第八十七話「獣の本能」The Instinct of the Beast
風が裂けた。
九尾――晴明の身体が音もなく滑り出す。
人の形を保ちながら、その動きは明らかに“獣”。
否――人という枠組みを脱ぎ捨てた、原初の捕食者だった。
ドーマンが目を凝らす。
だがもう、九尾は消えていた。
次の瞬間――首元に肘打ち。
「――ッぐぉ!」
反応が遅れた。踏ん張る間もなく、第二撃が脇腹へ逆回し蹴り。
続けざまに、低い姿勢から足払い、重心を奪い――
落ちかけた体に跳躍膝蹴りが顎を打つ。
(何だ……この連携は!)
そこに迷いも、予備動作もない。
動きはまるで本能の反射――いや、プログラムされた殺意。
受け身を取った瞬間、背後に回り込まれていた。
背中に両肘を振り下ろすような打撃。脊髄を狙った急所打ち。
ドーマンが咳き込みながら拳を突き出すが――空を切る。
九尾は体を一回転させてその拳を流し、
カウンターのように鳩尾に手刀を叩き込む。
一拍。
そこから喉笛に膝、そして反対側からの踵落とし。
(これはもう、“技”じゃない……)
観客席が絶句する中、最後の一撃――喉元を切り裂くかのような尾の斬撃が迫る。
ギリギリで身をひねったドーマンの肩に浅く切れ込みが走る。
赤い筋が浮かび、蒸気のような熱が立ち昇る。
「ぐっ、ぉぉぉああああああああッ!」
咆哮。ドーマンが一気に距離を取る。
「……はぁ、はぁ……何だよ、晴明。いや……九尾か」
口元から血を流しながら笑う。
「今の10撃……一つでも深く入ってたら、死んでたぞ。」
対する九尾は、蒼い瞳に殺気を滲ませたまま微笑む。
「――惜しいな。お前が半歩、夜に踏み込んでなかったら、今ので終わってた」
「夜が助けてくれたな、」
その言葉に、ドーマンの表情が強張る。
(こいつ……全部、見切っていた……)
九尾がさらに一歩、踏み込む。
「獣人と獣の違い――それは、リミッターだ」
「お前はまだ、理性の枷に片足を突っ込んでる。
だが俺は違う。限界も制御も、全部喰って捨てた」
九尾が指を鳴らした瞬間、足元の大地が跳ねた。
再び――殺意の連撃が始まる。