第九十三話「六十の矢、奈落を穿つ」Sixty Arrows Pierce the Abyss
「命令を確認する。先遣部隊《矢群第一波》、二十六階層への侵入を許可する。目標は通過、帰還、分析。撃滅ではない」
光核都市──ダンジョン前線基地として築かれたこの巨大な軍事都市の最深部、黒鉄の指令室には四つの国家章が掲げられていた。
リュミエール王国の月桂銀葉、ヴァルグラッド連邦の双剣秤、ベリオン帝国の蛇眼印、そしてグランハルト獣連の獣骨紋。
長机を囲むのは、ただの軍人ではない。各国の戦術頭脳たち。
階層地図は空間投影式、ダンジョン二十六階層の情報が立体光像として浮かび上がっている。
「六十名。A+〜Sクラス相当。選抜済みだ」
年老いた戦術主任グラード(人類連邦・戦術顧問)は手元のタブレット状魔導端末を指で滑らせ、各部隊の構成を表示する。
「この階層の問題点は三つ。
一、低魔力圧制環境──外部魔力の流入が制限され、術式の発動精度が低下。
二、感知干渉波──索敵魔法が歪む。視覚と聴覚が頼りだ。
三、自律型巡回構造──地形が不定期に再編成され、固定マップが通用しない。
つまり、“足”と“目”と“勘”で抜けろ、というわけだ」
「魔術頼りのエルフは、手こずるかもしれんな」
皮肉めいた声を漏らしたのは、ベリオン帝国の戦闘大臣。黒装束の魔族で、体表には魔符が浮かび上がる。
「我らには影響ない。拳と牙があれば十分だ。むしろ好都合」
「我が獣戦部隊も同様だ」
グランハルト代表の獣人長は、牙を見せて嗤う。
「この階層は“感覚”と“本能”がモノを言う。人間どもがどうにか出来る階じゃねぇさ」
リュミエールの参謀将校は、冷静に対抗する。
「それでも、我が国の“精霊歩兵”部隊は術のみに頼ってはいない。魔力抑制下での訓練は既に三百時間以上実施済みだ。手札はある」
各国の選抜名簿がホログラムで重なり合う。兵科バランス、過去戦歴、戦闘傾向、指揮系統までもが事細かにデータ化され、最適化が進む。
「第一波に選ばれたのは、二つの小隊」
グラードが言う。
「国別に偏らせず、戦術的多様性を重視した構成。尖りすぎた戦力は不要。任務は“突破”ではない。“生還を伴う調査”だ。成功率は──31%」
その数字に、室内の誰もが一瞬息を呑んだ。
それでも、誰も撤回を申し出る者はいなかった。
その時、通信魔導球が共鳴する。
「こちら転送棟。第一波、全員揃いし待機完了。転送準備、完了しています」
「よろしい」
グラードが手を振り下ろすと同時に、天井から延びた転送灯が緩やかに回転を始めた。
床の陣が起動し、音もなく広がる魔紋。光の渦が十二の影を呑み込んでゆく。
《矢群第一波》──六十の勇士のうち、最初の十二名。
剣を背負う者、鎚を担ぐ者、素手で臨む者、無言で祈る者。
彼らの背にあるのは、国家の命令。だが胸にあるのは、それぞれの理由。
復讐。名誉。功績。忠義。あるいは──ただの、生還。
転送光に包まれた刹那。
誰にも聞こえぬほど小さく、階層の奥で《何か》が笑った。
静かに、深く、飢えた者のように。
試されるのは、知恵と、肉体と、精神。
六十の矢は、果たして奈落を穿てるのか。




