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10.お帰りなさいませ

 出張聖女は基本、支部内のメンバーで勤務シフトを組む。必然的に相棒である騎士とは休日が重なることが多く、互いのスケジュール調整は難しくなかった。

 マオはその週の木曜日のとある駅を待ち合わせ場所に指定し、相手の了承を得た。

 とある駅とは、第三支部の最寄り駅ではなく、一つ隣の駅を指す。マオが住むアパートは支部から徒歩圏内なので、最寄り駅で指定してしまうと出勤した同僚と顔を合わせてしまうリスクがあった。

 相手が車を出すというので、当日マオは駅のコンコースで大人しく待っていたのだが。

 思わず叫んでいた。

「なんで着物!」

「普段着なんです」

「普段着! しかも運転手付き!」

「西丸と申します。本日はお日柄もよく、聖女マオ様に乗車いただけて光栄です」

「最高気温四十度予報ですけど!?」

 ふくよかな体を制服に包んだ壮年男性が名乗り、帽子を取ってマオに一礼した。

 普段着が着物だとのたまった鬼久川はといえば、涼やかな単衣(ひとえ)に羽織をあわせた姿で、袴を履いていないだけラフだといいたいのかもしれないが、高級セダンの後部座席に相手をエスコートしている時点で世間擦れしていない坊ちゃんに違いないじゃんとマオは思った。

 マオはパニックになっていた。

 鬼久川がマオの隣に落ち着き、西丸がなめらかなステアリングさばきで駅を出発する。

「あの……わたし海鮮料理って言いましたよね……?」

「はい、うちの料理人にリクエストしておきましたので」

「うちって、鬼久川さんの家!?」

「はい」

 平然としているので、私の感覚がおかしいのかとマオは思う。

「露木の様子も気にされていましたよね。いま屋敷にいますので、会ってやっていただければと」

「ああ、はい」

 ウンディーネの露木のことだ。そう言えばあのとき、鬼久川は三野に彼を屋敷まで送ってくれと言っていた。一緒に住んでいるのか。

「それから、私の契約についても一度話しておきたいのです」

「……なるほど」

 衆目をはばかる話題を出すから安心できる場で、ということか。マオは得心が行き、ひとまず落ち着く。

 そもそもの発端は、鬼久川が部下の失礼を詫びに食事でも、と誘って来たことだった。

 部下とは言うまでもなくあの三野のことで、失礼とは、池でマオの乗った舟を転覆させたことだ。

 深刻な顔の鬼久川にマオはつい頷いてしまっていた。池に落ちたことと下着を見られたこととで動揺を引きずっていたというのもある。

 この男、天然に見えて実は相手が断れないタイミングを図っていたんじゃないか――、という疑惑は車に乗ってしまった時点で今更だった。




 いやな予感はあたるもので、セダンは県内でも有数の高級住宅地に入ってしまった。

 長い塀をぐるりと回り、立派な門構えがマオたちを出迎える。

 車から降り、徒歩で門をくぐる。茶庭の中、飛び石を辿った先に、数寄屋造りの二階建ての邸宅が待ち構えていた。

「ずっとここに住んでいるんですか?」

「いいえ、騎士になると決めてからです。もともとは東京にいましたので、昔父親が暮らしていたこの家を借りることができて助かりました。ここには教会の本部がありますらからね」

「ご家族は……、鬼久川さんが魔王ってことは」

「いいえ、知りません」

 なるほど、家族と距離を置くのにもここは都合がよかったということか。

「若、お帰りなさいませ。聖女マオ様も、ご乗車お疲れ様でございました」

 玄関で出迎えてくれたのは、ふくよかな壮年男性――あれ? 運転手と同じ人物に見えるけどそんなわけない。私たちを門前で降ろして車で去ったはずだ。車庫が近いとしても、たった一分のうちに先回りできるものなのかな?

「いまのって運転手さん……」

「はい、西丸です。彼は恐ろしく仕事が早く、エンターティナーでもあるのです。私もたびたび驚かされます」

 そういう問題か?

「西丸さんってもしかして」

「はい、私と契約している部下です。ここにいる者はみなそうですよ」

 一般人では瘴気の影響を受けかねないからだろう。今更ながら、魔王の隠れ家にやってきた事実にドキドキする。

 ハッとした。

「あの、すみません、手土産もなくて……」

「まさか、気にしないでください。狭いところですみません」

「嫌味、じゃないんですよね鬼久川さんの場合」

「え?」

「いいえ、なんでもないです」

 案内された八畳の座敷には、先客がいた。髪を後ろで一つにまとめ、漆黒のスーツに身を包んだ三野だ。ちんまり正座する姿がマスコットみたいでかわいい、中身はともかく。などとマオが思っていると三つ指をつかれた。

「ごめんなさい! 聖女と仕事するって聞いた時から警戒してたの! あれは若を守るためだったの!」

「私からも、改めて。部下が失礼をいたしました」

 人生で一度に二人から土下座される経験もなかなかないだろう。苦しゅうないとか言えればいいのだろうが。

「もういいですから、顔を上げてください」

 マオの言葉に従った三野は、目に大粒の涙を溜めていた。うーん、演技としてもすごい。

「許してくれるの……?」

「はい。せっかくなんで三野ちゃ、三野さんも一緒に食事どうですか」

 年上という事実を突きつけられ、もうちゃん付けはできない。十代前半にしか見えないんだけどなあ。

「いえ、今日は彼女には給仕をさせますので」

 ぱあっと輝いた顔がしゅんと陰った。

 座敷の中央には漆のテーブルが置かれ、その下は掘りごたつになっていた。

 座椅子に座りながらマオはサンダルで来なかった自分を褒めた。本日はノースリーブのブラウスにワイドパンツ、ストッキングに少しかかとのあるパンプスを合わせてある。オフィスカジュアルとしても通用しそうなコーディネートにしておいたのだ。

「お飲み物は?」

 三野がしずしずとお品書きを開く。銘酒! ……どうしよう、さすがにアルコールを入れるのは無警戒が過ぎる。銘酒! いやそもそも、魔王と部下がそろう牙城に一人のこのこやってきて、警戒もクソもないのでは? 銘酒! もしかして私って相当バカなのでは? でも鬼久川さんから何の下心も感じなかったし……とだらだら汗をかきながら葛藤し、銘酒を、いやウーロン茶をお願いする。

「ビールはいいの?」

「…………なら銘酒を、いえ今日はアルコールはちょっと……」

 食事は先付からはじまる会席料理だった。タコの刺身にタコの唐揚げにタコ飯と、タコ料理が目立つのが少し気になったが、どれも文句なしにおいしかった。やはり銘酒の肴にできなかったことだけが心残りでならなかった。

 マスクメロンを食べていると、料理人が挨拶に現れた。

奥戸(おくと)です」と鬼久川が紹介する。

 奥戸は人間よりいくらか本数の多い足を器用に畳んで三つ指をつくと、うつむいたまま訥々としゃべり出した。

「海鮮料理がえらい好物でいてはるとか」

 そんなこと言ったっけ? 否定できる雰囲気ではなかったのでとりあえず肯定しておく。

「はい」

「マグロさんがよかったやろか」

「え?」

「イカさんがよかったやろか」

「奥戸」

 鬼久川が呆れた声を出す。

 奥戸の顔色が紫から赤に変化していた。割烹着の袖口から吸盤のついた触手が数本顔を出しうねうねと揺れている。あっこれは、とマオは焦って口を開く。

「あの、タコさん、とてもおいしかったです」

「……よろしゅうおあがりやす」

 触手が割烹着の中にしまわれ、足がうにゅうにゅ動いて奥戸は帰っていった。




 食事はしまわれ、鬼久川は席を外している。マオは冷たい緑茶をいただきながら、床の間の掛け軸や生け花を眺めたり、欄間を眺めたり、開かれた障子の先の茶庭を鑑賞したりした。つまり手持ち無沙汰だった。

 そんなマオのもとにスパンと障子が開き、三野がやってきた。

「聖女マオ、調子に乗らないことね」

「三野さんって、私のこと覚えてます?」

「悪いけど、ファン一人一人の顔までは覚えてられないの」

「そうですか」

 マオにとって三野と邂逅したあの仕事は忘られぬ記憶だが、三野にとってはそうではないのだろう。

「そもそも誘われたからってほいほい家まで来る?」

「来ませんね」

「じゃあ何で来たの!」

 三野が畳の上で地団駄をぽむぽむと踏む。やっぱり鬼久川が嘘をついて児童労働させているのでは? と不安になってきた。

「運転免許とか持ってます?」

「話をそらさないで! いい? ラブコメ展開になったって、若はあんたのこと一ミリも興味ないんだから!」

 パンツ見られたのはラブコメじゃないよね? この話題は触れたくないので置いておくとして、そもそも三野は接触要件のことを知っているのだろうか。

 接触要件とはマオが勝手に呼称しているもので、魔王と聖女が触れあっている間は瘴気が発生しないとかいうあれのことだ。当人からすればたまったものじゃないが、はたから見ればラブコメ展開と言えなくもない。

 そういえば、この屋敷にいても特に瘴気は感じない。魔王がいてその部下がいて、それでも瘴気がここに滞留するわけではないということか。かといって、やはり耐性のない一般人がここにいるのはリスクが高すぎるが。

「ラブコメというなら、露木さんはいいんですか? ここに一緒に住んでいるんですよね」

「露木は離れにいるの。それにウンディーネで既婚者でしょ? 若とどうとかありえないもん」

 鬼久川が戻ってきた。三野はきゅるんと表情を作り変えて、「若ぁ」とじゃれつき、最後にマオをひと睨みして座敷から出て行った。

「露木さんは元気ですか?」

「あとで案内しましょう。その前にまずは、お礼を。今日は来てくださって本当にありがとうございました。不安だったのではないですか」

「分かってるなら、初めから説明しといてくださいよ」

 言い出せなかったんです、と打ち明けた鬼久川の顔が幼く見え、マオは何も言えなくなった。

「私が相談したいことがあると言ったから、それでも来てくれたんでしょう」

「……後輩のことだし。さぁ、さっさとその相談の話をしましょう。それが、例の?」

「はい、魔王の契約書です」

「まさか原本?」

「そうです」

 鬼久川はテーブルに、A4サイズのレザーファイルを置いた。

「他の聖女とか騎士にも言ってないんですよね。本当に見せちゃっていいんですか? 例えば私から教会にチクることだってあるわけだし」

「構いません。あなたの判断に任せます」

 言い切って、鬼久川はファイルを開く。

 挟まっているのはやや厚みのある白い紙。黒字で文字が書かれている。なんてこともない、どこにでもあるような書類だ。

 一行目にあるのは契約名か。

「『魔王権限譲渡契約書』?」

「先代が作成し、私に渡ったものです」

 甲と乙が締結する、テンプレート通りの契約書だが、余白が多い。

「二条しかない」

「甲の名前が読めますか?」

 鬼久川がある一点を指さすが、マオにはぼやけて文字が認識できなかった。

「……あれ? どうしてだろう、乙は鬼久川さんの名前が書いてありますよね。甲は……あれ?」

「やはりそうなりますか。どうやら魔王を私が引き継いだ時点で、先代の個人情報は認識できなくなるようです。直接会っていたはずの私ですら名前が思い出せません。会話の内容はなんとなく覚えているのですが」

 契約書の内容は次の通りだ。


 甲と乙は以下の通り譲渡契約を締結する。

 第一条、 甲は、魔王の全権限を乙に譲渡し、乙は、これを譲り受けるものとする。

 第二条、 乙は、魔王の全権限を行使しない場合、新たな譲受人を選定し、譲渡契約を締結しなければならない。ただし、乙が死亡した場合は、この限りでない。

 本契約は、乙が本契約全文を読み上げた時点より即時効力を発する。


「これだけ? 解釈の余地が大きすぎません? 二ページ目とかもない?」

「ありません。あとは先代から口頭で説明されただけで」

「説明って、例えば?」

「例えば、部下と契約する方法でしょうか。先代から引き継ぐことも、新たにスカウトすることもでき、いつでも破棄可能とか」

「だから露木さんをスカウトしたと。彼とも契約を結ぶんですか?」

「はい。代々決まったテンプレートがあり、それを複写していく形ですね」

「瘴気のことは何も書かれていませんね。ほら、聖女に触れることで発生しなくなるとかって。鬼久川さんはどうやって知ったんです?」

「それも先代から口伝えで聞いた情報です」

「そういう情報の蓄積はできるのか……。名前を忘れさせるのは、やっぱり魔王の存在を秘匿したいから? 魔王を辞めるにも、誰かに譲るか、死ぬかしかないわけですよね」

「魔王が後継を選ばず死んだケースでは、部下から選ばれたり、身内から選ばれたりということもあったらしいです」

「こうして誰かが魔王になるサイクルは止められず、瘴気は発生し続けると……」

 マオはただの聖女で、法律の専門家ではない。これを例えば教会の法務部に見せたら何かアドバイスをもらえるだろうか。しかし見せた時点で鬼久川はどうなる?

「触ってもいいですか?」

「どうぞ」

 人差し指で紙に触れてみた。

「おえっ……」

 慌てて離す。鬼久川に触れたときと同じで、めまいに襲われた。

「大丈夫ですか」

「はい、もう消えちゃいました。魔王の辞め方……これ例えば聖女のわたしが破ったら、いや怖すぎますね今の無しで」

 聖女なんて、試験を受けて教練を終えれば誰だってなれるのに。聖女「さま」なんて慣例的に呼ばれるが、大昔のように存在が貴重だった時代ならまだしも、現代社会には聖女が大勢いて、便利屋のごとく呼ばれれば飛び出して厄介事を片付ける日々だ。そんな自分に一体何ができるだろう。

「ありがとうございます」

「何が?」

「真剣に悩んでくれて」

「だってそれは鬼久川さんが」

「はい。あなたに話してよかった」

「……お互いいいアイディア浮かんだらまた話し合うってことで! 解散!」

 こんな照れくさい雰囲気になるつもりはなかった。




 解散する前に露木とも会えた。三野が言っていた通り、本邸と比べるとこぢんまりとしたサイズの離れにいた。

 八畳ほどの茶室に防水シートとバスタブを置き、当座の生活を送っているという。

「改築してくれるっていうんだ、これで十分なのに。毎日じゃないけど、里山にも通わせてもらってるし」

 それはなかなかの好待遇だ。

「……羽山さんから連絡は?」

「ぱったりと。世間的に言い訳が立つほどの演技はしたってことなんじゃないかな。みねちゃんも男の趣味わるいよ。あっちも小さいし、すぐに満足できなくなるんじゃないかな……」

「露木さん!?」

 今にも戻しそうなほど顔色が悪い。ものすごく頑張って夫の悪口を言ったのだろう。

 マオは背中を摩ることしかできなかった。

「私に何かできることがあれば言ってくださいね。鬼久川さんにこき使われたら、電話なり○INEなりでチクッてください」

「むしろこき使ってほしいくらいだよ。聖女マオ、ぼく、水鉄砲とか出すの得意だから、仕留めたい相手がいれば言ってね」

「えっ奇遇です、実は一人いて……同僚とも思いたくないやつなんですけど……」

「ほんと? 水場に誘い込めないかな?」

 空元気としても、前向きな姿を見れてよかったとマオは思った。

 屋敷からの帰りは、外が暗くなる前にまた車で隣駅まで送ってもらえた。自宅に戻ってシャワーを浴び、さっぱりした体で冷蔵庫のビールを取り出した。今日知ったことだが、鬼久川のあの若旦那然とした振る舞いは魔王になる前からのことらしい。一歩間違うとヤクザだな。想像してちょっとおかしかった。

 翌朝、出勤して何事もなかったかのように鬼久川と会話を交わし、いつも通りメールをチェックした。

 本部からの注意喚起が一通。第一支部の管轄内でサラマンダーによるボヤ騒ぎが頻発しているという。こっちでボヤ騒ぎはあったかな、あとで確認しておこう。

 次のメールへ。

 戦慄した。


『マオちゃん元気してる? 異動したって聞いてびっくり。言ってよ~、現場だったら俺の力がいるでしょ? 君の勇者が会いに行くから安心して待ってろよ☆』

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