第九十一話「影の模倣者」The Shadow Mimic
「へえ、ホムンクルスにドッペルゲンガー……神の真似事でも目指してるわけ?」
ランスが肩をすくめて笑った瞬間、空気が一変した。湿度が上がり、気圧が歪む。視界の奥、黒い影が揺らめいた。
骨格が軋み、髪が波打ち、皮膚の質感が変化する──模倣は一瞬。
そこに立っていたのは、ルイ。
表情、仕草、目の動き。息遣いすらも、完璧に一致していた。
「……ルイ、か?」
「君たちの理解を超えた模倣者……ま、呼びやすいように“ルイ”でいいけど?」
声も完全一致。口元の弧、眉の上げ下げ、癖までそっくりそのまま。
だが、ランスの目は見抜いた。奥底にある“欠如”を。
「テイムの気配がない。霊力も流れていない……外装だけ、か」
「でもその“外装”、わりと優秀なんだよね」
次の瞬間、地が破裂した。
ルイが踏み砕いた足元から砂が舞い、加速。視界が霞む速度で、拳が飛んでくる。
……届く寸前、ランスの体が滑るように一歩外れた。
かわしたのに、当たったように見える。筋肉の連動、呼吸のリズム、重心移動まで──まるで本物。
剣を抜く暇もなく、次の蹴りが迫る。ランスは膝を折ってかわし、地を滑るように後退。間合いを取り直す。
「模倣、侮れないな……!」
翻身、抜剣。空気が裂ける。
ルイが掌を突き出し、斬撃と正面衝突。風が悲鳴を上げ、土煙が舞った。
──笑った。ルイの顔が歪み、戦いを楽しむ笑みを浮かべていた。
剣が迫る。拳が迫る。交錯する攻防、数合を超える激突。
ランスの剣筋は速く、重く、無駄がない。だがルイはそれを見切り、柔らかな体捌きで流していく。鏡の中で本物と戦っているような錯覚。
──しかし、決定的に違うものがあった。
「ルイの模倣なら身体能力はトップクラス……でも、テイムも陰陽術も無い。なら、戦場での“幅”が違う」
ランスが跳躍。剣の軌道が斜めに変化する。ルイは軸をずらして回避し、指先で刀身を逸らす。
地が裂け、破片が舞う。樹々が揺れる中、ルイが静かに構えを取った。
両手をだらりと下げ、呼吸と気配を消す──静の型。
「……完全再現か」
だがこちらも、負けるわけにはいかない。
ランスが膝を折り、剣を逆手に持ち替える。ルイがすぐに後退、警戒の目を向けながらも興味をにじませた。
足元で魔力が脈打ち始める。
「天使の加護、使うんだ?」
「相手がルイの模倣なら、本気で応えるまでだ」
白光が脚から立ち昇る。
次の瞬間、重力を振り切るようにランスが弾けた。
斬撃は一閃。しかしルイは寸前で体をひねり、紙一重で回避──
──それも、ランスの“狙い”だった。
切っ先を戻しながら半回転、横薙ぎの二撃目が腹をかすめる。反動を活かし、飛び上がるように突き。三撃、四撃──容赦なく連撃が続く。
ルイは受けに回る。
だが模倣であるがゆえに、ルイ本人が持つ“間合いの崩し”や“揺らぎ”が再現できていない。
本物のルイは、もっと──曖昧で、読めない。
「違う……惜しいが、やはり本物じゃない」
ランスの剣が加速する。空を裂いた一撃が、ルイの防御を貫き、数歩後方へと吹き飛ばす。
足元が割れ、土埃が立ち込めた。
視界が遮られる。
ランスの目が細まる。
「次は、“止める”ぞ」
斬撃ではない。突進でもない。
ランスが踏み込む瞬間、ルイの目が細く開いた──が、遅い。
踏み込みと同時に展開されたのは、天使の加護による加速斬撃ではなかった。
剣をあえて振らず、“突き”の構えのまま、霊力を流し込む。
剣先が光を帯び、空間を一点だけ“貫く”。
ルイがようやく反応し、半身を返そうとした瞬間──
刺突、命中。
仮初めの胸部を貫いた白銀の刃が、模倣の構造を壊す。
ルイの体がびくりと震え、虚ろな目がランスを映す。
「……なるほど。本物には、なれなかったか」
声に、少しだけ悔しさが滲んだ。
ランスは剣を引き抜く。
ルイの体が崩れ、霧のように形を失っていく。
──勝負あり。
ランスは一歩後退し、剣を納める。深く息を吐いた。
「完璧な模倣ほど──粗が目立つものさ」
消えゆくルイの残滓を見つめながら、静かに呟いた。
その目には、ほんの僅かに“本物”への敬意が宿っていた。




