第七十六話「南無三、降臨テヘペロ❣️」 Namusan Descends 〜 Tehepero❣️
昼の陽が、やわらかく闘技場の天蓋を照らしていた。
五戦全勝――初戦を終えての結果は、あまりに完璧だった。
静けさが戻った中庭。
控室から少し離れた木陰で、ルイは芝生に腰を下ろしていた。
マザースライムと同化した芦屋が、湧き水の入った竹筒を差し出してくれる。口をつけ、静かに飲む。
と――。
音もなく、その場に百目が姿を現した。
深い思考に沈んだようなその足取りは、どこか不安げでもある。
「……ルイ。少し、話がしたい」
「ん? どうしたの?」
ルイが振り向くと、百目は静かにその場に膝をつき、目を伏せて口を開いた。
「――核が、変質し始めている」
「……核? ああ、妖怪の?」
頷きと共に、百目の掌に淡く発光する珠が浮かぶ。
それはかつての“霊的な青白さ”ではなかった。
濃密で、濁ったような魔素の色を孕んでいる。
「異世界に来てから、ずっと霊力の流れに違和感があった。
だけど最近は……この魔素の濃度に、核が順応し始めてる。
変質を経て、もう“妖”のままではいられない」
小さく息をつく百目。その横顔は、珍しく揺れていた。
変化を怖れているというより、自分で自分を制御しきれていないようだった。
「……進化の兆しか」
「うん。ただ……」
核に浮かぶ光が、脈打つ。
それが語るように、百目は言った。
「――マスターロックが掛かってる。
進化の完了には、ルイの承認が必要らしいんだ」
式神の範疇にある以上、核の変質もルイの意志が鍵を握る。
ルイは肩を竦めて笑った。
「いいよ。好きに進めていい。……で、進化先は?」
百目は核に手をかざし、虚空に二つの“進化ビジョン”を浮かび上がらせた。
ひとつは、全身を覆う巨大な一つ目――大目玉。
不気味なまでの静寂と重厚感を持ち、敵の全てを見通し、照射で焼き払う“見極めと破壊”の権化。
そしてもう一つは――
顔に七つ、身体に六つ、背に三つ――合計十六の瞳を持つ、紅い妖衣を纏った異形体。
「これは……?」
「“南無三”って呼ばれてる変異型妖怪。
多眼の意志統合体……らしいけど、実際には不安定で、よくわかんない部分が多くて……」
「それ、選ぶんだ?」
「……選ばれたんだと思う。私が、じゃなく、核が」
その瞬間、核が光の鼓動を放つ。
進化が、決まった。
百目の身体が強い光に包まれ、周囲の風が渦を巻く。
そして――弾けた。
光の中から姿を現したのは、かつての百目とはまったく異なる存在だった。
紅の和装に身を包み、顔面には整然と並ぶ七つの瞳。
肩から背中にかけて、折り畳まれた三対の“眼の羽”が脈動する。
口元には微笑を浮かべながら、ひとつ目を閉じ、舌をペロリと出した。
「んふふっ……“南無三”、この世に誕生~☆」
「……おい、キャラ変してないか?」
「うん。性別も変わったし、思考構造も魔力ベースで再構成されちゃったみたい。
つまり、ちょっとメスになっちゃった☆ てへぺろっ♪」
ルイは額に手を当てて天を仰いだ。
「……核の進化、クセが強すぎるだろ……」
しかし、それだけでは終わらなかった。
“南無三”から溢れ出した余剰核の残滓が、空中で一つに集まり、ぽとりと地面に落ちる。
ぬるりとした感触を残しながら膨らんでいくそれは、球体へと成長し、眼のある小さな頭部を覗かせた。
「……なにこれ……あ、生まれた?」
生まれたのは、一つ目小僧だった。
どう見ても分裂体だが、意志はまだ未成熟なようで、くるくるとその場を転がっている。
“南無三”は軽く肩を竦める。
「副産物みたいなものよ。しばらくは私の式として扱うけど……。
ふふ、これはもう次の試合、全力で行くしかないわね」
その時、十六の瞳が一斉に輝いた。
空気が、微細に震える。
闘技場の静寂が――静かに崩れ始めていた。