サイドストーリー「ひとつの目と ひとつの拳が交わる時」 When One Eye Meets One Fist
生まれたばかりの一つ目小僧が、よたよたと歩いてくる。
まだ不器用な動き。けれど、その一つだけの瞳は、空間の奥まで射抜くような鋭さを帯びていた。
目の前に立つのは、彼を見つめる南無三――かつて百の目を持ち、遠くを見渡し、遠くを焼き払っていた存在。
今はそのどれもを失い、代わりに地に足をつけた身体ひとつで戦う道を選んでいる。手足は鋭く、動作のひとつひとつに迷いがない。
目の数は減った。しかし、その分、目の前の動きには誰よりも敏くなった。
対峙するふたりに、言葉はない。
だが、通じている。
南無三の視線は静かに息子の動きを追う。
幼い動き。読みやすい呼吸。だが、その瞳の奥にひそむ視界の広さは、もはや自分の手に届かない。
一つ目小僧の視界は、空間を軽々と貫いている。
壁の向こう、地の下、空の果て。遮るものはなく、世界は手のひらにあるかのようだった。
そして──光。
その瞳から、音もなく放たれた光が、空気を裂き、色を変えながら走る。直線でも、曲線でもない。見る者によって印象を変えるそれは、焼き尽くすというよりも、“消してしまう”ものだった。
南無三はかすかに目を細め、足先で地を押す。
彼女の体術は無駄がない。わずかな動きで射線を逸れ、すり抜け、流れるように間合いへと踏み込む。
だが──追いきれない。
相手の目は、常に自分の動きを上から見下ろしていた。
攻撃が鋭いのではない。反応が速いのでもない。
一つ目小僧は、先を“見てから”動いている。
その視界の奥に、自分の動きがすでに見透かされているようで、南無三の拳は幾度も届かない。
攻撃と回避が交差し、動きが激しくなるほどに、南無三の中にあった感情が静かに息を吹く。
懐かしさとも、誇らしさとも言えない。
それは、おそらく「未来」だ。
南無三は動きながら思う。
自分が手放した力は、今この子の中で育っている。ならば、伝えるべきものは力ではない。生き残るための知恵、身を守る技、それだけだ。
彼女はもう一度、一つ目小僧の射線に身をさらす。
次の動きに、一瞬の“教え”を込めて。
そして小僧もまた、その一撃の軌道を、ほんの少しだけ変えた。
母と子の戦いは、まだ終わらない。
けれど、その中にあるのは争いではなく、確かに、受け継がれる何かだった。