第八十四話「神祖とスライム喰らい」The Divine Ancestor and the Slime Devourer
リングの中央には、
芦屋神祖の姿
その背後には、十数体のスライムがふわりと浮遊していた。
粘液のようにたゆたうそれらは、見慣れた小型個体から、やや大型のもの、さらには浮遊型の“魔力スライム”まで様々。
「さて、ちょっとばかし実験してみっか」
芦屋が気怠げに呟いたその瞬間、対面の獣人が舌なめずりをした。
「喰らうぞ、芦屋神祖……全部なァ」
バオル・グルーナ。
“スライム喰らい”の異名を持つ獣人で、胃袋の中には常在型の分解酵素が備わっているという。
「始めッ!!」
声と同時に、戦場が爆ぜた。
バオルの舌が音速を超えて突き出され、目にも止まらぬ速さでスライムを捉える。
「っ!」
芦屋が指を振るが、反応がわずかに遅れる。
最前列にいた小型スライムが舌に捕らえられ、ズルリと引きずられるように飲まれた。
「っぐ……っふぅ! うめぇ……一匹目、いただきだァ!」
すぐにもう一体、三体、五体……!
飛び回るスライムたちが、バオルの舌と腕と牙にかかり、次々に呑まれていく。
喉を鳴らすたびに、体内でスライムが融解され、獣人の筋肉がわずかに隆起する。
「もう七匹。どうした、神祖様よぉ!」
「……いいねぇ、こりゃ貴重なデータだ」
芦屋は冷静な表情を崩さないが、数で勝るはずのスライムたちは明らかに押されていた。
バオルが跳躍し、空中で舌を振るいながらマザースライムへと突進する。
「メインディッシュ、行くぜッ!!」
避ける間もなく――
芦屋の背後でうねっていた大本命、マザースライムが喰われた。
ぐちゃっという鈍い音とともに、粘体がバオルの体内へ吸い込まれる。
会場全体が一瞬静まり返った。
「……!」
芦屋の眉が僅かに動く。
バオルが舌を巻くように呻いた。
「っ、ぐ……っつ……!?」
彼の腹部が脈動し始める。
次の瞬間、体内から異質な“意思”が波打つように漏れ出す。
「な、なんだコレ……! 俺の中で、動いてやがる……!?」
粘液のような黒光りが、バオルの皮膚の下を這い回る。
芦屋が、わずかに口角を上げた。
「今までのは“餌”だ。本命は……今から顕現する」
次の瞬間――
バオルの腹が弾けるかのように裂け、その中から、銀色に輝く“核”が飛び出した。
リング全体が震えた。
「――“《神祖分体》”だ」
粘液が逆流し、まるで自分の身体を組み直すように構築されていく。
スライムだったはずのそれは、もう獣に近かった。
無数の触手、宙に浮く眼、そして微細な核が放つ神性。
「こっちは……喰われるためにいるんじゃねぇ。殺すために、宿ってんだよ」
マザースライムの触手が十本、バオルに突き刺さる。
刺突、貫通、焼灼、魔素の逆流。
まるで体内の神経網を逆なでするかのような苛烈な攻撃。
「ぐ、が……ぐああああああッ!!」
バオルの咆哮が響き渡る。
体内から引き剥がされるように、スライムの核が次々と再構成されていく。
芦屋は彼らに手を伸ばし、優しく撫でた。
「おかえり。よく戻ってきたな……よしよし」
まるで親が子を迎えるような声音。
だが、次の瞬間――芦屋の影が一閃した。
「……これで終わりだ」
指を弾く。
それに呼応し、マザースライムの体が鋭利に変形。
一撃でバオルの胸を貫通し、背骨ごと打ち砕いた。
「が……は……っ」
バオルの口から血と共に粘液が溢れ出す。
四肢が痙攣し、動きを止めた。
観客席からは、絶句と悲鳴と歓声が入り混じったような音が巻き起こる。
「勝者――芦屋神祖ッ!!」
その声を背に、芦屋はスライムたちと共にゆっくりと歩き出した。
「……つまらぬモノを食ってしまった」