第三十九話 「堕とされし者、深淵にて目醒める」The Fallen One Awakens in the Abyss
「晴明、右だ!」
「心得た――《焔尾・封陣展開》!」
爆ぜる炎、吠える魔獣。四方を囲むのは、黒鉄の鎧を纏ったオーガ、空を裂く飛竜、地を這う百足、空間を漂う幽鬼。階層ごとの魔物が大量に詰め込まれた、いわゆる“モンスターハウス”。しかもこの階層は魔力異常地帯。補助術が不安定になり、精霊や召喚の成功率も不確定だ。
だが。
「この程度で俺を止められると思うなよ……!」
ルイの眼がギラリと光る。手にした術符を一気に投げ放ち、式神を同時展開。
「百目! 風の舞姫! 地竜グラード! 一気に突破だ!!」
百目が魔眼から放つ閃光レーザーで遠距離を焼き払い、風の舞姫ハヤテが乱舞して飛竜を切り裂く。地竜グラードは大地を揺らし、突進してオーガの列を蹴散らす。
その中心、ルイと晴明が背中を預けて立つ。
「派手に行くぞ、晴明! モンスターハウスごと浄化だ!」
「よかろう。ならばこちらも本気で応えよう……《九尾封陣・天狐顕現》!」
尾が九つ、空に舞い、陣が空間を染める。火と雷と霊の属性を持つ三重封陣が次々に敵を封じ、その上からルイの術符が連打される。
「喰らえ、連式・陰陽撃札・破!」
爆発と咆哮。魔物が次々と灰へと変わる。
……その時だった。
「……ルイ、下っ!」
晴明の声に反応するも一瞬遅れた。足元に組み込まれていた魔法陣が複雑に輝き、四層構造の“多段式転移トラップ”が発動した。
「またかよッ――っち、まずいぞこれ……!」
空間がひしゃげ、重力が反転。視界がぐるりと回る。
一層目。落ちた先には毒霧の部屋。まともに呼吸できず、空気すら呪われている。
「式神《水鏡童子》、霧散フィールドを張れ!」
小さな水の妖が顕現し、球状の結界で毒霧を中和。だが休む暇もなく、再び転移。
二層目。落下と同時に、重力異常エリアへ突入。身体が鉛のように重く、動きすら封じられる。
「ふざけんなよ……! 晴明、聞こえるか!? ……ダメか」
通信も遮断された。単独行動確定。
「なら、独りで全部やるしかねぇってだけだ!」
ルイが強引に重力結界を突き破り、再び札を掲げる。
「《破重・解式》!」
瞬間、空間が跳ね返るように反発し、動きが戻った。その隙に敵影、今度は“虚影群鼠”――無数の半透明なネズミ型の魔物が壁や床から這い寄る。
「うじゃうじゃ出やがって……。式神《火鼠斎》、出番だ!」
召喚されたのは、火を纏う鼠の式神。ネズミ同士の激突。だが火鼠は実体があり、敵を次々と焼き尽くす。
三層目。落下先は氷の迷宮。視界が乱反射し、無数の幻影が辺りを彷徨う。
「……なるほど、精神系か」
ルイは口元を歪め、静かに詠唱する。
「我、魂の芯にして識の火を灯す。式神《眼蛇獣・ミトラ》!」
召喚されたのは、千里眼を持つ白蛇型式神。周囲の幻覚を見破り、正体を暴き出す。
敵は“氷鏡の幻獣”。術を仕掛けてきた主を即座に識別したミトラが睨みつけ、ルイの術が一撃で討ち取る。
「次は四層目か……ッ!」
今度は転移先が特殊だった。地形そのものが“蠢いて”いた。
「……生きたダンジョン階層……!?」
地が、壁が、天井が、肉のように鼓動し、血管のようなラインに魔力が流れている。
ここには、無数の異形――頭だけの蛇、足だけの巨人、骨と翼の集合体など、形容しがたい存在が彷徨っていた。
「……やれやれ、こりゃもうダンジョンじゃなくて地獄だな」
と、そのとき。
「――遅かったな、ルイ」
声と共に現れたのは、九尾晴明。尾を揺らしながら、既に何体もの魔物を斃して進んできたらしい。
「晴明……! 来てくれたか」
「まったく、いつも手のかかる主君だ」
「うるせぇ……助かったぜ」
背中を預け、再び並び立つ。
「さあ、晴明。ここのボス、気になるだろ?」
「当たり前だ。こんな異形、ただの生き物じゃない」
「じゃあ、テイムして確かめるとしようか」
「まったく、物好きだな。だが、それも悪くない」
「行くぞ、晴明!」
「応!」
二人の陰陽師――人と妖――主と式神。その力が深淵を貫き、異界の真相をこじ開ける。
落とされたのではない。“選んで堕ちた”その翼が、いま、神の舞台へ逆流を始める――