第七十一話「百の眼、万の道を見通す」 A Hundred Eyes See Through Ten Thousand Paths
――始めようか。
試合開始五分前。
私は静かに目を閉じた。いや、外見上は“目”を閉じただけ。実際には全身に散らばる“視覚機関”をすべて開放する。額、こめかみ、首、肩、手の甲、背中、衣の裏地、つま先――。
戦場に立つ相手。五人の中でも、もっとも隙のない構えの男。
斧を背に、深く息を吐き、重心を沈めている。防御にも攻撃にも偏らない、まるで揺るぎのない“構え”。
だが、構えは破綻の起点でもある。
私は静かに解析を開始した。
《解析開始──》
1.8秒、肩の可動域が左に3度傾く
2.3秒、呼吸のテンポが半拍遅れる
3.2秒、靴底の重心が外側に逃げた
4.6秒、視線が0.4秒だけ味方後衛に流れた
5.0秒──解析完了。
「ふむ」
私はただ一歩、前に出た。それだけで、ルイたちの空気が変わる。
「えっ、百目……!?」
「マジで? 出るの?」
「いやいやいや、あいつ後方支援だろ……?」
不安、驚き、そして一部には焦燥。
けれど私は、軽く微笑むに留めた。
(たまには……見せておこうかな)
後方支援だけじゃない。私の“戦闘”を。
試合開始の合図。
《戦闘開始──カウント0.00》
相手が地を蹴る。
剛力の踏み込み。振り下ろされる斧。
私は、一歩。わずかに身体を捻って、肩で受け流す。
掠りもしない。
第二撃、横薙ぎ。
体重を乗せた重撃だが、私はただ、踵を軸に半歩、抜ける。
三撃目、足払い。
読めている。少し後ろへ身を傾け、避ける。
《回避三回、予測誤差修正完了──カウント8.00》
完全解析。
ここからは――物理による、暴力の時間だ。
私は、斧を掲げる彼の腕に触れた。指先で、そっと撫でるように。
その接触点を起点に、力の流れを読み、わずかに重心を傾けさせる。
バランスが崩れる瞬間、私は肘を押し込む。
そこから、右足を軸にくるりと回転。
相手の巨体が回る。完全に私の“流れ”の中にある。
合間なく、突き、払い、崩し。
斧が何度も振るわれるが、私の動きはぶれない。
踏み込みの瞬間に膝裏を軽く押す。
次の一撃を誘発して、腰に当て身を返す。
掌底、掌打、捻り、足払い、投げ。
相手は反撃できない。
なぜなら、攻撃の前に“崩されて”いるからだ。
私の流れの中で、彼は泳がされ、舞わされる。
「――ッ!」
ついに距離を取り、全力の突進を試みたその時。
私は足元を見た。斜めに滑る軌道、五歩先の着地位置、重心の寄り。
視線が一瞬泳いだ。そこに“逃げる”つもりなのだろう。
「そこだよ」
右手を軽く横に伸ばす。
その先に、小さな光球が浮かんでいた。
レーザー照射。
着地する寸前に、閃光が脚元を抉る。
崩れた。
そこに待っていたのは、私の肘打ちだった。
胴にめり込む。さらに踏み込みながら、膝で顎を突き上げる。
相手が宙に浮いた。
私はその身体を反転させ、背中を下にして大地に叩きつける。
静寂。
そして――
《戦闘終了──カウント58.26秒》
ふう、と一息。
(24秒で終わると予測していたんだけどな)
(……やっぱり、私の戦闘能力はまだまだか)
勝利はした。完封だった。
だが、満足はしていない。
観測者である私が、実践者として完全であるには――
まだ、精度も、速度も、技も足りない。
私は静かに一礼し、仲間のもとへと戻った。
後ろでは、観客たちがざわついていた。
「百目……何者だよ……」
「触れてもないのに投げ飛ばされたぞ……」
「避けてるのか誘導されてるのか……いや、全部だ……」
私は気にしない。ただ、次の観測対象に目を向ける。
試合はまだ、続くのだから。