第三十七話「密やかなる接触と揺れる心」 Secret Contact and a Trembling Heart
その日、王都は珍しく曇り空だった。白銀樹海を抜ける風は湿り気を帯び、空を仰げば灰雲が重たくたれ込めている。まるで何かの前兆を告げるかのように──。
エルフ国王立学園の演習場では、いつものように少年たちの掛け声が響いていた。
「ルイ、左に回避! 囲まれてるぞ!」
「任せて、〈ウィンド・スライス〉!」
鋭く切り裂く風の刃が、訓練用の魔導ゴーレムを真っ二つに両断した。宙を裂く風の軌跡を見つめながら、双子の弟・ルイは肩で息をついた。見た目はまだ華奢な少年にすぎないが、その魔力制御はすでに王宮魔導団の上級術師すら驚かせるレベルに達していた。
一方、兄のランスは訓練仲間と共に、模擬戦術訓練に没頭していた。前線と後衛の配置、魔法支援のタイミング、敵の突撃の受け流し……すべてを瞬時に判断し、味方を勝利に導いていた。
教官たちは嘆息し、頭を抱えていた。
「……双子のせいで基準が狂うな。優秀すぎる」
「歴代でもこの年齢でここまでの才能……いや、神の恩寵というべきか」
その様子を、遠く離れた学園の外縁からひとりの青年が静かに見守っていた。淡い金髪に灰色の瞳。ゼノス帝国が送り込んだもう一人のスパイであり、グレイフの指示を受けた〈接触要員〉──偽名を〈ユリウス〉と名乗っていた。
彼は、表向きはエルフ国への交換留学生として滞在していた。王国の学園に潜り込み、双子と接触し、彼らの“人間らしい弱点”を探るのが任務だった。
そんなある日、放課後の練習場でルイが一人残っていた。風系魔法の応用実験を繰り返しながら、ひとり黙々と魔法陣の調整をしている。
ユリウスはその隙を突いた。
「……風に祝福されし子、か。噂に違わぬ力だな」
不意にかけられた声に、ルイは一瞬身構えた。だが次の瞬間、気配を読み取って顔を緩める。
「君は……ユリウス。交換留学生の」
「ああ。興味があってね、君の魔法の構築術式。あれは独自のものだろう? 学園の教科書には載っていない」
ルイは少しだけ驚いた表情を見せた。誰も気づかなかったはずの魔法構築の工夫に、初対面に近い他国の少年が気づいたのだ。
「……少し、昔の記憶をなぞってるだけ。どこかで見たことがあるような……そんな感覚で」
「ほう、“前世の記憶”かい?」
その一言に、ルイの瞳がわずかに揺れる。
(やはり……この少年、こちらの情報網を探っている。だが、何故あのキーワードを……?)
ユリウスは笑みを浮かべながら、軽く肩をすくめた。
「君の中に、何か普通じゃないものがある。それはもう、誰の目にも明らかだ」
「……君は、何者?」
「ただの旅人さ。知りたいんだ、“神の子”とはどういう存在か」
ルイは言葉を失った。まるで、この世界の仕組みすら知っているようなユリウスの視線に、底知れぬものを感じた。
──その後、彼らは幾度か偶然を装って顔を合わせるようになる。
ダンジョン攻略、学園内での魔法演習、王都の視察など、様々な場面でユリウスは徐々に双子に接近していった。ルイは警戒しつつも、彼の教養と知識、そしてある種の“人間味”に触れるうち、完全に拒絶できずにいた。
一方で、ランスは彼に対して明確な警戒心を向けていた。
「ルイ、あいつには気をつけろ。目が……戦場にいた兵士の目だ」
「分かってる。でも……何かを知っている気がする」
──その夜。
再び、ゼノス帝国へと中間報告が送られた。
「潜入進行中。対象・ルイとの初期接触成功。精神的交流進展あり。兄・ランスは警戒強く、心理的揺さぶり不可。次段階に移行するには更なる“きっかけ”が必要。提案:作戦B、限定的な衝突演出により感情の混乱を誘導する──」
それを受け取った黒衣の魔導卿は、満足そうに薄く笑った。
「ようやく“神の子”が地上に降りたか……ならば、次は試練だな。正義か、情か、運命か。すべてを試させてもらおう」
静かに、戦火の導火線に火がともされた。
次なる一手──それは、双子の運命を決定的に揺るがす“偽りの裏切り”だった。