第五十八話「偽りの大地、脈の歪み」 The False Land, Distorted Pulse
足元から響く大地の静寂に、ルイは一瞬、目を細めた。
霊の気配も、魔の蠢きも、ない。
…あまりに、静かすぎる。
「……魔力が、枯れているな」
吐き出すように呟いた声が、湿った岩壁に吸い込まれていく。
あれほどまでに魔素が溢れていたはずの階層が、まるで干上がった泉のように、力の気配を失っていた。
地に指を這わせ、掌に微細な霊気を流す。
……流れが、途切れている。
龍脈。世界の血管のように、魔力を各地に巡らせる自然の大動脈。
その流れが、どこかでねじ曲げられ、断ち切られている。
「強引に干渉した痕跡がある。だが、荒い。呪術の素人が、見様見真似で弄ったかのような――」
唾棄するように言葉を切った。
線の乱れ、呪符の焦げ跡、刻印の不自然な深さと角度。
術式に対する無理解、あるいは暴力的な信仰心の混入。
この程度の雑な術に、真の使い手の気配はない。
「敵の力量、見えたな……呪術の型すら整っていない。知識も浅い。ただ“何かに命じられて”行った類いだろう」
だが問題はそこではない。
このダンジョンは、国家間で共有される「境界線上の資源」だった。
自然発生する魔物と、それを狩る冒険者、集まる戦利品。
力の均衡を保ちつつ、各国が等しく利益を得るために設定された「共同管理型」の領域。
それが――この呪術で、壊されかけている。
「ここに湧く魔物を利用し、他国の戦力や経済を支えていた。だが、魔力が枯渇すれば――」
もはや、この場の価値は消える。
利用価値を失えば、他国は即座にこのダンジョンの支配を放棄する。
そして残るのは、“干渉した”者だけが操る廃れた死地。
「このまま下に潜って……コアを破壊すれば」
ルイの眼が細く光る。
コア――すなわち、ダンジョンの根幹。
それを壊すということは、ダンジョンそのものを“終わらせる”行為に等しい。
本来、慎重に扱われるべき行為。だが――これは既に、壊されかけた場所だ。
「無限湧きにもならない。これでは“遊び場”にもなりはしない」
霊の波動に応じて、腰の札束がわずかに揺れる。
式神たちの気配も、どこか冷ややかに周囲を警戒している。
「……やるなら、今だな」
ルイは静かに階層の底へと視線を落とした。
ただの破壊ではない。これは“治療”であり、“浄化”であり――
すべてを終わらせた上で、再生させるための“はじまり”だ。
次の一歩は、もう迷いなく、闇の奥へと踏み出されていた。