第八十五話「異世界の陰陽師」Onmyoji of Another World
決闘場に静寂が降りた。
空気が張り詰め、観客席のざわめきは波紋のように広がっている。
「次の対戦者――九尾晴明!!」
「対するは、獣人族――ドーマン!!」
二人が向き合う。
白装束の晴明は、黒羽織を肩に流し、腰に札入れを下げていた。
その指先からは淡く霊気が滲む。
対するドーマンは、獣人族ライカンスロープ。
分厚い胸板と鋭い眼光、昼間であるにもかかわらず、すでに猛獣のような気配を纏っている。
(妙な感覚だ……この匂い、この気配……)
晴明が目を細めたその瞬間――
試合開始の鐘が鳴った。
一瞬。
地を裂くような衝撃音とともに、ドーマンが姿を消す。
いや――速すぎて、目が追えない。
(来る!)
晴明は即座に札を抜き、指を走らせる。
「《雷封》!」
青白い稲光が走る。
だが、ドーマンはその雷を切り裂いて突進。
そのまま拳を叩き込んできた。
空気が弾け、晴明の身体が地を滑る。
立て直す暇もなく、追撃。
風の呪符を放つも、速度で振り切られる。
「《風縛》!」
縛りの陣を展開したが――破られた。
ドーマンは風の檻を肩で砕き、また一撃。
「ぐっ……!」
晴明の肩が軋む。
防御は紙一重。もはや体術の域を超えている。
(これは……完全に格闘のプロだ)
呼吸を整え、後退しながら三枚の札を滑らせる。
「《三重封・結界陣》!」
地面が光る。雷の柱が天を突く。
だが、ドーマンはその中を強引に突き抜けてきた。
「――っ、硬すぎる」
火、水、雷。連続の属性符を繋げる。
だが、その全てをドーマンは打ち砕く。爪、拳、蹴り。迷いがない。
(このままじゃ押し切られる)
そして――空が揺れた。
雲が裂け、月が覗く。
次の瞬間、ドーマンの身体が膨張する。
背骨が隆起し、毛並みが逆立ち、眼が赤く染まる。
「――ふう、やっと月が出たな」
声が低く、獣の唸りを帯びる。
(これが“夜の姿”……ライカンスロープの本性)
風が鳴る。次の瞬間、晴明の視界が暗転。
斬撃のような風圧が走り、装束の袖が裂ける。肩口に血が滲む。
「君の動き……ただの獣人じゃない」
晴明は跳躍しながら札を構える。
結界を張りながら、声を落とした。
「印の流れ……術式の間合い……それらを知っている者の動きだ」
ドーマンの獣眼が僅かに細められた。
「お前の眼は、やはり節穴じゃなかったか。……そうだよ、晴明」
その声は――懐かしくも憎たらしい響き。
「俺の名は、芦屋道満」
晴明の動きが止まる。
「まさか……!」
その瞬間、鋭い爪が胸元を掠め、鮮血が飛んだ。
苦しみを押し殺しながら、晴明は地を滑り、札を空中にばら撒いた。
「ならば――容赦はいらぬな」
四枚の札が空中で旋回し、陣を描く。
「《四象封陣》!」
火が舞い、風が唸り、水が砕け、雷が走る。
四つの力が交錯し、ドーマンを中心に結界が展開される。
それでも、獣の眼は笑っていた。
「いいぞ、晴明。その目だ。かつての“あの頃”の……本気の目だ」
衝突が始まる。
拳と爪。符と結界。
風を裂く音、火の爆ぜる音、肉がぶつかる重音。
互いに攻防を切り替え、術式が形を変え、次の一手を先読みし、誘い、罠を仕掛ける。
(……まだだ。まだ届かない。だが、確かに術式は効いている)
晴明の札が地を駆け、空に舞い、火線を描く。
ドーマンの爪がそれを裂き、体術で間合いを詰める。
衝撃波が吹き荒れ、決闘場の地面が割れた。
観客の誰もが、言葉を失って見入っていた。
それはただの戦闘ではなかった。――因縁だ。
交わらぬはずの過去が、再び交差した瞬間だった。
そして、戦いは――まだ始まったばかり。