞操が魔王にぃっ!」などと吠えている。お、やるか? 拳は温まってるぞ?
* * *
鬼久川は青筋を立てているマオをある程度なだめ、もう一度屋根に上った。
「三野、足止めはもういい。露木はいまどこにいる?」
銃を連射し、顔面を狙い撃ちにする。挑発に乗ってドラゴンが鬼久川を追いかけ始めた。
一定の距離を保ちつつ、ポイントまで誘導を開始する。
「西丸と車でおしゃべりしてる。湿度があるからウロコが乾きにくくて助かるとか、水中で素早く動くための体さばきとか。あとは」
「もういい。あのピンクドラゴンを川に落とす。露木を待機させておいてくれ」
「露木、張り切ってたから出番が来て嬉しいだろうね」
「二人ともブレスには気を付けろ」
「ねえ若、泡消火って知ってる? サラマンダーの話を聞いて、業者から買っちゃったの。ね、車に積んであるから、使っていい?」
何かユーチュー○で見ているとは思っていたが。
その映像によれば、水の代わりに泡をノズルで放射し、薬剤と窒息の効果で消火をするのだとか。用途としては油火災が想定されていたし、川の水が薬剤を含んだ泡だらけになれば後始末が大変そうだ。
温泉街の景観を長期間に渡って損ねるリスクは、マオの言う被害を最小限にすることと釣り合うだろうか。
「……装置は返品しなさい。露木を川へ」
「はぁい」
三野と立ち替わって西丸がセダンで現れた。
後部座席にはマオが乗っている。必死な顔で電話をかけていた。
「相変わらず速いな」
「私はマオ様の護衛をするのみでよろしいので?」
「あの橋で私が合図したら、ドラゴンの視界を塞いでくれ」
「承りました。いやあ、腹が鳴りますなあ」
張り出した腹部を叩いている。
土橋兄弟の片割れが足元に顔を出した。
「まおー、準備できたぜ」
「よし、西丸」
ドラゴンがポイントに到着した。
鬼久川の合図で、西丸がドラゴンの背を駆け上がる。煙玉を投擲し、頭上で炸裂させた。
視界を煙幕で奪われた巨体がふらつく。
「魔王めぇ……よくも俺の聖女を手籠めにぃ……」
方向を定め、鬼久川が飛び蹴りを見舞う。ドラゴンはさらによろめきガードレールへ。体重がかかる時間はわずかで構わない。次の瞬間には足場が崩れている。
「見たか、おいらたちの完璧な仕事ぶりを」
「ムービーはプロに編集を頼むんだー」
土橋兄弟が飛び跳ねる傍らの崖を、ドラゴンが滑落する。転がり落ちた先の川は、この時期の水量では残念ながらリゾートプールにしかならない。ドラゴンは野太い手足をばたつかせ、早速上体を起こそうとしている。
そう簡単に起き上がらせるわけがないだろう?
「露木!」
川上で待機していた露木が洪水を引き起こした。上流の水を掻き集め、一気に放出したのだ。
全身を飲み込むほどの水量を浴び、ドラゴンは川底から体を持ち上げることができなくなった。代わりに尻尾を振り回し、邪魔者であるウンディーネを排除しようとするも、衝突の前に三野が彼の避難を済ませている。
安全な場所を確保し、露木は再び水を操る。
水を束ね、圧縮させ、撃ち出す。何度も、何度も。口を狙うのは、ブレスを警戒しているからだ。
案の定、ドラゴンはブレスを吐き出そうとして、絶えず注がれる水の砲弾に阻まれうまくいかない。ガラガラと喉が滑稽な音を立て、まるでよい子のうがいだ。
口の中でブレスと戦う水弾が蒸発し、一面に霧が立ち込める。気温も上昇し、露木の顔が真っ赤になってきた。三野が「若ぁやっぱり泡使おうよう!」と訴えてくるが、無視して橋の上から引き金を引き続ける。もう少しマオのいる車から離れておこう。
三野に指示し、突風を起こす。霧が払われ、視界が開ける。
鬼久川の目が、聖女の姿をとらえた。
「マオ先輩、出番ですよ」
* * *
三野がいたので、西丸が車を寄せてきたことにも驚きは無かった。まったく魔王様の用意のいいことで。
「ドラゴン討伐日和ですな、聖女マオ様」
背筋を伸ばして一礼し、後部座席のドアを開けてくれる。正直とても助かったので、マオは大人しく座席に収まった。
セダンがドラゴンの背中を追う間に準備を進める。本社に連絡を取りつつ、テザリングでパソコンをネットにつなぎ、研究開発部虎の子のWEB会議ツールを立ち上げる。
「マイクテスト、マイクテスト」
現在手の空いている県内の聖女を呼び出し、リモートでの祈りを実行する。遠隔浄化の効果のほどは、コールセンター時代にマオ自身が実証済みだ。
お客様の需要はいまひとつで、経験値を満足に得られたとは言えないが、みんなでやれば怖くない。
パパパパパッとカメラがONになる。
本社からの緊急要請に応じてくれた仲間たちの頼もしい顔が見える。
「みなさん、状況を説明している暇がありません。私に続いて祈りをお願いします」
立ち込めていた霧が消え、崖下の様子を確認することができた。小型のスピーカーを繋げたパソコンを手にセダンから降りる。スピーカーの音量はマックスへ。
シンサラさんは、川底に大の字に磔にされ、動けないでいるようだった。その周りを、三野が露木を抱えて飛び回っている。マオの隣では西丸が――手にあるのはクナイですか? ――待機している。橋の上では鬼久川が銃を使っていた。目が合う。
深く息を吸う。
「いまここに、二十名の聖女が祈りを捧げます。サンクス神よ、あなたの慈悲に感謝いたします。あなたの御心で、魔なるものに支配されんとする彼の魂たちをお救いください。悪しき誘惑を断ち切るための勇気をお与えください。そして、罪を犯したこの子らにふたたび愛をお与えください」
聖女二十名に斉唱された聖句がスピーカーで増幅され、周り一面にこだまする。
『受理しましょう』
バグっていたのが嘘のように、沈着冷静な神様の承諾が返ってきた。
天からの慈悲が星の形をしてシンサラさんへ降り注ぐ。
慈悲の光は別の場所にも注がれた。泉源のある小屋の辺り、瘴気が間欠泉のように噴き出していた場所だ。ここからでも光の柱が立っているのが確認できた。
こちらでは早くもシンサラさんが形を失っていた。ほろほろと皮膚が自然に剥がれ落ち、内側から放心状態の椎葉が現れる。
個々の姿を取り戻したサラマンダーたちもまた放心状態でぷかぷか浮いていた。川下へと流れていく様子にマオは我に返り、崖下へ滑り下りながら叫ぶ。
「流されちゃう! みんなつかまえて!」
露木が一時的に水をせき止め、その間に土橋兄弟が土砂を盛り上げた。西丸がなぜか投網を持っていて、投げては引き寄せるのを繰り返し、大量捕獲することができた。
大変気が進まなかったが、網に引っかかっていた椎葉の首根っこを捕まえ、川岸まで引っ張った。まだ椎葉は、浄化後特有のとろんとした目をしていて、マオに大人しく引っ張られている。
「……俺、実は人見知りでさ。友達とか、あんまりいないんだよな……恋人もさ。意外だろ?」
「そうですか」
「マオちゃんが優しくしてくれたのが嬉しくて、仲良くなれたらってずっと思っててさ……なぁ、嫌だったか?」
「私にとっては、ただの迷惑でした」
「そっか」
椎葉の顔がくしゃっと歪んだが、それを見ても同情心は湧いてこない。
「代わりましょう」
鬼久川がやってきた。
「いや、いいですよ」
「代わります」
椎葉の奪い合いなどあまりにも馬鹿らしく、マオは譲ることにした。じゃぶじゃぶ、水を踏みしめ、川岸へと進む。二人ともいつぞやと同じくずぶ濡れで、笑えて来た。
「どうしました?」
「なんでも」
その様子を見ていた椎葉がぽつりと言った。
「お兄ちゃんポジならどうだ?」
次話でラストです。