1.こちら聖女出張サービスセンターです
その日もオフィスでは昼前のコールラッシュがスタートしていた。
マオは、電話応対を一本済ませ、休む間もなく外線の応答ボタンをプッシュした。
「お電話ありがとうございます。こちら聖サンクス教会、聖女出張サービスセンターです」
息を吸い、口角を上げる。日常会話よりも一オクターブ高い声で、一語一語はっきりゆっくり発声する。
もう体が慣れてしまっているので、これらの注意点をあえて意識することもない。
『あの、お祈りをお願いしたいんですが、こちらで合ってますか……?』
弱々しく、不安をにじませた声がマオの耳に届く。
ここに電話をかけてくる人たちは、そのほとんどがネガティブな感情を抱えている。自力で解決できずにインターネットで電話番号を検索し、手に汗を握って電話機に打ち込み、藁にもすがる思いで通話ボタンを押してくるのだ。
マオはいつも通りPCのグレアディスプレイに移る自分の影を依頼主に見立て、安心させるよう口元の笑みを深くする。
「はい、お祈りですね。ご依頼ありがとうございます。わたくし聖女マオがお話をうかがいます。お客様、本サービスは初めてのご利用でしょうか?」
『はい……』
「初めてのご利用、誠にありがとうございます。わたくしども聖サンクス教会では、聖女による最良の祈りをお客様にご提案するため、まずはお電話にてご相談内容をうかがっております。ご不安な状況かと思いますが、お困りごとをお聞かせいただけますでしょうか」
『あの、個人情報は守られますか』
「はい。当教会では、第三者機関による個人情報の適切な取り扱いについて認定を受けております。詳細はホームページのプライバシーポリシーをお手すきの際にご確認くださいませ」
依頼者は腹をくくった様子で、実は最近――、と話し始めた。
『夫がとてもエッチなんです』
これが例えば「ハァハァ聖女サマのおパンツ何色?」と一発かまされたところでマオの聖女スマイルは揺るがない。何なら警察に通報しつつ「本日は履いておりません」と打ち返して時間稼ぎもする。よい子は真似してはいけない。
「詳しく教えていただけますか」
『一晩中離してくれないんです。それがもうここ三週間毎日……。私の身がもたなくて、会社を休みがちになってしまって。今日だって昼過ぎまで起き上がれなくていまやっと……。こんなの絶対におかしいんです』
マオがパチパチとキーボードを叩く音と、依頼主の熱っぽい吐息が重なった。
「三週間前はそうではなかったということですね。大変プライベートなご事情をうかがいたいのですが、通常ですと頻度はどれくらいでしょうか」
現在、結婚して六年が経つとのことだが。
『ここ一年ほどずっとレスだったんです。なのに急にこんな……。聖女さま、夫には魔が差しているんじゃないでしょうか』
「瘴気の影響化にあるか、あるいは魔物が取り憑いているとお考えということですね。最中にお人柄が変わられたりなどは」
『はい、全然違います。何て言うか……、裏アカ系年下サブカルワンコというか。もともと、オタク系年上むっつりクマさんのはずなんですけど、最近の夫はかわいくて、私も断りづらくって……』
要素盛り盛りだなあ、と思いつつその通りパチパチメモする。
「そうなのですね。ご自宅に瘴度計はお持ちでしょうか?」
『はい。薬局で買った安物ですけど」
「問題ありません。お手数ですが、計測をお願いできますでしょうか。可能でしたら盛り上がる場所で」
『実はもう計っていて、メモしているんです』
「すばらしい」
依頼主は手帳に書きつけていたという瘴度を教えてくれた。
寝室、四十パーセント。
浴室、四十パーセント。
キッチン、五十七パーセント――なるほどダーリンはキッチンがお好きと。
「瘴度が十パーセント未満であれば正常値ですが、どの部屋も濃度が高いようですね。ご推察の通り、お連れ合い様は、瘴気もしくは魔物に何かしらの影響を受けている可能性が高いでしょう。お住まいの地域でアラートが発令されているか調べます。お住まいはどちらでしょうか?」
『M区です』
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
常時開いたままのブラウザタブから気象庁のサイトを選ぶ。マップ上にはM区全体を覆うように瘴気注意報が出ている。
あわせて教会の専用システムで直近の依頼内容を洗う。やはり、M区周辺での相談件数が目立った。
瘴気は、常人には不可視で無味無臭、あやまって吸い込んでも自覚が難しい。体外に自然排出されるまでけろっとしている者もいれば、一方で吸い込んだ次の瞬間にはトラブルを引き起こしてしまう者もいる。
トラブルを引き起こす対象は一般的に「魔物」と呼称される。
今回のケースでは、依頼主の夫に魔物が取り憑いているか、あるいは夫自身が魔物になっているかのどちらかだろう。
「お客様、お待たせいたしました。……お客様?」
マオは対処法を提案すべく、保留音を解除して依頼主へ話しかけた。が、応答がなく、代わりに水あめを絡めたような夫婦の会話が入り込んできた。
『あっ……、やだぁ……っ』
『俺といて誰かと電話する暇なんかあるの? だったらカップル配信しよ。えっとなんだ、ハンバーグ一緒にこねるとこ見てもらおうよ』
『これは、ちがうのっ……いまは、ハンバーグはだめっ』
『えー、別のをこねたいってこと? どんな肉がいい? 柔らかさは……ここらへん?』
『あっそこはっ、こねちゃだめなところだってばぁっ』
なるほどこれが裏アカ系年下サブカルワンコ。多少無理を感じなくもないが夫さんいくつだ。
一段声量を上げて呼びかける。
「お客様? ご無事でいらっしゃますか?」
『あっ、ごめんなさいその……、大丈夫です寝室に鍵をかけましたっ』
「ご状況を理解いたしました。一刻も早くオタク系年上むっつりクマさんを取り戻しましょう。早速ではございますが、聖女による浄化の祈りは、リモートコースと出張コースからお選びいただけます。どちらにおいても教会公認の経験豊富な聖女が心を込めて聖句を唱えます。どちらをご希望でしょうか?」
リモートコースで頼みます。画面オフにして祈れるから。
『あの、来ていただけませんか』
まあ、そうなるよね。
リモートコースは教会が運用を始めてまだ間もないサービスだ。人口に膾炙しているなどとはとてもじゃないが言えない。
「出張コースですね、承知しました。では最寄の支部から聖女を派遣します。緊急ですので日時調整はスキップし、お見積書のお渡しは現場にて行わせていただきます。ご自宅付近に参りましたら、担当聖女より携帯電話にてお電話を差し上げます。それまで……、持ちますでしょうか?」
M区は第一支部が担当だ。
共有スケジュールから聖女の予定を調べる。おっ、ちょうどいい人が待機中だ。
『持たせてみせますっ』
「神のご加護を」
連絡先と住所を訊いて電話を切り、続けざま内線番号をプッシュする。
すぐに応答がある。
『はい、聖女ヒガシダ』
「東田さん、お疲れ様です、聖女マオです。一件、緊急案件お願いできますか」
『お疲れ様です。緊急? おっけーどんな感じ?』
「M区、個人宅より。ヒアリング内容チャットします――送りました。瘴度は五十前後。通話中の様子から、夫が瘴気にあてられているものかと。自宅に急行して対処お願いできますか。依頼主より、自宅の鍵はどうにかして開けておくが、無理であれば一階中庭の窓から入ってほしいと」
『最中ってことかな』
「まったく空にならないそうで」
『浄化したら抜け殻にならない? ま、しばらくはその方がいいかもね』
「身の危険を感じたら、遠慮せず騎士に頼ってくださいね」
『もちろん。祈っている間の身代わりくらいこなしてくれなきゃね』
終話ボタンを押し、同僚のために祈った。どうか相手の夫に節操が残っていますように。
ひとまずコールセンターに勤務するマオの仕事は終わりだ。先程の電話を含め、二件分の依頼内容を所定のフォーマットに打ち込まなければ。