第三十八話「孤撃の果て、尾を揺らす影」 After the Lone Strike, a Tail-Waving Shadow
低く唸るような風が、ダンジョンの第六層を這う。
視界は狭く、空気は湿り気を帯び、床には魔力の濃い苔がびっしりと生えていた。ルイたちの足音を吸収するかのような静寂。だが、その静けさは唐突に破られた。
「来るよ、前方四時方向──五体、いや六体。スレイヴ・ゴーレム!」
ランスの声が響くや否や、前線のルイが踏み込んだ。
「風裂・迅雷断!」
風と雷を帯びた刃が空間を切り裂き、先行していたゴーレムのうち三体を一息に両断する。
「ランス、左! 三体目、残ってる!」
「把握済み。陽炎突き!」
兄弟の連携は完璧だった。背中合わせで前後を守りつつ、残った敵を各個撃破していく。
すでにこのダンジョンに入るのは四度目。油断なく、かつ冷静な対処。それがルイたち“王国の至宝”と呼ばれる双子の実力だった。
──しかし、想定外は唐突に訪れる。
戦闘が終わり、敵の残骸を処理しようとルイが一歩踏み出したその瞬間。
「……!?」
床が音もなく崩れた。いや、“崩れた”のではない。“開いた”のだ。
「転移魔紋!? 違う、これ……構成が違う、設計が……!」
ランスの警告が間に合わない。
青白く発光する陣がルイの体を飲み込む。空間が歪み、視界が弾けるように反転した。
「ルイィィィィィィッ!!」
ランスの叫びが届くころには、もうルイの姿は消えていた。
──転移トラップ。
中でも最も悪質とされる“個別分断式”。しかも魔紋の構造が複雑すぎる。自然発生した罠ではない。明らかに“人為的”だ。
「誰かが……仕掛けた!? ルイを狙って……!」
ランスの拳が硬く握られる。背後で仲間たちも混乱する中、彼は即座に指示を出す。
「ここは一度、引き返す。ルイの霊力反応がまだあるなら、奴も無事なはずだ。だがこれは……戦術的誘導だ。罠だぞ!」
一方、転移されたルイ。
着地した場所は、第九層と推測される未知領域。重い瘴気が漂い、赤黒い水が地面を濡らしている。岩壁の亀裂からは魔力の波動が染み出し、無数の目玉を持つ魔獣たちが這いずり出てくる音が響く。
「モンスターハウス領域か……最悪の場所に飛ばされたな」
状況を即座に把握するルイ。
だが、焦りはなかった。彼は静かに右手を掲げると、己の霊力を中心に術式を走らせる。
「来い──九尾晴明」
空間が紫紺に染まり、陰と陽が交錯する。
舞い降りたのは、九つの尾をたなびかせる一人の少年。
かつては青年の姿をしていた式神“晴明”と、九尾の妖魂を融合させた存在。それが今、ルイの成長に呼応する形で変質し、十五歳ほどの若返った姿で顕現する。
白銀の髪。冷静で整った面立ち。瞳は金と紫のオッドアイ。九尾が柔らかく揺れ、まるで意思を持つかのように空間を撫でる。
「……また厄介なところに来たな、主」
「お前、見た目が若返ってるな?」
「魂の調律だ。主の霊力が強まり過ぎた結果、私は安定化のため形を変えた。いわば“副作用”だな」
冗談めかして言うが、九尾晴明の気配は明らかに増していた。
以前よりも術の練度も精度も上がっている。
「じゃあ……いけるな。ここを突破する」
「当然だ。主を放って逝かせるつもりなど毛頭ない」
次の瞬間、敵が群れを成して迫る。
異形の獣、牙と爪、触手と炎。視界の端から次々に現れ、空間が歪むほどの圧迫感を与える。
「……陽転・封雷式!」
「風華・連斬!」
二人の詠唱が重なり、術が一つの巨大な奔流となって敵を飲み込む。
雷鳴が炸裂し、光が広がる。だが敵は数に物を言わせて次々と迫ってくる。
「……面白い。では、“あれ”も試すとしようか」
九尾晴明が印を結ぶ。
「混魂術式・尾天螺旋陣──展開!」
九つの尾が光の渦を描き、巨大な結界を構成する。敵が突入すればその肉体を焼き、精神を混乱させ、術式で縛り、削る。
式神というよりも、もはや一個の戦術兵器。その力が真価を見せ始めていた。
「ルイ、まだまだ行けるな?」
「当然。こっちはまだ……初動だ」
その言葉通り、二人は“死地”を次第に制圧していく。
ルイの式神術と霊力、晴明の戦術と妖力。
少年と少年の姿をした式神が並び立つその姿は、まるで神話の英雄譚の一幕のようだった。
──だが、彼らはまだ知らない。
この転移は、単なる罠ではない。
“試練”と呼ばれる何かの準備であり、ゼノス帝国の陰謀の“第一段階”に過ぎなかったことを。