第百六十九話「咆哮の檻」Roar in the Cage
「――来やがったな、地獄の番犬め」
アシュラの低く唸るような声が、震える空気を裂いた。
四十四階層、中央部。
迷宮の“無限湧き”に誘われ、**ケルベロス**――冥界の三頭犬が階段を駆け上がってきた。地を蹴るたび、床が軋み、壁が唸る。焦げた魔力と黒煙が空間を染める。
三つの咆哮が同時に響いた瞬間、空気そのものが怒声に共鳴し、周囲の精霊たちの結界が軋んだ。
「ナナシ! 開幕全力でいくぞ! 様子見なんてしてるヒマはねぇ!」
「……あァ。分かってる」
ナナシは短く応え、すでにサラマンダーの力を内に取り込んでいた。
その右腕が赤熱し、まるで熔鉄のように脈動している。
次の瞬間、二人はほぼ同時に地を蹴った。
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**激突――始まる。**
アシュラの拳が、半身を捻ることで加速を乗せる。
腰、肩、拳――三点が一直線に揃った瞬間、まるで弾丸のようにケルベロスの首元に突き刺さる!
「――オラァァアッ!!」
一頭目の顔面が揺れ、黒い牙が吹き飛ぶ。
だが、すぐさま二頭目が横合いから噛みついてくる。
「甘ぇんだよ、バカ犬が!」
アシュラは足を踏み込み、肘を逆側へ折り返す。咄嗟に入れた肘打ちが顎を跳ね上げ、ケルベロスの頭部をひるませる。
そこへ――
「――よっ」
ナナシが姿勢を低く保ったまま、滑るように入り込む。
一瞬、影がぶれた。
そして次の瞬間、ナナシの踵が**地を滑るように回転蹴り**となってケルベロスの足を刈り取った!
「どけや、燃やすぞ……ッ」
伏せたケルベロスに向けて、ナナシは爆ぜるような火球をぶっ放つ。
炎に包まれる一頭――だが、三つの頭はそれぞれが独立した魔力核を持つ。
燃えながらも、別の頭が吠える!
**バフ魔力展開――《魔気強化》**
三頭それぞれが自己強化を始め、攻撃の鋭さが倍加。
「くそッ……! **デバフ精霊、フォローしろ!**」
融合した精霊の知性体が、即座に対応する。
数体の小型精霊が霧のように漂い、ケルベロスに絡みつく――
《敏捷低下》《視界妨害》《再生阻害》。
が、**ケルベロスの咆哮一発で**霧精霊が砕け散る!
「チッ……なら、数で押す!」
アシュラが手を広げると、周囲のモンスターたち――迷宮で手懐けた獣たちと、精霊融合体たちが一斉に突撃!
バフの掛け合い、属性干渉、魔法が交差する。
氷の斬撃がケルベロスの脚を貫き、雷が咆哮を消し、毒の棘が皮膚を侵す。
だが、一撃ごとに魔力の炎で再生される――
「――全然効いてねぇ!」
アシュラが拳を引く。重心を深く落とし、膝を使って加速を作る。
「効かねぇなら……ぶっ壊すだけだッ!!」
踏み込みから、拳が**螺旋を描いて炸裂**する。
ケルベロスの頭がのけぞり、地面にめり込む。
一瞬の静寂――
だがその刹那、ケルベロスが魔力を噴出し、周囲のモンスターを吹き飛ばす。
**撤退行動。**
「逃げる気か……ッ!!」
地面を砕きながら、ケルベロスは階段へと駆け出した。
ナナシが咄嗟に追おうとしたが――膝が揺れる。
炎精霊との融合で体温が上がり過ぎ、筋肉が悲鳴を上げていた。
「っ……アシュラ、頼む」
「任せとけ……逃亡は許さねぇ」
アシュラの体が**蒸気のような気を噴き出しながら加速**する。
空気を切り裂き、ケルベロスの背後に到達。
「地獄の番犬が、どこ行こうってんだよ……!」
一歩、二歩。深く踏み込み、腰を捻り、
膝のバネを全開にして――**渾身の裏拳**が、ケルベロスの脳天を撃ち抜いた。
**ゴギャアッ――!!**
三つの頭が同時に悲鳴を上げ、崩れ落ちる。
「……お帰りなすって」
アシュラが吐き捨てるように言った。
沈黙。血のように黒い魔力の霧が、ゆっくりと階層を漂う。
融合した精霊たちが、静かに一礼した。
**勝利――しかし、戦は終わらぬ。**
下の階層では、まだ“本隊”が待っている。
ケルベロスは“前座”に過ぎなかった。
「さぁて……次はどんな地獄が来るかねぇ」
アシュラの背に、再び蒸気のような気が立ち昇った。




