第二十二話「天の剣、地に降りて」 The Heavenly Sword Descends to Earth
光と闇がぶつかり合い、京都の空は歪んでいた。
安倍流威は息を整えながら、隣に立つ天使――ガブリエルを見上げた。
名前も、過去も、記憶の底には霧がかかっている。
それでも、なぜか心の奥が懐かしく震えた。
「……妙だな。初めて会うのに、懐かしい」
「それで十分だ。記憶ではなく、魂が覚えているのだ。ルシルフル」
言葉少なに、ガブリエルは頷いた。
二人が構える前で、アスモデウスはゆっくりと笑う。
片腕を失ってなお、魔力は増していた。人間に受肉したことで、魂と肉体の結びつきが強まり、さらなる力を引き出しているのだ。
「ならば、見せてやろう。地獄の王の“真なる姿”を!」
咆哮と共に、アスモデウスの肉体が変質する。
背中には黒曜石のごとき翼、角は天を突き、肌は血に染まった鱗に覆われていく。
そのとき、空から白銀の竜が舞い降りた。
鱗は霊光に包まれ、瞳は老獪な智慧を宿している。
「遅れてすまんのう、やれやれ、老骨に鞭打つことになりそうじゃ」
大白老――レンレンの師であり、道教の大宗師が、京都の地に姿を現した。
「師匠!」
「これでも急いできたのじゃが。今ここで倒さんと、この世が夜に染まるわい」
加勢を得た流威たちは一斉に陣を組み直す。
その瞬間、アスモデウスが絶叫した。
「――ルシルフル、貴様だけは赦さぬ!」
雷のような速度で魔の剣が振るわれる。
標的はただ一人――安倍流威。
刹那、光が走った。
血が舞った。
「……く、そ……っ。まだ……終われぬ」
立っていたのは、晴明だった。
彼は己の身体を盾にして、流威を庇ったのだ。
胸を貫かれ、膝をつきながら、それでも式神に命を託す。
「……流威。託すぞ。陰陽の未来を……!」
その言葉と共に、晴明は崩れるように倒れた。
だが、終わりではなかった。
晴明の死に呼応するかのように、彼の式神たち――特に最古にして最強の式神が、封印を解かれたように覚醒した。
まるで主の死に哀しみと怒りを覚えたかのように、魔を薙ぎ払う。
その力は、アスモデウスさえも一歩、後退させるほどだった。
* * *
混乱の最中、ニコライ神父が静かに動いた。
彼はアスモデウスの切断された腕に目をつけていた。
静かに十字を切り、神に祈るふりをして、それを口に含む。
「……ふふ。これぞ聖餐。神の血を模した悪魔の肉。神と魔の調和に至る鍵……!」
その肉を喰らうと同時に、ニコライの身体が変異する。
彼の肉体は強化され、瞳は双つの色を宿し、まるで天と地を繋ぐ媒介者のような異形と化す。
「これでようやく……私も舞台に上がれるというものだ」
同時に、ガブリエルは流威に告げた。
「このままでは、アスモデウスに太刀打ちできぬ。私の力も天の掟で制限される……だが、受肉すれば、制約を外せる」
「受肉、だと?」
「君の仲間――ランスロットに、一時的に“憑依”する。問題はないか?」
ランスロットは無言で頷いた。
聖騎士として、天使の依代となることに一切の躊躇はなかった。
「やれ、天の剣よ――その力を我に!」
眩い光に包まれて、ランスロットの身体が変わる。
剣は天に届き、瞳は天使の光を宿す。
天使憑依形態――その剣は、悪魔を裂くために存在する。
アスモデウス、ニコライ、そして残された晴明の意志を継ぐ式神。
すべてが交差する、決戦の最終幕がいま開かれる。