第七十三話「漆黒の旋律、五翼の舞」 Melody of Jet Black, Dance of Five Wings
試合開始の合図が響く前。
ただ、静かに足音を鳴らしながら、ルイが闘技場へと歩み出る。
その背には、漆黒の羽が五枚。
空中にふわりと浮かび、無音で旋回を始めたそれは、ただの装飾ではない。
灼熱の光を帯びる羽。電光の筋が走る羽。霧のように白く凍える羽。
七色に煌く、意味すら読めぬ光の羽。
そして、沈黙の闇を編んだ、始まりの羽根。
羽根たちは、彼の意思に呼応している。
今はまだ、ただ舞っているにすぎない。
ルイの右手には、鞭。
その長さ、しなり、張り。どれも異様な気配を放っていた。
左手は空。だが、それが永遠に空とは限らない。
相手の戦士が地を踏み鳴らして立ちはだかる。
重装の巨漢。鉄塊のような斧を構え、空気を切り裂く気迫。
対して、ルイは何も構えない。ただ、羽根と鞭だけ。
それでも、その場の空気は明確に――ルイの側に傾いていた。
──始まる。
号砲の音すら、次の瞬間には忘れ去られていた。
鞭が一閃。
直撃はしない。ただ地を這い、相手の右脚を囲うように動いた。
誘導だ。巨漢は本能で察知し、左へ跳ぶ。
その瞬間、空中から舞い降りたのは、灼熱の羽根。
炎が巻き、爆ぜ、相手の肩口を焼いた。
追撃を狙うように、電撃が空から落ちる。
ルイは、微笑さえ浮かべていた。
鞭は届かせるためにあるのではない。動かすためにある。
ひとつの罠から次の罠へ。羽根が次々に舞い、敵を翻弄する。
逃げ道には冷気。進めば雷。止まれば灼熱。
相手の呼吸が乱れ始める。
だがルイは、まだ鞭を“使ってすらいない”。
脚に巻く。足場を崩す。手元を弾く。
牽制に徹するその鞭は、まるで戦場の指揮棒だった。
やがて、巨漢が強引に一撃を振るう。
ルイの足元を削るような斬撃。
その瞬間――ルイの左手に、二本目の鞭が握られていた。
音もなく、さりげなく。
しかし、それは明確に戦況の転換を告げる動きだった。
左から迫る斧を右の鞭で受け、
左の鞭で足首を巻き、引き倒す。
倒れた巨体の背中に、冷気の羽根が突き刺さる。
同時に雷撃が逆巻き、斧を弾き飛ばす。
巨漢は立ち上がろうとするが、鞭が二本になった今、もう逃れられない。
片方で牽制し、もう片方で捕縛する。
羽根たちは自律的に動き、獣のような直感で獲物を追い詰める。
熱、電、氷、光、そして闇。
全ての属性が、まるで“ひとつの意志”として動いていた。
地面に崩れ落ちた巨漢は、すでに反撃の意志すらない。
だがルイは、なおも動く。
鞭の一閃で空を裂き、最後の羽根が敵の胸元へ滑り込む。
七色の輝きが、テイムの証を描いた。
終わりだ。
観客席は静まり返っている。
爆音も、悲鳴もない。
あるのはただ、静かすぎる勝利の余韻。
ルイは振り返り、無言で歩き出す。
羽根たちもゆっくりと背後に戻り、旋回を止める。
仲間たちは言葉を失っていた。
それが、圧倒の意味だった。