第六十八話「矜持の果てに、光は降る」 At Pride’s End, Light Descends
戦争は、静かに終わっていた。
轟音も咆哮も止んだあとの戦場には、かすかな風の音だけが残る。
それは、戦士たちの矜持がぶつかり合った果てに訪れる、わずかばかりの余白。
血に濡れた土、折れた剣、燃え尽きた魔法具、そして……命の尽きかけた者たち。
「……よく、ここまで持ったな」
ルイは誰に語るでもなく呟き、腰の札束から一枚の符を取り出した。
その手は静かでありながら、迷いもなく――まるで儀式のような所作だった。
振りかざされた札が宙を舞い、一人の瀕死の兵士に音もなく触れる。
淡い緑光が、男の身体を包んだ。
肉が再生し、折れた骨が繋がり、裂けた皮膚が癒されていく。
まるで神話の再演。
男は瞳を揺らし、何かに救われたような吐息を漏らした。
「……これは……命の、光……?」
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ルイは振り返らず、次の符を飛ばす。
今度は三枚が同時に放たれ、それぞれが異なる方向へ、流星のように滑っていく。
そこかしこで光が花開くたび、倒れていた者たちが一人、また一人と目を覚ましていった。
彼らは敵兵だ。だが、ルイにとっては“癒されるべき命”であり、“契約すべき魂”だった。
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やがてルイは立ち止まり、手を空へとかざした。
周囲に刻まれる式陣。空間が揺らぎ、風がざわめき、精霊たちのささやきが重なる。
「……今こそ、癒しを降らせよ。すべての命に、等しく」
その言葉と共に、頭上に広がった巨大な魔法陣が煌めき始めた。
「〈天癒展陣・式封神環〉」
無数の光の糸が、空から舞い落ちる。
それは術式ではない。
祈りだった。
赦しであり、誓いでもあった。
光が地に落ちるたび、呻きが消えていく。
傷口が閉じ、断たれたはずの命が再び立ち上がる。
そして、その一部の者たちの胸には、ほのかな印が刻まれた。
ルイのテイム――魂に契約の紋が咲き、彼らは新たな名を持つ。
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遠く離れた丘の上、視線の主がその光景を凝視していた。
男は黒衣に身を包み、目元を隠す仮面をつけている。
ヴァルグラッドの情報局、その中でも“無影”と呼ばれる特殊諜報班の一員だった。
「――これは……何だ……? 一人の術者が、まるで“神”のように……」
彼は震える手で通信水晶に言葉を送る。
「対象人物、単独で中隊規模の癒し・回復を完了。さらに、一部に“契約印”らしき光反応。これより……さらなる監視を――」
だが、その言葉が終わるより早く、背後で“気配”が立った。
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「……見られています、ルイ様」
それは、百の魔眼を持つ式神・百目の囁き。
ルイは目を閉じ、静かに一枚の札を宙へ放った。
風に乗った札が、一筋の流星のように宙を走り――
スパイの背中に、音もなく吸い付いた。
「……!?」
次の瞬間、雷鳴のような術式電流がスパイの身体を貫いた。
男は一言も発せぬまま、意識を刈り取られ、地に崩れ落ちた。
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その体が再び光に包まれるまで、そう時間はかからなかった。
今度は癒しの札が貼り付き、淡く温かな光が全身を包む。
まるで、死を否定するように。
意識を取り戻した男は、胸に刻まれた紋に手を当て、うめいた。
「……私は……なぜ、生きている……?」
彼の瞳は、もはや敵のそれではなかった。
怯えと困惑、そして――微かな敬意が、確かにあった。
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ルイは、すでにその場を離れていた。
新たに加わった仲間たちと共に、陣の外へ向かう。
その背に従う者たちは、皆異彩を放っていた。
戦で名を上げた者、孤独に生きた者、復讐のために剣を取った者。
そして今、彼らは“命を繋ぐ者”に魅せられ、彼の影となることを選んだ。
「さて……これからどう動くか、だな」
エルフ王国は、いまだ後手に回っている。
攻めに転じるべきか、あるいは、内政を固めるべきか。
だが、そのどちらも今の俺には響かない。
「夜に作戦会議を開こう。皆の声を聞きたい」
遠く、夜風が吹く。
その風の中、ルイは静かに目を閉じ、独り言のように呟いた。
「……非常に、良い戦争だった」
その言葉は、ただの回顧ではない。
救いがあり、選び取った命があり、そして――始まりがあった。
戦争の終わりにして、物語の序章。
光は、今も戦場に降り続けていた。